関係性をデザインすること


高橋「自分にリプライしてくれる人のつぶやきを見ると、これがとても面白い。それぞれが自分の暮らしぶりを書いていて、当然、語り口も違う。あたりまえの話ですが、そこにいるのは、読者一般ではない。むしろ、個別性があらわになっている。つまり、ぼくにとっては、私小説を読んでいる感覚に近い」

「わかります。ぼくも反応してくれた人のツイートをさかのぼってしまう。気がつくと、1時間以上、過ぎていたりして……。高橋さん、フォロワーの数はどれくらいですか?」

高橋「2万7,000人くらいかな。ちなみに本の初版部数は1万2,000部くらいです」

「本とツイッター、メディアとしてはどちらが強力ですか?」

高橋「販売促進という意味では、ツイッターのダッシュ力は強力です。ただし、パブリシティというよりも、読者との直接取引しているという感覚の方が大きい。結局、そこには人柄のようなものがにじみ出てしまう。『この人が書いた小説なんですけど、どうでしょう、興味があれば、読んでみませんか?』という感じです。ただ、小説家はうそをつくのが商売ですから、なかには自分なりのキャラを設定している人もいるでしょうね(笑)」

永原「ツイッターで言葉を"放流する"と表現していましたが、フローの言葉とストックの言葉に違いはありますか?」

高橋「ツイッター上で、小説を書いたり、詩を書いたりする方もいますが、おそらく、ぼくはやらない。というのも、ぼくの中では、いまだに、小説=紙に明朝体で印刷されたもの、という感じなので。一方、"いま起きつつあること"を書き留めるのは、ツイッターの方が向いていると思います」

「以前は、良くも悪くも、言葉が出て行く方向性が決まっていたと思います。でも、少し変わってきた。ツイッターに象徴されるように、大量発話社会になりはじめている。単に新しいメディアが登場したというより、そこに何か決定的な変化が起きはじめているという気がします」

永原「ツイッターでは、音を聞くように文字を読んでいる、という感じがしますしね」

橋本「ウォルター・オングの『声の文化と文字の文化』によると、かつて社会では話し言葉(声の文化)が共有されていた。けれども、印刷術の発達で書き言葉(文字の文化)が優勢となり、言葉は個人の営みの中で完結するようになっていく。いまは、文字の文化から、声の文化に回帰しようとしている時代なのかもしれませんね。とはいえ、単純な回帰ということではなく、別のかたちでの回帰だろうと思いますが」

「ポリローグの時代になりつつあることはたしかでしょう。言葉のベクトルが多方向で、ブラウン運動のようなものになっている。そこで考えるべきは編集という行為。それはデザインという行為にも関わってくる課題だと思っています」

高橋「よく考えると、ツイッターのTL(タイムライン)って、デザインとして独特ですよね。あるいは、リプライやリツイートも、よく考えたら、不思議な機能ですし。結局、ああいう機能は、言葉のやりとりそのものをデザインしているわけです。だから、もしかすると、言葉のインフレが起きるのかもしれない。けれども、その先に、いままで体験したことのない言葉が生まれる可能性もある。良くも悪くも、そういう時代に生きているんですよね」

研究会を終えて



永原康史

言葉は音声や文字を伴うことで具現化されるとするならば、言葉と声や文字はインタラクトしているはずである。ぼくにとっての最大の聞き所はそのあたりにあった。もうひとつ重要な問題提起として、言葉の「共有と私有」について語られたことも記しておきたい。





原研哉

新しいメディアの中での言葉のデザインは、文字の姿やかたちではなく、その編集性だと思います。速度感や方向性、量や密度、そして接触感や操作感が言葉の感触としてどうデザインされているかということでしょうか。


(写真:大沼洋平)