井筒和幸監督が3年ぶりにメガホンを取った映画『ヒーローショー』。目を背けたくなるような"青春バイオレンス"に真っ向から向き合い"これでもか!"というほど現実を抉り出した作品は、以前から話題を呼んでいた。その作品が遂に公開。初日を迎え、舞台挨拶を終えた直後の井筒監督を直撃した。
『ヒーローショー』は行き場のない感情をコントロールできずにもがき苦しむ現代の若者たちがひょんなことからリンチ、殺人取り返しのつかない事件を起こしてしまう"青春バイオレンス"だ。主演は今人気の若手お笑い芸人ジャルジャル。当然のごとく、観客は若者メインになることが予想された。ところが蓋を開ければ、幅広い年齢層の観客が映画館へと押し寄せていた!
井筒 : 「ジャルジャルのファンが半分以上いると思ってたから、いい意味で裏切られた! これが"大衆の深層心理"なんでしょうね。アイドル吉本のお笑い芸人が出ているけど、井筒が撮ってる青春バイオレンスという点で、何か感づいて気が騒いだんでしょう。今の時代は穏やかそうな面に包まれてるけど、実はきな臭いものがあって、みんな不安がっている。そんな閉塞感のある世知辛い社会の中で、大衆は無意識のうちに『騒ぎたい。ザワザワしたい』と思っているんですよ。もちろん、御伽噺を観て現実逃避したがるという流れもありますよ。でも一方で、普通は暴力なんて好まないのに、青春とバイオレンスという言葉がイコールされると、『怖そうだけど面白そうじゃん』と。これがまさに"時代"なのかなって気がしたね」
確かに、この映画は容赦なく現実を突きつける。お世辞にも"気分のいい映画"とは言えない。ところが、特に壮絶なリンチから殺害に至る暴力シーンは意に反して、目が釘付けになってしまう。それは井筒監督が事細かに一人ひとりの中に生まれる葛藤、抑えきれない感情など、衝動的な暴走が生まれるまでの心情をフィルムに収めているからこそ。
井筒 : 「暴力のシーンは雑にやると、何の時代の空気も伝えられず、ただの見せ物になってしまう。そういうことは絶対にしたくなかったから、丁寧に細かく撮ったんですよ。だから、観るとイヤだと思うでしょ。でも、観ちゃうでしょ。それこそが人間の持ってる深層心理。今の時代はリアティーを求めてるんですよ。そういう意味では『仁義なき戦い』や『ゴッドファーザー』がヒットした’70年代に似てるのかもしれないね。あの時代は’60年代終わりの熱狂が急速に冷めた時だった。だから、大衆の中に『もう一度熱を帯びたい』という深層心理があって、みんな自分は暴力団でもマフィアでもないのにのめり込んだんですよ。今の時代もヒーローはいないし、かといってヒーローを求めているのかどうかも分からない。ヒーローが出てきても、マスコミがすぐにバッシングして喜ぶ。いわゆる生け贄社会ですよ。でも、大衆は賢いですからね。特に、若者はそういう空気に敏感。一緒になって生け贄社会を喜んでるわけじゃなくて、一方的に情報を浴びながら『なんで大人は押さえつけるんだ!?』と思ってる。だから余計、気持ちがザワつく。そんな気がしますね」
"甘い映画"は観てる間は血糖値が上がるけど、反動ですぐ冷める
そんな時代を反映した『ヒーローショー』は、最後の最後まで救いのない話だ。だが、その救いのなさに現実をひしひしと感じ、リアルな人生について考えさせられる。作品の中の"救いのなさ"が、観る者にとっての"救い"となるのだ。
井筒 : 「観客には『ウソでもいいから、綺麗にまとめてよ』という思いもあるんですよ。実際、作り手たちの都合で、そういうお客の安易なカタルシスを満たしてあげようとする、いい加減な予定調和の映画が多すぎる! でも、そういう"甘い映画"は観てる間は血糖値が上がるんだけど、観終わった後に反動で『そんなに上手くいくわけないよな』って、観客を冷めさせてしまうんですよ。それが今の大衆の心理なんです。だから、僕はそういうものとは逆の作品を提示してもいいんじゃないか、と思ったんですよ。『ヒーローショー』を観た観客は『現実を見せられてしまった……』という気持ちになるはずなんです。でも観終わった後、喉元に引っかかってたものがかえって浄化されるというかね。実際、試写で鑑賞した人に感想を聞いても『こういう不幸に立ち会いたくないけど、立ち会わされてしまった。、横にいる感じで怖かった。でも、観終わった後に"私はとりあえず生きててよかった。今日一日をしっかりと送ろう"と思った』と。反動とはそういうもんなんですよ」
本来なら、井筒監督はその反動をすべての若者に味わってもらいたかったはず。しかし、この作品はR-15指定。そのあたりを井筒監督はどう思っているのだろうか……続きを読む。