――今回の劇場版二部作には、『The King of Eden』と『Paradise Lost』というタイトルがつけられていますが、それぞれに込めた意味合いを教えてください
神山監督「『The King of Eden』はまさに滝沢のことですね。メインタイトルの『東のエデン』にもいろいろな意味を込めていますが、大括りに言えば、"今の日本"ということになると思います。そこに新たに楽園を築こうという、世代間の抗争のようなものがあって、若者サイドの王様である滝沢が、もう一度この国に帰還する。それが一本目の『The King of Eden』になるわけです。一方の『Paradise Lost』は、この国自体がそもそも楽園だったのではないかということを、もう一度考え直そうという感じですね。その楽園が消失してしまうという単純な意味もありますし、新しい楽園を探すために、土地を捨ててしまうことはできないので、ここに新たな楽園を築くためには、一度、古い楽園(考えかた)はロストしてしまったほうがいいのではないか、そんな意味合いも含まれています」
――『東のエデン』の舞台は2011年ですが、その中で描かれている世界は、まさに来年を意識していますか? それともさらに先を見据えていますか?
神山監督「基本的には2011年を意識して描いたのですが、思っていた以上に早く、いろいろなことが追いついて来ているなという感じですね」
――予想以上に世の中の流れが早かったわけですね
神山監督「思っていた以上に、簡単に追いついてきて、追い抜かれて行っちゃった、という感じですね。作中に出てくる『ノブレス携帯』自体はファンタジー設定ですが、それでも実際にVertu(バーチュ)という携帯にコンシェルジュ機能というのがあって、お金さえかければ、実際のコンシェルジュがかなりの無理を聞いてくれるそうですよ。『セカイカメラ』についても、構想は聞いていたのですが、実際に見たときには、すごいところまで来ているなと思いました。Googleも始めましたしね、画像検索を。いずれはできるだろう、理屈上はできるだろうと思っていたので、うれしい反面、やはり不思議な感じがします」
――監督としては、『東のエデン』の世界は、本当にリアルな2011年だったわけですね
神山監督「ただ、そういった話の中でも、やはり嘘をついたところもありまして(笑)。携帯電話でアプリケーションをダウンロードするシーンがあるのですが、テレビ版ではちょっとごまかしているんですよ。各メーカーの携帯電話のOSを全部解析して、それに対応したシステムは東のエデン側にあるようにするといった感じで。でも、劇場版ではちょっとごまかしきれなかったですね」
――そこはファンタジーというところですね
神山監督「そうですね。そこはジュイスがなんとかしてくれたということで(笑)」
――少し話しがずれるのですが、劇場版には「内務省」や「公安」といったものが出てきますよね
神山監督「ちょっときな臭い感じですね」
――神山監督の作品で、「内務省」「公安」といったキーワードが出てくると、やはり観る人がちがったものを想像をしてしまうこともあるのではないかと思うのですが、そのあたりは意識なさっていましたか?
神山監督「僕は変に生真面目なところがあって、自分の描いてきた作品同士、別に関連性を持たせる必要は本来ないのですが、以前にはこう描いたけど、今回はこう描きますよっていうのがどうも余り好きではないんですよ。もちろん、『精霊の守り人』ぐらいファンタジーな作品なら関連性は必要ないのですが、同じ西暦で、この物語の先に2030年があると思うと、もしかしたら『攻殻機動隊』の世界に繋がっているかもしれないということを想像せずに描くことは、自分が作ってきた作品に対しても嘘をつくような気がしてしまうんですよ。もちろん変わっていくかもしれませんが、以前に自分が描いた作品のような未来が、もしかしたらあるかもしれない。そういう意味では、『東のエデン』の先に、『攻殻機動隊』の世界があるかもしれないと思いながら世界観をつくっていましたね」
――そこに関わる生き方をするかどうかは別にして、同じ時間軸の上に、『東のエデン』も『攻殻機動隊』も存在するわけですね
神山監督「もしかしたら同じ道をたどるのかもしれないし、まったく繋がらない世界が新たに広がるのかもしれない。やはり作品を作る際は、そういったことを何となくですが、考えています」