ともに走る人たちとの無言の応援合戦が繰り広げられる終盤
給水所を過ぎて残り半分というところ。軽快に走る小柄な女性に背後から追い抜かれでもしたら、"アラフォー・ブレまくり記者"も黙って見過ごすわけにはいかない。意地でも自然とペースはその女性にリードされるわけだ。が、無論、苦しくなってくる。苦しいが、いっしょに走る周りの老若男女すべての吐息が八方から聞こえてきて、「うわっ、オレはいま、みんなと走っているんだ」というワケのわからない連帯感に次第に包まれる。「自分だけじゃない、みんな闘っているんだ」とテンションがあがる。これは走ってみないとわからない興奮であり、ランナー同士の無言の応援合戦のようにも思える。ここで胸が熱くなる。もちろん肺は苦しいし、足は硬直しはじめているのだが。フルマラソンでは、「35kmからが勝負」とよくいわれる。急に力が抜けてペースがダウンする「壁」ともいわれるが、10kmマラソンでいう8km地点あたりでは、この妙な連帯感こそが自分の背中を後押ししてくれる最大のエネルギーとなるのだ。
ゴールはそれぞれ思い思いに……パフォーマンス百花繚乱♪
いよいよゴール目前。もう息も絶え絶え。足は前へ出ないわ、失速するわ、つんのめるわ……。気持ちだけでみんなに付いていく感じだ。9km地点のメッセージ・ボードがズルい! ツール・ド・フランスの活躍で知られるランス・アームストロングの言葉「苦しさは、やがて消える。あきらめた事実は、永遠に残る」が目に入ってくる。「ナイキめ、にくい演出しすぎだろ」と吐き捨てながらも、グッとくる。自分にも生半可だが闘争心があったんだなと気づかされる。
ほかのランナーたちの心は奮い立ったに違いない。あとはそれぞれのラストスパート。みな、一心不乱にゴール・ゲートを目指す。"ブレまくり記者"も撮影やゴール後のインタビューなどを完璧に忘れ、ただただこのレースを終えることだけを思い駆けた。(何を考えていたかは思い出せない……)
不意に、目に熱いものを感じた。「PRESS」と書かれたワッペンも付けているし、記者よりもずっと若い人たちがサラリと走る脇で、まさか30代後半男が涙を流しながらゴールするわけにはいくまい。ゲート前では先行してゴールした勇者たちが、見ず知らずの我々を拍手で迎え入れているではないか! またまた涙腺が緩む……。僕にはゴールできる場所があるんだ……。
ナイキジャパンによると、来年も開催を予定しているという。「レースは晴れの舞台」という意気込みで格好から入る女性たちの参加が前年度よりも大幅に増えているとも話していた。確かに、流行の"ランスカ"も彩り豊かなものが目立った。(男性のファッション・チェックまで目が行き届きませんでした。ごめんなさい)また、「日本最大!走る仲間のウェブサイト「RUNNET」で、こうしたレース・大会の情報を「開催月」「開催地」「距離」などで絞り込みながら検索できるので、「やってみるか!」という人は身体のコンディションと調整しながらスケジュールを組んでみるのもいいだろう。
レース後は階段を無意識に駆け上がる自分を発見
心地よい疲労感とともに楽しむ某有名アーティストたちのステージは「快感」そのもの。気づけば隣のランナーと肩組んで縦ノリの自分がいた。日ごろのウツウツとしちゃいがちな雑務が、走ることで順序だててパパパと整理できる予感がしてくるのだ。自分のカラダに「走る」というコマンドを与えると、仕事も日々の暮らしも前へ前へと進む感じがしてきて、何か次への希望を与えてくれるものじゃないかと思ってしまうのは、なぜか……!?
レースの翌日、駅の階段を降りるのが苦しかった。が、昇り階段は、足の痛みが消えないにもかかわらずエスカレーターを横目に駆けていた。不思議だ。最後に、ゴールした人たちのコメントを記してこのレポートを終えよう。
「5km地点で絶対に歩かないと決めた。ゴールしたときの達成感が最高! 次へ次へという想いが募る」(20代女性、ジョギング経験有、初10km)
「走り始めて仕事がはかどる気がし始めてきた。今回参加してみて、走る楽しさを覚えた」(30代男性、ハーフマラソン経験者)
「走ってみて、『意外とできるじゃん、ワタシ』って思った。来年も絶対出る!」(20代女性、ジョギング未経験者)
「走るたびに規則正しい生活にチェンジできるようになった。職場でもあまりイライラしなくなった」(30代男性、フルマラソン経験者)
「東京マラソンにも出るが、そのプレイベントとして絶好の機会。また参加したい」(30代女性、フルマラソン経験者)