ワインの個性はテロワールによるものだけではない
フランスワインというと、どうも敷居が高いとかんじる人もいるかもしれないが、シャブリが意外にも合わせる料理を選ばないことに関しては前回お話した。今回は、造り手にスポットを当て、皆さんに「ワインを造る」ということについて少し考えてもらいたいと思う。
ワインが造られているシャブリ周辺の村々の真ん中にはスラン川が流れており、この川を中心に畑が広がっている。畑の合間を縫って車を走らせると、ワインを発酵・貯蔵させるステンレスタンクを作る工場、農薬屋、トラクター屋、ラベルの印刷工場など、ワインの中身以外の産業もここでまかなえていることがわかる。
要となるワイン自体の造り手は今や300を越え、年間約60万ヘクトリットルものシャブリを生産している。ワインの個性を引きだすのは畑のテロワール(土壌)によるところが大きいが、その畑からブドウを育てるのも人であれば、そのブドウからワインを醸すのも人なのである。さてここからは、各ドメーヌの歴史や造り手のキャラクターに迫っていく。
「プティ・シャブリは"小さいシャブリ"じゃない」
ドメーヌ・J・デュリュップ ペール・エ・フィス / ジャン・ポール・デュリュップ氏の場合
そのドメーヌを訪れて驚いた。35haの庭には醸造設備はもちろん、住居、12世紀に建てられた城もあり、それらの脇を放し飼いのニワトリたちが悠然と闊歩していく。もはや庭の域を超えて"森"である。軽く中世にタイムスリップしたかの錯覚に陥る。
ワイン造りは1560年からというシャブリでも古いドメーヌゆえに、半日かけてブルゴーニュの歴史、ワイン造りの歴史を語ってくれたのも彼であった。現在所有する畑はプティ・シャブリからシャブリ・グラン・クリュまでまんべんなく206ha、独立したドメーヌでは最大である。とりわけプティ・シャブリは好立地の畑に恵まれたことと長年培ってきた醸造技術で定評があり、「プティ・シャブリの名手」と謳われている。
それゆえ、「プティ・シャブリの印象といえば安価で若飲み」というイメージが定着してしまっていることを嘆いている。「プティ・シャブリも高品質でヴィンテージがよければ、うまく熟成する。だいたい"プティ"という名前が印象を悪くする。この言葉には"ちっちゃい"という意味もあるけれど、"カワイ子チャン"の意味もあることを知ってほしいね」と。
隔世で引き継がれた老舗
ドメーヌ・セギュノ・ボルデ / ジャン・フランソワ・ボルデ氏の場合
こちらも1590年から続く由緒あるワイナリーである。プティ・シャブリ、シャブリ、シャブリ・グラン・クリュ合わせて15haの畑を1998年から引き継いだのは、父からではなく祖父からだった。元々母方家系のワイナリーで、母は苗木業者の事務職だったが父はワイン関係の人ではない。でも彼は幼いころから祖父の仕事を傍らで見ており、学校が休みの日には手伝いもしたということで、ドメーヌを継ぐことはごくごく自然の成り行きだったという。
これだけ年が離れていると世代間のずれが生じそうなものであるが、古きよき伝統や畑は継承しつつ、新しきもの(栽培・醸造技術、設備など)を巧く融合させることによって、より洗練されたエレガントなワイン造りに成功している好例である。もっとも、そのエレガントさは最新の技術だけではとても成しえる技でないことが、ここの畑から出土した2億年前の巨大アンモナイトを見て納得するのであるが。ちなみに、ジャン・フランソワ・ボルデ氏は、現シャブリ委員会副委員長である。
夫婦愛がもたらすホスピタリティ
ドメーヌ・コレ / ジル・コレ氏、ドミニク・コレ氏の場合
立派な髭の持ち主・夫ジルと、彼を影から支えるでもしゃしゃり出るでもなく常に寄り添う妻ドミニク。言葉はわからないが、まるで夫婦漫才のような2人のやりとりを見ていて、このドメーヌが極めて良好に営まれていることがわかる。1792年からワイン造りを始めてネゴシャン(ワイン商)に販売していたが、1954年ジルの父であるジャンの代より一部ボトル詰めを始め、3代目のジルが参画してからは100%自社畑のワイン造りを行っている。
地下のカーヴに降りると、ズラリと並んだオーク樽の数にも驚くが、我々のテイスティング用にとズラリと並べられたワインボトルに惚れ入ってしまった。まるで宝石店のショーウインドウのようなディスプレイ。こういうところにもこの夫婦の"粋"が感じられる。