焼酎と料理のマリアージュ

会場には約100種類の本格焼酎が並んでいる。原料ごとにブースが分かれており、泡盛、芋、麦、米、蕎麦・黒糖となっている。「夢酒」の森さんがそれぞれ料理との組み合わせを提案しており、泡盛には沖縄料理、芋焼酎には黒豚の角煮や薩摩揚げ、麦焼酎には焼き鳥といった具合で料理も配置されていた。

鹿児島と言えば芋焼酎だし、沖縄と言えば泡盛だ。鹿児島は焼酎の消費量が全国で第1位であり、当然のようにさつま芋と本格芋焼酎の生産量も第1位である。芋焼酎が誕生するのは1705年に前田利右衛門が琉球からサツマイモを持ち帰った後となるが、蒸留酒自体はそれ以前の記録が残っている。

試飲は立食スタイル。各テーブルにはチョコレートも置かれていた

料理には行列ができ、大皿が次々と空に

1546年に泡盛のルーツと思われる記録が

1546年、薩摩半島に上陸したポルトガル人の見聞録に「人々は米から造る蒸留酒を飲んでいる」とあり、この報告はフランシスコ・ザビエルに届けられたと言われている。その時飲まれていた蒸留酒がどのようなものであったかは不明だが、造り方にしろ蒸留器にしろ、泡盛をルーツとすると考えられる。

今でこそ"九州=焼酎"というイメージが定着しているが、九州は米をたくさん生産しており、日本酒も飲まれてきた。福岡はかつて「九州の灘(日本有数の清酒産地)」と呼ばれ、清酒の生産量が焼酎の数倍に達していたほどだ。

芋焼酎と並んで人気なのが黒糖焼酎だ。黒糖焼酎と言えば奄美の特産品であるが、17世紀、薩摩藩は黒糖を貴重な食糧資源と考え、黒糖焼酎の製造を禁止したという。とは言え、当時は各家庭の台所に小さな蒸留器があったようで、密造は止まなかったと言い伝えられている。

その黒糖焼酎が今のように米麹によって仕込まれることが規定されたのは、アメリカによる占領から日本に復帰するタイミング、つまりはほんの半世紀前のことである。それまではラムと同じように、黒糖を原料としてそのまま発酵させるスタイルだった。まず麹を造り、それをベースにして主原料を追加する本格焼酎の基本スタイルが整ったのは、そう昔の話ではないのだ。

こういった歴史を学ぶことは、好きな焼酎を見つけることと直接は関係ないだろう。でも、歴史を踏まえれば、飲まず嫌いをしていた焼酎についてもなぜそのスタイルなのか、改めて見つめ直すことができるようになる。それはつまり自分が好きな焼酎のスタイルを見つめ直すきっかけとなり、より深くこの世界を探求するための道が拓かれるはずだ。

特別な存在の壱岐焼酎

中央が山内賢明さん。壱岐焼酎の歴史を語っている

次に麦焼酎のブースに移動する。ここに「壱岐焼酎 蔵元が語る麦焼酎文化私論」(2007年・長崎新聞社)の著者である山内賢明さんがいた。山内さんは壱岐焼酎の蔵元の社長である。

壱岐は、日本に蒸留酒の技術・文化が伝来したルートのひとつと考えられている。そのような歴史と伝統が評価され、壱岐焼酎は地理的表示が認められている。フランスのシャンパーニュ地方で造られたもののみがシャンパンと名乗れるのと同じで、1995年にWTO(世界貿易機関)によって認定された。

著書の中で山内さんは、フィールドワークから現地の地層、残された様々な遺物についても解説してくれている。タイトルに私論とあるように、それぞれの主張に明確な裏付けはない。しかし、それだからこそ興味深い推論が潜んでおり、読んで損はない1冊だ。

さて、会場では料理があっという間になくなり、森さんが進行するクイズで盛り上がっている。帰りの際には本格焼酎か泡盛が1本お土産として付く。参加者からは「来年も来たいね」という声が聞かれた。そして、賑やかで楽しい時間はあっという間に過ぎていった。