俳優になったきっかけ

――普通の大学生になりたかった六角さんが、なぜ俳優になったのでしょうか?

六角「高校の一学年先輩でもある善人会議(現・扉座)主宰の横内謙介さん(※スーパー歌舞伎の脚本なども手がけている)が書いた作品を紀伊国屋ホールでやるって事になったんです。紀伊国屋ホールって言うのは凄いですし、『紀伊国屋でやって、これから先うまくいったら、俳優になれないかな』と単純に思いまして(笑)。それがきっかけで、大学も辞めたんです。それから、割とレギュラー的に横内さんの舞台に出していただいてて、28歳の時に出演した舞台で、自分の役者としてのふがいなさに本当に嫌になる事があったんです。よっぽど辞めてしまおうと思ってたんですけど、その時『ここで芝居を辞めても、俺には何も残らない。それに何年かやってきた舞台以外に、俺は何も知らないじゃないか?』とふと気づき、役者を続ける覚悟を初めて強く持ちました」

――六角さんは舞台出身で、最近はテレビや映画のお仕事が増えてきています。演じる側として、テレビと舞台の違いを感じたりしますか。

六角「やっぱり基本的にかなり違うものだと思います。映像、特にテレビなんかの場合は、かなりの確率で時間に追われている事が多いんですよ。だから、セリフが合ってて、そのほか問題がなければ、芝居のクオリティーの事はあまり考えずに、とりあえずOKになったり、それはしょうがない事だと思うんですけど、やっぱり物足りなさも残ります。一方、舞台の場合は長期間ちゃんと稽古して、観たいと思ってやって来る観客に見せるわけじゃないですか。そこは全然違いますね。自分にとってやっぱり舞台をやったりするのっていうのは、自分の事をメンテナンスするという意味も含めて必要ですね。『出来ないことをどうやったらやれるか』、『これに対してどう挑戦するか』という事にできる限り取り組んでいきたい。やっぱり、なかなか時間の少ないテレビでは、自分の引き出しの中からしか、出来る事が持ち出せないんです。舞台の場合は色々と試すことが出来るんですよ。そこがやっぱり、表現として全然違うと思います」

――では、これからも、舞台を続けられるんですね。

六角「今後もやっていきたいです。まあ、舞台、映像にこだわりなく、自分の出来る事がそこにあるならば、何でも取り組んでいきたいと思いますね」

『相棒』シリーズの当たり役・米沢守を演じて

――ドラマ『相棒』が大ヒットして、米沢守役で映画主演も決まり、この役が六角さんの代名詞のようになった感もありますが……。

六角「この役ももう8年ですから、ずいぶん長いですね。舞台でも8年は経験ないですね。同じ役を飛び飛びで10年は経験あるんですよ。昔、少年の役を舞台でやっていて。10年目にその少年の役をやったらすごくおっさんに見えたらしく、人から『もうやめろ』と言われた事はありますけど(笑)」

――同じ役を演じていて変化はありますか?

六角「こないだ『相棒』の初期の再放送を『俺が出てる!』と思いながら見てたんです(笑)。最近の作品と変わらないような気もするんですけれど、やっぱり少し違うんですよね。なんというか、やはり最近のやつの方が、今までやってきた映像の経験だとか、鑑識役に対する思い入れとかが、『少しずつだけど入っているのかな』って思ったりして。やっぱりそれを見た時に『この役を続けていて良かったなぁ』って思いましたね。最初はセリフもひとつしかない役でしたから」

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