アニメ劇伴作曲家への道

――そもそも、音楽の道を志すことを決意されたのは、おいくつぐらいの頃ですか?

「幼い頃から漠然とは考えていましたね。小学2年生から、ピアノも習ってましたし。最終的に進路を決めたのは、高校3年生の夏でした」

――演奏家ではなく、作曲家になりたかったのですか?

「そうですね。というのも、子どもの頃、クラシック小僧でしてね。ベートーベンの交響曲全集なんていうのは、レコードがすり切れるほど聴いてたんですよ。伯父から借りたんですが、返すときにはツルツルになってて、あきれ返ってましたね(笑)。あと、中学1年生のとき、『誕生日のプレゼント何がいい? 』って聞かれて、『ワーグナーのワルキューレの楽譜が欲しい』って。当時、4,200円の(指を大きく開いて)こんなに分厚いやつ。その時点ですでに、''譜面オタク''でした(笑)。音楽会も盛んに行きましたし」

――アニメの音楽を作曲したいと思っていたのですか?

「子どもの頃アニメは大好きでしたが、まさかアニメの曲を作るとは思っていなかったですね。漠然と作曲家として生きていきたいと。で、何がやりたいかといったら、映画に曲をつけるとか。でも、いきなりそんな仕事は来ないんですよ」

――すると、作曲家としてデビューなさった頃、手掛けていたのはどのようなジャンルの曲だったのでしょうか。

「来た仕事は何でもやってましたね。CMソングもやりましたし、土曜ワイド劇場などのドラマの劇伴やポピュラーの編曲も。その頃は、名前が表に出る仕事ではありませんでした」

――アニメの音楽を手がけられるようになったキッカケは何だったんでしょう?

「うちの事務所の今の社長の知り合いで、コロムビアの学芸部にいらしたディレクターの方が、"君、おもしろそうだから、ちゃんと名前を出して1曲やってみないか"と言って、仕事をくださったんですよ。それが初めて名前が出た、テレビアニメ『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』の挿入歌、菊池俊輔先生作曲、山野さと子さんの歌による『星の涙』という曲の編曲だったんです。それが糸口になりましたね。コロムビアの学芸部って、ディレクターの方の席が並んでて、ひとりが"彼、おもしろいよ"って言ったら周りの人にもすぐ伝わって、そのつながりで、『コンポラキッド』や『ドラゴンボール』、ヒーロー戦隊ものの仕事も来るようになったんですよ」

――必ずしも自分からアニメをやろうということで始められたわけではないんですね。

「どうしてもアニメがやりたいと思って始めたわけではなく、たまたま最初にヒットしたものがアニメだった、という形なんですけれども。そしてある時期に、ほかをやらないでアニメをやると本気で決めたんです。それで、『田中公平はアニメを専門にやります』と旗を揚げたんですよ。それから、いい仕事も来るようになったんです」

――いい仕事というのは、具体的にはどういった仕事のことでしょうか?

「そうですね。予算的にやりたいことができるとか、世間から期待されているとかそういった仕事ですね」

――予算が乏しいと、どうなってしまうんでしょう?

「まず、スタジオとスタジオミュージシャンを拘束する時間が少なくなるんですよ。時間がなくても曲数は一緒ですからね。戦隊ものだと80曲ぐらい録らなきゃいけないんですけど、1日で80曲ってどういうことになるかっていうと、練習もなしに、しかも、マルチチャンネルでトラックダウンすることもできないので、いきなり2chで同録するんですよ。昔はそういうことがまかり通っていたわけですよ。それを若い頃に見ていて、音楽家の立場として良くないなと思っていました。徐々に努力を重ねて、今ではずいぶんとそのあたりは改善されてきましたね」