大西氏は、NAVITIMEが短期間で急成長した理由について次のように話す。「パソコンの場合は基本的に、屋内で検索することになり、ある駅から駅の経路を調べることが中心になる。携帯電話は、移動しながら使うので、電車、徒歩、タクシー、バス、飛行機とさまざまな利用シーンが考えられる。NAVITIMEはあらゆる交通機関、手段に対応しており、そのようなトータルなナビゲーション技術が評価されたのだろう」。

また、サービススタートから5年間のクチコミだけで100万人のユーザーを獲得したことで、「サービスが受け入れられている実感があった」(同)という。「広告展開を始めてからはさらに飛躍的に伸びた。携帯電話でのサービスでは、通信速度が向上した第3世代の携帯電話の登場、パケット定額制、GPS機能という3つの追い風があった」と大西氏は説明する。

「NAVITIME」は研究者の発想から誕生した

NAVITIMEの原点は研究室にあったという。大西氏は、大学在学中の1986年から経路検索について研究。東京全域を対象にカーナビと同じようなことができないものかと考えていた。そのころ大西氏と同じ研究室の菊池新氏(同社副社長)が電車、バス、飛行機の時刻表を研究。世の中の乗り物のナビゲーションは、時刻表の情報または道路の情報にコントロールされると確信していた大西氏は、「ふたりの研究を融合させるとすべての移動手段に対応するナビゲーションができる」(大西氏) と考えたのだという。

そして、ふたりの研究成果をあわせたものがNAVITIMEの源流となった。「基礎研究を学会レベルでおよそ10年続け、1996年にビジネスとして開始した。処理性能がまだ遅かったCPU、少ないメモリ容量で、いかに速くできるかが焦点だった」と振り返る。

当初、大西氏らがJavaを用い、手作りで開発したのが「函館観光地経路案内システム」。何時頃にどこの観光地を見て、どこのレストランに行って昼食をとりたいかなど、ユーザーが設定した予定に沿って、最適な経路を割り出すことができるソフトだ。これを利用すれば、パッケージ化された観光ルートではなく、ユーザーそれぞれの希望に即したオリジナルのルートを実現することができた。

大西氏は大学卒業後に大西熱学に入社。ここで1996年に社内ベンチャーとして経路探索エンジンのライセンスサービスに着手、商用化を開始した。PDA向けの経路検索ソフトとしては、ほぼデファクトスタンダード(事実上の標準)を確立し、2000年にナビタイムジャパンとして独立した。その後、NAVITIMEは、セイコーエプソンのGPSを搭載したPDA「Locatio(ロカティオ)」に採用された。ロカティオのNAVITIME導入は、モバイル向けのサービスの先駆けといえる。

広告との連動は、経路探索サービスに優位性あり

経路探索サービスは主として、"移動している人々"のためのもの。販売店や飲食店の情報と相性が良く、広告との連携につながりやすいといえる。広告と経路探索サービスの関連について大西氏は「広告をからめた位置情報サービスは、広告主が提供するプッシュ型の広告では成立しないだろう」と話す。"ユーザーの位置がわかるのだから、その付近の店舗情報を提供すればよいと"いうものでもない。「それは広告主側の立場」(大西氏)だと説明する。

ユーザーは、自分の求めている広告以外には関心を向けない。ユーザーに必要なのは、ユーザーが能動的に選択するプル型の広告であり、しかもその広告がユーザーにとって"広告とは感じられない"もの。つまり、「あくまでもユーザーにとって情報となるもの」(大西氏)を提供する必要があるという。「月額利用料を頂くかぎり、ユーザーにとって有益な情報であることは絶対に満たさなければならない」(同)。

大西氏は、経路探索サービスと広告の連動は、一般的な検索サービスやテレビよりも効果は高いとみている。ナビゲーションサービスの一番の強みは、「検索した場所まで確実に連れていく点」(同)であると説明する。検索ポータルやテレビでは、多くの情報を得ることができるが、その情報(検索結果)までの経路を、新たに調べなければならない。しかし、ナビゲーションサービスの場合、目的の場所までの経路を提示してくれる。買いたい商品がどこで売っているか、おいしい料理店がどこにあるかが明確になるため、購買に直結する可能性が大きい。「NAVITIMEは現在、月間ユニークユーザー900万のメディアになっている。購買に直結した広告媒体になるというという意味では、メディア価値は十分あると考えている」(同)と説明する。