――温水さんは元々、松尾スズキさんの「大人計画」の所属だったんですよね。
温水「そうです。最初、高校3年の時に演劇部に入って、大学の演劇サークルに入りました。卒業する前に上京して『大人計画』に入って、大学卒業後もそのまま大人計画で6年間活動していたんです。24歳から30歳くらいまで、『大人計画』にいました」
――1990年代中盤の頃から、竹中直人さんの舞台やバラエティ番組で、温水さんを見かける機会が増えたような気がします。
温水「最初に竹中さんとお仕事させて頂いたのは1994年で、まだ『大人計画』にいた28歳か29歳くらいの時ですね」
――その頃から俳優業が忙しくなってきたんですか?
温水「いや、その頃はまだ全然です(笑)。僕は『大人計画』や『WAHAHA本舗』の舞台に出てて、その頃は、裸になって奇声を上げたりとか、結構危ないラジカルなお芝居をやってたんです。それを観た竹中さんに声をかけて頂いて、それが縁でテレビに出るようになったんです」
――元々、温水さんはプロの俳優を目指していたんですか?
温水「目指していたというより、好きだったんですよ。お芝居の魅力にハマっていったというか、職業として役者でお金を貰うっていうのは、全然考えずにいたんです。大学生からそのまま『大人計画』に入って、劇団だけじゃお金は貰えないし、たまにCMのオーディションとか受けると、5回に1回くらいはちょい役で仕事を頂いてたんです。それで友達とか周りの人に"TV出てたね"とか"CM出てたね"とか、やっと言われ始めるようになりました。それでも、まだバイトはしてましたけど(笑)」
――そんな温水さんが、俳優として本当の意味でプロだと自覚されるようになったのはいつ頃なのですか。
温水「それは、ほんとにここ10年ぐらいですね。初めてゴールデンタイムの連ドラ『ハルモニア この愛の涯て』(日本テレビ系 1998年)で、中谷美紀さんを誘拐する役で使って頂いたんです。それが初めての連ドラの中での大きな役でした。その後、このドラマの監督だった堤幸彦さんによく使って頂けるようになったんです。その時期から、映画やCMで、冴えないサラリーマンの役のイメージがついて……。そしたら明石家さんまさんの舞台のお話が来て、さんまさんの『踊るさんま御殿』(日本テレビ系)とかバラエティーの仕事も増えてきたんです」
――露出が増えて、お仕事が忙しくなってきた時期に、温水さんの中で、どういう風に活動していきたいという希望などはあったのですか?
温水「やっぱり舞台出身だったので、俳優でいたかったですね。でも、バラエティーの仕事も多くて……。バラエティーっていうのは考えたこともなかったし、最初の頃は辛くて、苦しくて……。今でもドラマの宣伝とかあるので時々出ますけど、本当に慣れないし、辛いですし……」(※本当に辛く苦しそうな表情を浮かべる温水さん)
――あれだけ視聴者にウケているのに、温水さんはバラエティが苦手なんですね。舞台や映画、ドラマでは、演じていて違いを感じたりはしますか?
温水「ドラマ、映画、舞台、それぞれの面白さがあるんですが、自分としては舞台出身なんで、舞台は続けていきたいですね。ありがたい事に、年に何本か舞台の話を頂くので、続けています」
――映画やドラマも、とにかくコンスタントに出演されててますね。
温水「バランスよくやれるのは、嬉しいですね」
――PVに出演されたり、『大田クルーと温水洋一』名義で、HIP-HOPアーティストとしても活動されてますよね。
温水「そうですね、彼らのPVに主演させてもらって、歌も歌わせて頂きました(笑)。もう全然畑違いのことだったんですけど、コラボレーションしたいという彼らの熱意に負けて……。曲中の4分くらいのドラマに出演するっていうのも、また新しい演じ方だと思いました。頂いて面白そうなお話だったり企画だったりしたら、よっぽど無理だというものでなければ、基本的には引き受けるので」
――あまり仕事を選ぶという事はないんですか?
温水「ドラマに関しては、基本的には、ほとんど断らないですね」
――どんな役でもですか?
温水「はい。まぁ二枚目の役とかは滅多にというか、まったく来ないですけど(笑)、どんな役でもやらせて頂いてます。監督さんから、『この役は温水で』と言われたら、やっぱり嬉しいじゃないですか。でも、どうしても無理なバラエティーは断る場合もあります(笑)」