やっとこのときが来たか……! 放送作家・高須光聖が『YOSHIMOTO DIRECTOR’S 100』のラストを飾る『賽ノ目坂』で、初の映画監督を務めるというニュースを聞いて、そう思った人は少なくないだろう。放送作家としてダウンタウンら数々の芸人たちと大人気バラエティ番組を世に送り出し、一方で映画やドラマの構成や脚本も手掛けてきた彼のことだ。過去にも、映画監督業のオファーはあったに違いない。

高須光聖
1963年12月24日生まれ。兵庫県尼崎市出身。B型。大学卒業後、ダウンタウンの松本人志に勧められ放送作家の道へ。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)、『ウンナンの気分は上々』(TBS系)など、多くのヒット番組の構成を担当。現在もダウンタウンの番組をはじめ『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)など16番組を担当している。また、映画『大日本人』(2007年)では脚本を手がけるなど、活躍の場を広げている。『賽ノ目坂』で初の映画監督に挑戦した。現在、『松本人志の放送室』(JFN)、『THE 放送サッカーズ』(ニッポン放送)にレギュラー出演中。また、CD「放送室」が発売中。オフィシャルサイト
撮影:糠野伸

高須 : 「映画監督の話はいままでに何度か頂いてたんですよ。2007年の12月に脚本を担当させて頂いた『蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ』(WOWOW)の一編『バライロノヒビ』のときも、『高須さん、無理だと思いますけど、監督もやってもらえません?』と。でも、これまでは時間的な余裕もなかったし、何よりも自分に撮る自信がなかったんですよね。だから、お話を頂くたびに『あ~、そうですね~』って感じで流しつつ、お断りしてたんです」

とはいえ、監督という仕事に興味がなかったわけではない。むしろ、その逆。思春期のころから、彼の夢はほかでもない"映画監督"だった。

高須 : 「昔からずっと映画が好きで、撮りたくて、撮りたくて……。高校時代に自分で本を書いて芝居をやったり、CMみたいなものを撮って賞に応募したこともあったんですよ。もちろん落ちましたけどね(笑)。でもまぁ、『映画監督になれたらええけど、なれんやろうな』くらいの気持ちやったから、そのまま特に何もせずに大学も卒業してしまったんです。そんなときに『どうしようかな』と思ってたら、松本人志が『放送作家になれへんか?』って。また、松本も前から僕が映画監督になりたいことを知ってて、『放送作家とかやってれば、いつか映画監督にもなれるんちゃう?』って、えらい簡単に言うもんですから(笑)、流れ流れて放送作家になったんです」

仕事をしていくうちに"自分で作った設計図がテレビ番組として形になる喜び"に取り付かれ、莫大な数のレギュラーを抱える売れっ子放送作家に。それでも、映画監督への夢はまだ諦めていなかった。

高須 : 「三木聡(放送作家・映画監督)さんと一緒に仕事してたときに僕、よく漠然と『映画監督になりたい』って話をしてたんですね。で、三木さんもずっと『高須くん、向いてるよ。撮りなよ』って言ってくれてたんですよ。でも、気づいたら、僕より先に三木さんが映画を撮ってた! あの人、『自分も撮りたい』なんて一切言ってなかったのになぁ……(笑)。でも、僕には三木さんみたいにバチッと映画監督をやれるような自信もまだついてないし、そのまま放送作家を続けてたんですけどね」

そんな彼が、なぜ今回はメガホンを取ることを決意したのか?

高須 : 「たまたま吉本興業さんから『100本映画ってのがあって、みんな撮ってるから、高須さんも気楽な感じで撮ってみませんか?』って言われたんですよ。撮るのも30分ぐらいの作品っていうし、それやったら楽しそうやし、自分にもできそうやなって。それで『やらせてもらえるんなら、やります』って、手を挙げたんです。だから、別に自分から一生懸命『撮りたいんです』ってアピールし続けた末に、夢がかなったわけじゃないんですよ。たまたま放送作家を続けていたら、やらせて貰えたというか、かなってしまったというか……」

放送作家になって約20年。親友・松本人志の"えらい簡単"な予言は、見事的中したのだ。