――当時、東映にいらした中村光毅さんともお知り合いになられて。
「中村光毅さんが入ってこられたり、日活から鳥海尽三さんていうシナリオの方がみえたりして、だんだん製作がやりやすくなってくるんですけど」
――『マッハGoGoGo』は、その『宇宙エース』に次ぐタツノコプロ制作のアニメ第2作になるわけですが、その誕生のいきさつをお聞かせ願えますか。
「2作目のことは、当然『宇宙エース』を作ってる最中に考えるんですけど、社長の吉田竜夫さんのほうから、『今度、こういうのやりたいんだけど』と言われまして。ところが私の第一声は、『いや、そんなのできませんよ』だったんです(笑)」
――それは、どうして?
「いや、吉田さんの絵っていうのはご覧のとおり、ガッチャマンもそうですけど、かなりしっかりした絵なんですよね。で、それまでのアニメーターの常識としては、アニメの絵というのは省略の絵だと。ただ、それがうまけりゃ動いているように見える、という常識があったんですよ」
――1作目の『宇宙エース』の絵もそうですし、当時、虫プロさんの『鉄腕アトム』も東映動画さんの『狼少年ケン』も……。
「そうですね。あの程度のものがアニメなんだと。で、あのタツノコ独特の挿し絵みたいな絵が動くというのは、もうアニメじゃない……論外なんですね。自動車だって、虫プロやディズニー映画を観ると、止まるときも『キー』って縮まって『ビローン』とまた伸びる。そういうのがアニメだっていう感覚がありますから」
――そうでしたね、当時のアニメって(笑)。
「だから吉田さんの絵柄は、絶対アニメ向きではないというのも、なにか常識みたいになってたんです。マッハ号ができたときには、まるでそれが違ってるわけですよ。もうスピンだとかね、ホントに実写に近いようにしようというわけですから、『これは、アニメじゃない』っていう人が、スタッフの中にも少なからずいました」
――それでも、吉田さんとしては、やってみたいと。
「やっぱり、吉田さんとしては、自分の画風で作りたいわけですよ。そりゃそうですよ、自分でプロダクション立ち上げたわけですから。とにかく『やろう』と。それで作監、今の言葉で言うと、作画監督っていうんですけれども、吉田さんは社長なんで社長室へ入るんですけれども、朝から晩まで絵の直しですよ。アニメーターが描いてきた絵を上から赤鉛筆で自分流に直すんです。その作業を朝から晩までやってね(笑)。あれもつらかったと思うんですけれども。だって、本人にしか直せないんですもん。我々だってもう手に負えないです」