UDデジタル教科書体は、学習指導要領に準拠し手書き時の手の動きを重視したデザインのフォントです。同フォントは、弱視やディスレクシア (読み書き障害) に配慮した "読みやすさ"を、検証を重ねながらデザインされています。

障害の有無にかかわらず全ての人に伝わりやすい――UDデジタル教科書体がもつユニバーサルデザインとしての特徴は、単に読みやすさだけではない可能性を秘めています。フォントを変えると伝わり方が変わる。それが、学校教育の中で "伝えるための工夫" を意識するきっかけとなる。そして、教員にとっては授業の質的向上、児童生徒にとっては "自分の考えを伝える力" を育むことへと繋がります。

全国でいち早く UDデジタル教科書体が持つ可能性を見出した奈良県教育委員会は、現在、県内の学校を対象に、同フォントの導入を推進しています。Windows 10 には標準で UDデジタル教科書体が実装されていることを踏まえて、児童生徒や教員が教育活動で利用する PC の Windows 10 への 移行を加速させています。奈良県教育委員会が推し進める試みは、全国紙でも大きく取り上げられるなど、新しい教育を支える 1 つのアプローチとして注目を集めています。

なぜ、フォントを変えることが教育の質的向上につながるのか

奈良県教育委員会では 2017年度から、UDデジタル教科書体の導入をスタートさせました。県立学校の教員が利用する校務用コンピューターを対象とし、UDデジタル教科書体を標準で備える Windows 10 への移行を実施。現在は、対象を市町村立の学校にまで広げることを推進しています。

「UDデジタル教科書体は教育において有用なのは間違いありません。ただ、まだまだ知名度はあまり高くありません。世の中に知られれば、きっと当県と同じ動きが各地で生まれてくるでしょう。」こう語るのは、奈良県教育委員会 奈良県立教育研究所 教育情報化推進部 主幹の小崎 誠二 氏です。

全国に先駆けて UDデジタル教科書体の本格導入を推進している奈良県教育委員会。最初は、主にディスレクシアを抱える児童生徒が通う学校に限定した導入が検討されたといいます。小崎 氏は、導入当初のことを次のように振り返ります。

「ある中学校の先生から "ディスレクシアの生徒が”高校受験をするので、視認性の高いフォントを採用してほしい という要望を受けたのがきっかけでした。はじめは特定の児童生徒を対象にした対応策として検討をはじめましたが、その過程で UDデジタル教科書体を知り、採用を検討する中で同フォントが持つ教育の質を変える可能性を感じたのです」(小崎 氏)。

奈良県教育委員会はどのような可能性を UDデジタル教科書体に感じたのでしょうか。小崎 氏とともに同フォントの検討に携わった奈良県立香芝高等学校 校長 (取材時) の殿村 孝平 氏は、こう説明します。

「授業を行っている先生方に UDデジタル教科書体を見てもらったところ、皆がすぐ "これは見やすい" "伝わりやすい" と気付いてくれました。驚いたのは、その後の議論の発展です。UDデジタル教科書体を導入するかどうかだけでなく、どのような工夫をすればより "伝わる授業" づくりができるのかという議論につながっていったのです。"フォントを変えるだけで伝わり方が変わる" という体験が、"伝えるための工夫" を意識するきっかけになるのだと感じました。先生方が自ら自分の授業を "伝わる授業" へと変えていく。もしかすると、同フォントを見た児童生徒も伝え方を意識するようになるかもしれない。こうした可能性があると判断し、校内での導入を決めました」(殿村 氏)。

  • 香芝高校では授業中に投影する電子教材や配布プリントだけでなく、試験問題や保護者向けに活動を報告する広報誌など、全ての文書で UDデジタル教科書体を利用している。殿村 氏は、「広報誌を見た保護者の方から "フォントが変わりました?" "見やすくなった" という声も頂いています。先生方や保護者の方々など児童生徒の周りにいる大人がこうした体験を機に "伝えるための工夫" を意識するようになる。このことは、教育において大いに有効でしょう。」と語った

UD デジタル教科書体を標準で備える Windows 10 に着目し、県内全域への導入を推進

香芝高校が UDデジタル教科書体を全面的に導入したのは、2018年度のことです。同校は UDデジタル教科書体を提供するモリサワ社と奈良県教育委員会が提携している契約に基づいて、すべての教員が同フォントを利用しています。

小崎 氏は、県内で広く取組を拡げることができた大きな要因として、2017 年 10 月に実施された Windows 10 Fall Creators Update における UDデジタル教科書体の標準搭載に言及します。

「先生方が利用する PC をアップデートするだけで UD デジタル教科書体が広く利用できるようになる。これは大きなインパクトでした。先ほどお話したとおり、UD デジタル教科書体が利用されていないのは単に知名度の問題だと考えていますから、香芝高校の実践を知って "うちでも利用しよう" となる学校は多いでしょう。そうした際、個々にフォントを導入してインストールするのではなく、Windows 10 の PC を開けばすぐに利用できるのですから、"わかりやすく伝わりやすいレイアウト" が県内へと加速度的に広がっていくだろうと思っていました」(小崎 氏)。

奈良県内で広がっている "わかりやすく伝わりやすいレイアウト" について、UDデジタル教科書体の導入を推進している香芝高校の授業を例にみてみましょう。同校では移動が容易な机と椅子に2in1のタブレットPC、Wi-Fi、電子黒板を備えたAL教室を整備しています。ただ、授業の全てを ICT 化しているのではなく、生徒や学習の内容に合わせて効果的にICTを活用することで、生徒の理解をより深める、そんな授業づくりを進めています。

国語の授業を担当していた、奈良県立香芝高等学校 教頭 飯田 浩司 氏は、UDデジタル教科書体の特徴について触れ、フォントを意識するという気運が校内に広がっていると語ります。

「配付するプリントは、枚数を少なくするためにどうしても文字を詰めて作成することとなります。一般的に利用される明朝体ではどうしても読みづらく、またパッと見た時の圧迫感も大きいため、生徒の "学ぼう" という意識を削いでしまう可能性があります。UDデジタル教科書体は文字を詰めていてもこうした圧迫感が少なく、視認性も確保することが可能です。もちろん、全ての文字を同フォントにすることが正しいわけではありません。インパクトを付けて情報を伝えたいならば、ゴシック体などを活用すべきですし、アルファベットや数字などはメイリオの方が見やすい場合もあります。私は国語の担当ですから以前からこうしたフォントを意識して授業づくりを進めてきましたが、UDデジタル教科書体の導入後、私と同じく、フォントを意識した "伝え方の工夫" を行う先生が校内で多くを占めるようになりました」(飯田 氏)。

  • 飯田 氏が述べたように、UDデジタル教科書体では間隔が詰まったドキュメントであっても視認性が担保できる

続けて、数学、情報の授業を担当する奈良県立香芝高等学校 教諭 STEAM教育エバンジェリスト 川下 優一 氏は、授業においてどのような工夫を行っているのか、説明してくれました。

「私も UDデジタル教科書体の導入後、伝え方を意識しながらフォントを使い分けるようになりました。また、それ以外にも様々な工夫を授業の中で取り込むようになりました。例えば細かなことですが、ゴシック体と教科書体を意図的に使い分け、余白や行間などを意識してプリントを作成しています。また、問題を解決する授業では、積極的に生徒に PCの 利用を促し、また周りの生徒と話し合いながら生徒自身で問題を解決させる仕掛け作りをしています。今日の教育では、主体的・対話的で深い学びの実現の視点からの授業改善が重要視されています。その中で、"自分の考えをまとめて発信する"という場面を私は増やしています。まず指導者がフォントをきっかけとして様々な工夫をして学習内容をしっかり伝える。生徒はここで得た情報を基にして紙や、ホワイトボード、ICT機器など、手段を問わず自分に合う方法で考えをまとめて発信する。こうしたサイクルが、主体的・対話的で深い学びを実現するきっかけ、1つの手法になると考えています」(川下 氏)。

  • 川下 氏の授業の様子。生徒は手元にある PC や紙を用いて自分の考えをまとめながら、学びを深めていた

  • 配布するプリントや電子黒板で提示する電子教材など、様々な授業シーンの中で UDデジタル教科書体が利用されている

教員の工夫が、児童生徒の "伝える工夫" を育むことにも繋がる

"伝わる授業" "主体的・対話的で深い学びの実現の視点からの授業改善" に向けた工夫は、香芝高校の様々な授業の中で見て取ることができます。川下 氏の情報の科学の授業では、AND、OR 回路などの論理回路への理解を深めるためにMinecraftを利用し、そこで得た知識を用いてPC、ホワイトボード等を活用しながら問題を解決していました。概念の理解が難しい学習テーマであっても生徒が前のめりになって授業に参加する、そんな授業づくりが進められているのです。

  • 川下 氏の授業では、Minecraftを利用して AND回路や半加算回路に関する解説が行われていた (上)。この学びを基にして生徒同士がディスカッションを行うことで、難しい学習テーマであっても生徒は積極的に授業に臨めている (下)

川下 氏は、「単に生徒の理解を深めるだけでなく、生徒の中にある"自分たちで問題を解決しよう" "伝え方を工夫しよう" という意識にも好影響を与えていると感じます。私はコンピュータ部の顧問をしていますが、部員が校内で配付、掲示するために Microsoft Word や Microsoft PowerPoint で作っている資料を覗くと、UDデジタル教科書体が利用されているのです。なぜ? と聞くと、"先生がいつも使っているから" "見やすくてこの方がいいと思ったから" という返事が返ってきます。」と語り、同校の工夫は生徒の伝える力、表現する力を育むことにも繋がっていると強調します。

続けて飯田 氏は、「UDデジタル教科書体の導入以降、授業の在り方を工夫する先生の姿をこれまで以上に見るようになりました。川下先生の例にもあるように、こうした工夫は生徒にもきっと伝わります。"伝える工夫" や主体性といった、授業内容を超えて知識・意識を育む教育へと変わっていくことを期待しています。」と述べました。

地域が一丸となって、子供たちを育んでいく

奈良県の教員が進めている授業の工夫は、児童生徒だけでなくその保護者にまで認知が広がっています。

殿村 氏は、「生徒が持って帰る配布物を見た保護者の方から、"教育の質的向上を図ろうとしていると感じました" といったコメントを頂いています。インターネット上でも "配布物が見やすくなった" "UDデジタル教科書体らしい" といった反応が生まれています。今日の教育は、学校教育だけでなく家庭や地域と一緒になって児童生徒を育んでいかなければなりません。このような保護者や地域の皆様の声が、児童生徒の周りにいる全ての大人の "伝え方の工夫" に繋がっていくのではないかと考えています。」と語りました。

地域とともに子供たちを育んでいく。こうしたムーブメントを起こしていくために、小崎 氏は「奈良県教育委員会としては、フォントの導入に留まらない様々な取組を学校と協働して取り組んでいきたい」と述べます。

「多くの先生方が、教育の在り方をより良く変えていきたいという気持ちを持っています。また、保護者や地域の方々が持つ教育への期待も大きいです。UDデジタル教科書体のように誰が見ても分かりやすい取組を推し進めることは、先生方や地域の皆様の中にある "教育への火" を灯す意味で大いに有効だと考えます。こうした小さな試みを着実に進めることで、新しい教育の波が生み出されるのではないかと思います。次代を担う子どもたちが主体的に物事を考えるようになる。自らの思いや考えを分かりやすく伝えることができるようになる。そうなれば、社会はどんどん良くなっていくはずですから」(小崎 氏)。

Windows 10 が標準で備える UDデジタル教科書体を活用して、学習内容を伝わりやすくする。これだけでは、教育の変革という大きなテーマへの影響力はそれほど無いように映るかもしれません。しかし、同試みをきっかけにして教員の "伝え方の工夫" が加速している奈良県教育委員会の例は、今日の教育的課題を解消していくきっかけになる可能性を感じさせてくれます。同県の取組を機に、同じような試みが全国に広がっていくことが期待されます。

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