鉄道総合技術研究所は、旧国鉄の試験研究を引き継ぐ法人で、鉄道に関する総合的な研究所だ。同研究所は主にJRグループ7社が拠出する負担金で運営されており、鉄道を支える技術開発や研究開発を、様々な角度から行っている。
JR各社から要望のあがる短期スパンのテーマから、5~10年後を見据えた長期的なテーマ、更には国交省など公的機関からの要望に沿った研究などが同研究所では行われているが、その多くの分野で、MATLABが活用されているという。今回はその中でも、MATLABを利用して(鉄道の)乗り心地の研究をおこなっている、人間科学研究部 人間工学 主任研究員 中川 千鶴 氏(博士)へのインタビューから、鉄道を支えている技術の今とこれからについて、紹介していこう。
乗り心地の研究では、振動という物理量が人間に与える印象を捉えることが不可欠
言うまでもなく、各鉄道会社では、(まずは安全性の確保を前提とした上で)快適性や利便性、更にいえば「鉄道の魅力」といったものを深めてゆくといった努力が、日々行われている。中川氏はその中でも快適性について、「『適』した環境」と「『快』感と感じる」という2つに分けて考えることができると説明する。
「私の研究テーマは『乗り心地』を振動の面から捉えるというものです。これは『適』に属する部分と言うことができ、一般的に言えば乗客が意識しないレベルにまで振動が落ちることが望ましいです。一方、『快』については多分に感性的な要素ですので、接客態度であったり車両の内装であったりと、様々なファクターが絡んだものとなります。この『快適の定義』が難しい点は、たとえば古い列車の振動が、人によっては快感と捉えられる場合もあるということです。つまり、『適』が『快』を上回ることはないが、逆はありえる、ということです。そうすると、必ずしも振動を軽減することだけが正しいのではなく、『不快な振動』を見極めた上で軽減することが重要になります。研究者はつい物理量に走る傾向にあり、感性の事を忘れがちになるので、そこは常に意識するようにしています。」(中川氏)
ところで、振動の軽減は、運転技術だけでなく、車両や軌道(レール)にも起因する。そのため、同研究は、車両や軌道分野のスペシャリストとも連携しながら進めなければならないテーマだといえる。中川氏は、そこでの自身の役割について、「(どの振動がどれくらい不快かの)翻訳者」だと表現する。
「人間というのは、不快に感じる振動に周波数的な特徴があります。たとえば上下方向では5Hzが不快と感じやすいのですが、これが左右になると2Hzで不快と感じるのです。あるいは、立っている人には左右の2Hzの揺れが非常に不快に感じるのですが、座って背もたれに背をつけている状態だとこの左右2Hzの揺れはあまり問題にならなくなります。さらに、単純な上下/左右の揺れだけでなく、これらの揺れが組み合さるとより複雑となり、不快に感じやすくなります。このように、快と不快の判断は、単に物理量だけでなく、人間の特性を反映した重み付けフィルターを掛けないと正しい判断ができません。しかし、技術屋は自分が測定したデータで判断しがちです。振動という物理量を、人がどう不快に感じるかという指標に翻訳をするのが、私の仕事だと考えています。」(中川氏)
ビッグデータ化する研究データ
人体振動の国際規格ISO2631では12軸(座面・背もたれ・床での、3軸+回転)の振動から算出される指標が推奨されている。また、人体振動研究としては、クッションの影響を排除した硬い座席で実験を行うのが王道である。しかし、中川氏は、それが乗客の実際の状況と乖離が大きいとして、あえて新幹線や在来線などの様々な「実用場面での座席」を用いて基礎データを取得したという。振動に対する人間の特性を調べる膨大な基礎データを積み上げ、日本の鉄道乗り心地を推定する乗り心地指標の開発が行われた。この際の分析ツールとして、MATLABが使われてきた。
最近では、開発した乗り心地指標と、乗り心地に関わる様々な情報を一元的に表示し、分析するシステムの開発に取り組んでいる。このシステムは、車両分野、軌道分野など、乗り心地に関係する様々な技術分野に、振動を乗り心地に「翻訳」することが最終目的であるため、扱うデータ量は増加の傾向にある。さらに、最近では営業車(実際に旅客を運ぶ車両)でデータを取る流れに変わってきており、走行するほどデータは増加していく。いわゆるビックデータの領域になってきているのだ。
中川氏は、「ビッグデータを単純な指標に落とし込むことで、振動の日々の変化が把握しやすくなり、例えば、メンテナンス効果を乗り心地の観点で確認したり、同一線区を走る車両の違いなど、様々な比較が簡単にできるようになります」と、収集データが増大することの利点を語るが、膨大なデータの収拾や分析は、容易なことではない。今後、MATLABの活用を踏まえて検討が進められる予定だ。
また、中川氏は人間工学の専門家でもあり、「使われない指標など、『絵に描いた餅』にすぎない。」と断言するほど、ユーザビリティにこだわっている。このため、分析ツールは、振動から乗り心地を推定するのはもちろん、既存の線路情報(トンネルや分岐器、レールの継ぎ目、レール変位情報)と併記する機能や、動画像との同期表示、車両の現在位置や速度をGPSにより割り出しリアルタイム処理で分析する機能など、多岐に渡る。中川氏の研究ではこれらをMATLABで構築している。
「大学時代からMATLAB を20年以上ずっと利用しており、これまで構築したMATLABベースのプログラムを活かしたいということもありました。データ取り込みはもちろん、画像との同期、GPS情報を取り込んだリアルタイム処理など、難易度の高いシステム構築は、自力では不安がありましたが、ツールを提供するMathWorksのコンサルティングによるサポートを受け、イメージ通りのシステムになりつつあります。また、当研究所内には異なる分野でもMATLABユーザーが多く、データやプログラムのやり取りがしやすいという利点もあります。速さやビジュアル、使い勝手など個々の部分で勝る複数のプログラムやシステムを組み合わせる方法もありますが、1つのプログラムで一貫して構築できる点や、様々な分野間のプログラムシェアなどを考えると、MATLABの利点は大きいと思います。」と、中川氏は同システムにMATLABを採用した理由を説明する。
Toolboxを活用した加速度波形解析を、乗り心地評価へ
「当研究では、データの取り込みにData Acquisition Toolboxを、取り込んだ振動データを人間の感性にもとづいて変換する工程にSignal Processing Toolboxをそれぞれ利用しています。当研究では、生の加速度データから『人間の振動に対する不快感』を推定するためのフィルタリング機能が肝です。MATLABの環境では、フィルター設計やフィルター処理などで、データの分析と加工がコマンド1つででき、とても役立っています。」(中川氏)
中川氏がこのように語るとおり、MATLABを利用して開発したアプリケーションでは、サンプリングした3軸の振動データをもとに、複合振動乗り心地推定(3軸の動きを全て加味した上で乗り心地を推定する値)やスペクトル分布を自動計算し、それを様々な実測データや、トンネルなどの構造物、カーブや高低差、路盤といった軌道情報とともに一覧表示できる。同アプリケーションがユニークな点は、さまざまなソースから収集したデータを合わせこみ、1つの画面上で表示させることが出来る点と、時間軸と距離軸とを即座に切り替えて不快度を見える化できる点にある。
「車両屋さんは、時間を軸にして実際のデータを分析する傾向にあります。一方、レールを管理する軌道屋さんは距離を軸に分析することが多く、それぞれ異なる文化があります。その双方へ、人間の感覚を翻訳できるように、たとえばある地点で不快な振動があった、という場合に、車両屋さんは『それはどの方向のどんな周波数成分か』を見ることができ、軌道屋さんは『それは何Km地点で線路の変位状態がどんな箇所で生じたか』と見ることができます。この切り替えロジックや、ユーザビリティを意識した画面構築についても、MathWorksコンサルティングの支援をいただきながら構築しました。」(中川氏)
データアナリティクス環境を構築
鉄道総合技術研究所には、「鉄道の安全、技術向上、運営に貢献するダイナミックな研究開発活動を行うこと」という使命がある。その使命のとおり、中川氏の研究は、各鉄道会社が自身で振動結果を翻訳し、快適な乗り心地を追及していける世界の実現を見据えている。開発したアプリケーションは現場からも活用のニーズが高く、MATLAB Compilerを用いることで配布も可能となるため、今後は、ユーザビリティも含め、現場ニーズに対応したシステムへと仕上げていく予定だという。同氏の研究が起点となり、世の中の鉄道の乗り心地がさらによくなっていくことが期待される。
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