全国 347 カ所で高齢者向けホームを展開する、ベネッセグループの会社であるベネッセスタイルケアが、AI / ML(人工知能/機械学習)を活用した認知症ケア支援の取り組みを本格化させています。同社では 2017 年から、ご入居者様の日々のご様子等を記録するための介護記録システムである「サービスナビゲーションシステム(以下、サーナビ)」を自社で開発・運用しています。また、高い専門性と実践力を持つ介護の匠を「マジ神」として人事制度化し(以下、マジ神制度)、人財育成に活かす取り組みも推進してきました。今回、サーナビに蓄積された膨大なデータと、ホームへの導入を開始したさまざまなセンサーデータ、そして、マジ神制度を結びつけ、「マジ神AI」ソリューションの開発を開始しています。マジ神の「気づき」をいかにナレッジ化し、どう現場で活用しようしているのか、担当者に話を聞きました。
介護の匠を「マジ神」として人事制度化、その知見やノウハウを AI で現場適用
「Benesse=よく生きる」という企業理念のもと、教育から介護・保育、生活の分野で、一人ひとりの向上意欲と課題解決を一生涯にわたって支援しているベネッセグループ。同グループにおいて介護・保育事業を担う企業として、特に介護領域で「その方らしさに、深く寄りそう。」を事業理念とし、全国 347 カ所で高齢者向けホームを展開(2022年8月現在)しているのがベネッセスタイルケアです。
少子高齢化が進むなか、介護サービスを必要とする高齢者の増加に対して、介護分野での働き手は慢性的に不足している状況です。ベネッセホールディングス データソリューション部 兼 ベネッセスタイルケア 介護DX推進部 副部長の宮下 ゆかり 氏は「需要は高まる一方であるにもかかわらず、根本的な人財不足解決は道半ば」と指摘します。
「厚生労働省の資料によると、2025 年度に必要な介護職員は約 243 万人で、約 32 万人の介護職員が不足する見込みです。また 2040 年度には 280 万人の介護職員が必要で、約 69 万人を追加で確保することが求められています。そんななか、ベネッセスタイルケアでは『介護職の社会的地位を上げたい』という強い想いを持ち、その信念に沿った制度の導入や施策を実行しています」(宮下 氏)。
そうした制度の 1 つが「マジ神制度」です。ユニークなネーミングは、入社 2 年目のスタッフが、ベテランスタッフの対応を見て「〇〇さん、マジ神っすね!」と驚いたことに由来します。あるホームで、ホーム内のスタッフが、対応が困難な認知症のご入居者様への対応に苦慮しており、そこに高い認知症ケアスキルを持つベテランスタッフが支援に訪れたところ、ほんの数時間のうちにそのご入居者様が笑顔になったそうです。
「マジ神制度は、ご入居者様の QOL(Quality of Life=生活の質)向上や目標の実現のために、根拠を持って課題を解決し、チームを牽引する『介護の匠』のスキルセットを言語化し、社内資格としたものです。『認知症ケア』『安全管理と再発防止』『介護技術』の 3 つの資格があり、専門資格を取得した社員には資格手当を支給します。また、『マジ神』たちが培った知見を言語化し、研修を体系化することで、次の『マジ神』の育成につなげています」(宮下 氏)。
ベネッセスタイルケアでは、マジ神が持つノウハウやスキルを AI / ML(人工知能/機械学習)などの最新テクノロジーを活用して、現場の誰もが実践できるようなシステムの開発に取り組んでいます。それが「マジ神AI」です。システム基盤には Microsoft Azure(以下、Azure)の PaaS サービスが活用されています。
介護記録データやセンサーデータの活用を開始
マジ神AI は、ベネッセスタイルケアが推進する介護 DX(デジタルトランスフォーメーション)の取り組みの 1 つです。ベネッセスタイルケアが介護 DX で目指しているのは「ご入居者様のQOL最重視」です。ベネッセホールディングス データソリューション部 兼 ベネッセスタイルケア 介護DX推進部の中野 修平 氏はこう説明します。
「テクノロジーを本当の意味で活用することを目指しています。テクノロジーによる生産性向上や業務効率化という効果を否定するわけではないのですが、それを重視しすぎると、テクノロジーに振り回されることも増えてきます。例えば、高齢者向けホームにセンサーや異常検知システムを導入することは『画面ばかりみていて人を見なくなる』『アラートがなったらかけつけることを繰り返して疲弊してしまう』といった事態に陥る危険性とも隣り合わせです。そのため、まず人財を育成し、介護サービスの目指す姿を定めた後に、テクノロジーを活用していくという道筋を重視しています」(中野 氏)。
ベネッセスタイルケアでは、マジ神AI の開発に先んじて、高齢者向けホームの介護記録システム「サーナビ」を運用してきました。この、「記録のデジタル化」を皮切りに、介護記録データの分析や可視化、睡眠や離床の状態などを測るセンサーの導入などテクノロジーの活用に取り組んできました。「テクノロジーに振り回される危険性」は、このシステム運用のなかで得た気づきの 1 つでもあります。サーナビの開発に携わったベネッセインフォシェル ITサービス本部 東京ITサービス部 介護・保育サービス課 課長の金田 寿則 氏はこう話します。
「サーナビは 2017 年から運用してきており、ご入居者様の QOL 向上を実現するためのさまざまなデータを蓄積してきています。センサーデータには、体温、血圧といった基本的なものから、排泄量・形状、睡眠・覚醒のリズム、居室状態、気温、湿度などもあります。また、生活のご様子や気づきなどをスタッフが毎日文章として入力した記録もあります。これらを一部の専門家だけが見るために蓄積するのではなく、現場のスタッフにナレッジとしてフィードバックして、スタッフが気づきを得て、次のアクションにつなげられることを目指して開発してきました」(金田 氏)。
サーナビに組み込まれ、「マジ神でない職員でもマジ神に近い判断ができるようにする仕組み」を目指すソリューションがマジ神AI です。マジ神AI によって、テクノロジーに振り回されることなく「人だからこそできること」という観点で人財育成を進め、ご入居者様の QOL 向上を図っていくというわけです。
「BPSD の要因予測」を AI ソリューションとして実装
マジ神AI の構想は 2021 年に始まりました。マジ神の気づき・見立て力、仮説構築力をもとにした「ケアヒント」を、毎日スタッフが利用するサーナビに埋め込んで表示したいと考えました。はじめに取り組んだのは、「BPSD(認知症に伴う行動・心理症状)の要因予測」です。
BPSD の要因予測は、認知症の周辺症状である不安や徘徊、異食、睡眠障害、暴言などが見られたときに、その要因を「睡眠の不足」「排泄の不調」「食事量の減少」など多様な変数から予測して改善ポイントとして示します。この改善ポイントをヒントとして、ご入居者様の状態を表すさまざまなデータを二次的に表示しているダッシュボードを読み解いていく UI と動線を想定しています。例えば『睡眠』という要素が改善ポイントとして上がってきた場合、関連しそうなダッシュボードのうち睡眠時間や覚醒リズムにまずは着目して確認する、といった使い方ができます。スタッフが日々入力する介護記録データに加え、センサーを導入したことで、これまでとは異なった観点が加わりました。一方で、これら機械的に取得される膨大なデータに圧倒されてしまう、扱い方がわからないというデメリットもあります。要因予測機能が、データを読み解くガイドラインのような役割になることを期待して開発しています。
現在、機械学習の結果は補助的機能としての活用にとどまりますが、今後は「どのような介入をすべきか」を具体的に示す AI を開発していく予定です。
このマジ神AI は、2021 年 10 月から本格的な構築が始まり、2022 年 3 月にまずは「BPSDケア支援ダッシュボード」としてリリースを迎えました。現在は高齢者向けホーム 31 拠点に展開され、介護スタッフ、機能訓練指導員や看護スタッフなど多職種での活用が進んでいます。
マジ神AI の基盤に Azure を採用した背景について、宮下 氏はこう説明します。
「機械学習モデルを含めた各種ロジックを AI ソリューションとして実装するため、クラウドサービスの活用を前提として考えていました。ベネッセグループのクラウド基盤として Azure を活用しており、グループ内部知見の有効活用、他システムとの連携のしやすさ、アカウント管理の一元化などのメリットがあると判断し、Azure を選定しました」(宮下 氏)。
システムは、インフラ構築、アプリ開発、モデルの設計から開発、実装までのすべてをグループ内製で開発しています。ただ、サーナビと BI ツールはオンプレミスで構築していたため、既存のデータをどう Azure に連携し、機械学習処理を行うかは大きな課題になったといいます。
内製化を推進する一方、MLOps 基盤構築でマイクロソフトの技術支援を活用
システム構築時の課題について、金田 氏はこう解説します。
「システム要件として検討したのは、センサーデータを中心とした Azure 以外のクラウドとのデータ連携、オンプレミスとのデータ連携、AI / ML 実装方法、データ処理方法・方式などです。特に、クラウド ETL サービスと機械学習を組み合わせたサービス構築に関しては、社内に事例・知見がほとんどなかったため、積極的にマイクロソフトのクラウド ETL サービス、また MLOps 構築に関するマニュアルを参照したり、サポートに助けていただいたりしながら開発していきました」(金田 氏)。
サポートにあたった日本マイクロソフト クラウドソリューションアーキテクトの大髙 領介 氏はこう話します。
「ベネッセグループ様として適切なチーム編成ができていたことが、内製開発を推進できたポイントだと思います。ベネッセホールディングス様のAIチームやセキュリティチーム、ベネッセスタイルケア様のアプリチームや業務チーム、ベネッセインフォシェル様のインフラとアプリチームがご入居者様のQOL向上に向けてそれぞれの役割を果たしながらうまく機能していました。マイクロソフトとしては、MLOps の方法論や具体的な実装を技術面からアドバイスさせていただきました」(大髙 氏)。
システムは、機械学習処理のための Azure Machine Learning(以下、Azure ML)のほか、外部データを含めたセンサーデータを収集し、オンプレミスとのデータ連携を行うための Azure Data Factory、データを蓄積するための Azure Data Lake、Azure Database for MySQL、サーバレスにバッチアプリを実行する為のプラットフォームであるAzure Functions、データ保護やセキュリティを実現する Azure Key Vault、Azure Firewall などで構成されています。
課題となっていた MLOps については、データパイプライン、機械学習パイプライン(学習・推論)、実験管理、開発管理といった各種要素を Azure ML が提供しているライブラリを使って実装することで、内製化で起こりがちな属人化やドキュメント不足といった課題をなるべく起こさないように進めることができたといいます。
AI / ML 領域の取り組みをサポートとした日本マイクロソフトの女部田 啓太 氏は、こう話します。
「ご相談やご依頼に対しわれわれが回答すると、すぐにそれを試してくださり、スピード感を持って取り組みを進めることができました。事業会社での AI / ML の取り組みでは、グループや社内の独自ルールや制約があり、現場で使ってもらえるシステムに仕上げることが難しいケースが少なくありません。今回の取り組みでは、業務部門を巻き込みながら、内製化と AI 活用に対する高いモチベーションを持って取り組まれたことで、スピーディーに ソリューションが実装できました」(女部田 氏)。
「客観的データの有用性」「多職種連携」「記録の質の向上」で効果を確認
BPSD ケア支援ダッシュボードのリリースから数カ月経ち、効果は少しずつ明らかになってきています。先行導入拠点に行ったアンケート調査では、BPSD の要因予測機能が「ケアに生かせていますか」という問いに対して、コアメンバーとして現場での活用を推進しているリーダー層での「YES」の回答は 60 %を超えています。全体への浸透はこれからという状況ですが、介護業務におけるデータ活用の芽は着実に育っています。
「活用が進んでいる施設からは前向きな評価をいただいています。具体的には『ご入居者様の状況が客観的にわかるので有意義な話し合いができるようになった』『人の目で気づけなかったことに気づくことができるようになった』といった客観的データの有用性、『薬の効果や副作用に対して興味を持つようになった』『医療的な介入が必要では、との気づきを得て協力医と相談するケースが増えた』などの多職種連携、『どんな声掛けが快・不快につながるか記録に残していくことが大切だと感じた』『スタッフの観察力が上がり、記録が増加した』などの記録の質の向上についての評価があります」(宮下 氏)。
改善のための KPI としては「ご入居者様の QOL 向上(BPSD の減少、睡眠・排泄の質向上、気分意欲の向上、転倒など重大リスク減少)」「スタッフ育成(モニタリングやプランニングの質向上)」「スタッフの満足度向上」を設定しています。特に BPSD については、取り組み前よりも良化しているケースが出てきているとのことです。
また、Azure が果たした役割については、中野 氏はこう評価します。
「BPSD の要因予測では、現場スタッフが日々入力しているテキストデータについて自然言語処理を行うことで BPSD 有無・要因を予測するモデルを構築し、推論処理も進めています。また、日々新しいテキストデータが蓄積されるため定期的にモデルをアップデートしています。また、さまざまなセンサーデータを収集・加工して、機械学習を行い、現場スタッフがすぐに活用できるようにしています。単なる分析ではなくソリューションにまで昇華すること、それを内製化して事業側にモデル構築と実装を引き込むことは、Azure のサービスがなくては実現できませんでした。さらに、これらを標準的な仕組みで構築し、社外の基盤を含むクラウド間連携が可能になったことで、今後、さまざまな機能を開発していくための基盤をつくることができました」(中野 氏)。
認知症ケア支援にとどまらず、ご入居者様の QOL を向上させるソリューションに育てていく
ベネッセスタイルケアでは今後、マジ神AI ソリューションを全拠点に展開していく予定です。また、領域としても、認知症ケア支援のみでなく、広く QOL をとらえながらモニタリングやアセスメント業務を支援できるソリューションに育てていく方針です。
「世の中が目まぐるしく変化していく中、ベネッセグループとしても、お客様のニーズに追随して本当に必要なサービスを届けるために変化する仕組みが今まで以上に必要となっています。そのなかでは、基盤となるシステム側の柔軟性や変化適応力がそのままサービスの変化適応力に反映されてくる場面が多くなると考えています。変化への対応を言葉だけで終わらせず、仕組みに落とし込む、使う側の対応力とリテラシーも上げていく、そんな地道な作業を持久力戦で実現する覚悟が必要だと感じています。ベネッセスタイルケアでは『テクノロジーを活用してご入居者様とスタッフの QOL を向上させる』という芯をぶらさず、『科学的介護』を目指してソリューションを育てていくつもりです」(宮下 氏)。
また、マイクロソフトのサービスについてもこのように期待を寄せています。
「データサイエンティストや分析組織における属人化解消や育成の観点から、Microsoft Purview を用いてデータや処理定義の可視化やドキュメント管理のコストが削減できるのではと期待をしています。また、マイクロソフト製品との親和性との観点から、Microsoft Power Automate やMicrosoft Power Appsなど周辺機能との連携によって、さらなる意思決定の支援や業務効率化につなげられるのではと考えています」(中野 氏)。
「現在は主にサーバレスコンピューティング、バッチ処理の実現までとなっていますが、今後はさまざまなセンサー機器の活用やデータの発生パターンに応じて、小ロットでのリアルタイム処理の用途にも対応できるよう、Azure Storage や Azure Functions などを Azure Event Grid と連携させたイベントドリブンアーキテクチャに移行することや、外部のさまざまなパートナー会社様と連携するため、 Azure API Management を活用した API 構築などにも取り組んでいければと考えています」(金田 氏)。
介護 DX は社会課題の解決に向けた取り組みであり、そこに向けて人財の育成がますます重要になってきています。ベネッセグループの介護 DX を、マイクロソフトはテクノロジー面から今後も支援していきます。
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