2023年11月8日~10日に東京・虎ノ門ヒルズフォーラムで開催された「Claris Engage Japan 2023」。例年、業務システムの開発・運用に関するセッションや、企業や団体におけるClaris FileMakerの導入事例などが数多く発表されている。新型コロナウイルスの影響を受け2020年よりオンライン開催となっていたが、2023年は4年ぶりのリアル開催となった。

さまざまなセッションが行われたが、なかでも目をひいた事例セッションのひとつが、日本航空株式会社(以下、日本航空)の発表だ。日本航空は、パイロットや客室乗務員らが自らFileMakerを使ってローコード開発を行っており、その取り組み は以前のセッションでも多くの来場者の注目を集めていた。今回は「机上から機上へ! コロナ禍でも広がったJAL の Claris FileMaker 活用の輪」と題して、コロナ禍中に行われたDXへの取り組みが紹介された。

このセッションに登壇した3人、岩崎恵実氏、池下晴美氏、上井麻子氏にインタビューした。

  • 日本航空株式会社の上井麻子 氏、池下晴美 氏、岩崎 恵実 氏の集合写真

    (左から)日本航空株式会社 運航本部 運航乗員ウエルネス推進部 兼 人財本部 ウエルネス推進部 主任 臨床心理士・公認心理師 上井麻子 氏
    日本航空株式会社 運航本部 運航訓練部 訓練審査企画室 マネジャー 池下晴美 氏
    日本航空株式会社 客室本部 客室教育訓練部 安全訓練グループ インストラクターC1 岩崎 恵実 氏

苦境のなかでいち早く進められたDX。パイロットらが「CBCT」を開発

日本航空の経営が破綻した2010年1月。これは同社にとって大きな転機だった。翌年の2011年に全従業員が持つべき価値観として40の項目を設けた「JALフィロソフィ」が策定された。逆風のなかでこのフィロソフィがベースとなって、社員一人ひとりが「お客様のために、安全のために、いま何ができるか」を考えた。

そんななか、いち早く現場起点のデジタル化の取り組みを始めたのはパイロットだった。当時、パイロットの能力を審査し、機長昇格を決める「運航乗務員訓練」の審査内容は紙に記録されていたが、世界的に主流になりつつあった「CBT(Competency Based Training)」方式の導入を検討する。CBTに関する一般的なツールは存在していたが、経営破綻の直後ということ、さらにTry & Errorで開発できる優位性からローコード開発プラットフォームFileMakerを採用し、CBT方式を取り入れた運航乗務員訓練評価システム「CBCT (Competency Based Check and Training)」を現役パイロットらが自ら開発した。

運航本部で現在CBCTを運用している運航訓練部訓練審査企画室の池下晴美氏は、「もっと航空の安全を高めなければならないという思いのもと、パイロットを中心とした社内の有志が立ち上がりました。2010年当時の運航乗務員訓練評価は、故障対応や操縦方法などの定型的な科目で構成されていました。実際の運航では予想外なことも発生します。機長に求められるCompetency(コンピテンシー:パイロットに必要な能力)を伸ばす仕組みが必要でした」と、当時の状況を振り返る。

  • インタビューに応じる池下晴美 氏

    日本航空株式会社 運航本部 運航訓練部 訓練審査企画室 マネジャー 池下晴美 氏

こうして開発されたCBCTは操縦技術(テクニカルスキル)の訓練だけでなく、問題が発生したときの対処やチームビルディングといった、ノンテクニカルスキルも評価する内容となっている。パイロットに必要な能力を見える化し、レジリエンス(困難や脅威にぶつかってもしなやかに回復し、乗り越える力)を高めることを目的としており、いまもアップデートを重ねながら運航乗務員の訓練に使用されている。

「運航乗務員も人間であり、ミスも当然あり得ます。ミスをした場合にいかに挽回していくか、航空機をコントロールするスキルだけでなく航空機を安全な状態に回復させる力もとても重要なのです」(池下氏)

  • JALが求めるレジリエンスの4つの指標

CBCTのアプリ開発も同様に、“ミスしてもカバーできる”体制を組んで、アジャイル開発に挑んだという。現場の意見をすぐに反映できる柔軟さが重要であったため、現場が内製開発を手掛けることができ、柔軟にアプリを改善し進化できるFileMakerが注目されたわけだ。

「安全な運航を実現するには、現場をよく知るパイロットが状況に応じて訓練内容を柔軟にアップデートしていく必要があります。そのためCBCTの開発においては、ガチガチに要件定義されたものを作り込んでリリースするのではなく、素早くアプリ構築し、レスポンス良く改良していくことが求められました。また、プログラミング経験のないパイロットであってもアプリ開発できることが重要でした。FileMakerはこうした要件をすべて満たしていたのです」(池下氏)

CBCTは社内でも高く評価され、「JALフィロソフィのすべてを体現している」として、日本航空内の表彰制度において最高クラスの賞が授与されたという。

コロナ禍に加速したDX、客室教育訓練部への横展開で生まれた「CTDT」「CTOD」

CBCTが高く評価されていたその頃、航空業界全体に大きな影響を与える出来事があった。2020年から広がった新型コロナウイルス感染症だ。世界的に渡航が制限され、国内線は5割、国際線では8割も旅客数が激減した。そのような危機的状況のなかで、日本航空では安全への取り組みを高めるチャンスと捉え、アプリ内製化の横展開が始まり、DXへの取り組みが加速した。

そのうちのひとつが、客室乗務員の「定期救難訓練」のデジタル化だ。定期救難訓練とは、客室乗務員が乗務資格を維持するために受ける訓練のひとつで、非常事態時における脱出の手順の確認など緊急事態発生時の対応力を測るものだ。航空局で定められている訓練であり、客室乗務員は一年に一度、必ずトレーニングを受講しなければならない。

従来の審査では紙に審査内容を記録していたため、審査を担当するインストラクターの業務は非常に煩雑だった。具体的には、いくつもの項目の採点やチェックなど、8ステップもの作業手順があったという。

そうした課題を解消するために客室乗務員によって内製開発されたのが、客室教育訓練システム「CTDT(Cabin Training Door Training)」と「CTOD(Cabin Training Overall Drill)」だ。インストラクターを担当した客室乗務員が率先し、2019年に開発がスタートしたという。プログラミング経験を持つパイロット訓練生とタッグを組み、2020年にCTDT、2021年に CTODが完成した。

CTDTでは各受講生が資格を保持している航空機の機種ごとの脱出手順やドアトレーニングなど実技審査を記録し、CTODでは緊急事態のシナリオに対し臨機応変に対応できるかを見る総合演習を記録する。

  • ドアトレーニングの実技試験の様子

    ドアトレーニングの実技試験。その場でiPadでCTDTに審査内容を入力していく

  • 総合演習の様子
  • 7つのCompetencyで評価していくCTODの画面
  • 総合演習の様子(左図)CTODを介して7つのCompetency(右図)で評価していく

CTDT・CTODの導入によってインストラクターの作業はステップが半減。客室本部 客室教育訓練部 安全訓練グループの岩崎恵実氏は、「CTDT・CTODが導入されたことで、審査業務時間が大幅に短縮されました。以前は、インストラクターが時間外業務をしなければならないほど手順が多かったのです。業務が効率化され、そのぶんインストラクターが訓練の質をより良くするために時間を使えるようになりました」とアプリ導入の効果を語る。

実際に訓練を受ける受講生は自分の審査結果を知ることはできない。しかし、アプリ導入により審査結果を可視化できるようになり、そのデータを利用してインストラクターが受講生に啓発点を効果的にフィードバックすることができるようになった.

「客室乗務員にとって一便として同じ状況のフライトはありません。訓練でも毎回得られるものは異なります。それをデータとしてフィードバックすることで、安全を追求していきたいと思います」(岩崎氏)

  • インタビューに応じる岩崎 恵実 氏

    日本航空株式会社 客室本部 客室教育訓練部 安全訓練グループ インストラクターC1 岩崎 恵実 氏

ウエルネス推進部がアイデアを出した「SAKEDULE」

日本航空のFileMaker活用の輪はこれだけにとどまらず、さらなる広がりを見せている。一例として、飲酒履歴の記録アプリ「SAKEDULE」の開発が挙げられる。パイロットの健康管理にあたって減酒指導を行ってきた、運航本部 運航乗員ウエルネス推進部の上井麻子氏は、次のように経緯を述べる。

「減酒で一番大事なのは、自分で目標を決め、自主的に実行することです。お酒は、ほろ酔い程度であれば、抑制が緩み、気分がほぐれる作用があります。そのため、手軽にストレスの発散に使われがちです。しかしながら、お酒をストレス解消に使うことは、依存のリスクや多くの臓器に深刻な影響を与えるため、おすすめできません。時差や疲労、家族と離れる時間の長い生活、業務における高い緊張状態などパイロットの置かれている環境はストレスが高く、お酒をストレス解消に使いたくなりやすい環境といえます。お酒を飲みすぎないよう健康的に、楽しみながら飲酒のコントロールをしてほしいという思いから、アプリのアイデアを出しました」(上井氏)

パイロットから要望を受け、「SAKEDULE」には航空会社ならではの“あったらいいな”を機能として組み込んだという。たとえば、運航乗務員スケジュールとの連携、時差を考慮した時刻表示、過去の自分と現在の自分とを比較した分析機能などだ。

  • 時差とフライトスケジュールが表示されたカレンダー
  • 時差を考慮して飲酒可能な時間を表示しているスマホの画面
  • 時差とフライトのスケジュールを考慮に入れて、飲酒時間を管理することができる

「せっかくアプリを作っても、面倒に感じられると使われなくなります。お酒を減らそうというモチベーションを保ち続けられることを目指しました。まだ完成したばかりなので、これから活用の定着を目指しますが、多くの運航乗務員に使ってもらいたいですね」(上井氏)

  • インタビューに応じる上井麻子 氏

    日本航空株式会社 運航本部 運航乗員ウエルネス推進部 兼 人財本部 ウエルネス推進部 主任 臨床心理士・公認心理師 上井麻子 氏

広がる FileMaker活用の輪。DX成功の秘訣とは?

日本航空は「DX」という言葉が世に出るはるか前にシステム内製化という選択をし、10年以上にもわたって現場起点のDXを積極的に進め、今もなお取り組みの幅を広げている。その原動力には、一人ひとりが空の旅を支える専門家として、部署をまたいでいても変わらない、乗客や安全に対するJALフィロソフィ「尊い命をお預かりする仕事」や、心をひとつにする「現場主義に徹する」考え方が備わっているのだろう。

池下氏は、「現場が開発を手掛ける意義は、現場の熱意が直接伝わるという点にあると思います。もし通常のシステム開発方式であったら、予算やスケジュールの問題で頓挫していた可能性もあるでしょう。CBCTから始まったFileMaker活用の輪を広げていくことで、情報が徐々に集まり、だんだん大きな柱ができているように感じます」と実感を語る。

全社的にFileMaker活用の輪を広げる秘訣として、池下氏は「いかにシンプルな構造でシステムを仕上げていくかが重要」と開発のこだわりを述べる。機能を盛り込みすぎたり、複雑にしてしまうとかえってユーザが使いにくく感じてしまい、良質なフィードバックを得られにくくなる。また、開発のハードルも上がってしまい、現場で開発に関わることができる人も少なくなってしまうだろう。引き継ぎを円滑に行うためにも凝った機能はそぎ落としていく必要があるという。

今後も現場起点のDXを広げていくために人材育成も行っている。具体的には、FileMakerの開発スキル向上を図る独自の課題を設けたり、ClarisによるFileMakerセミナーを定期的に社内開催したりなど、スキルの底上げを行っているそうだ。

池下氏と岩崎氏は今後のシステム開発の展開について次のように語る。

「運航訓練部の目標は、トレーニングマネジメントシステムの統合です。訓練スケジュールや評価結果、eラーニングなどをすべて連携し、訓練品質の向上につなげていくインナーループを形づくっていきたいと思います」(池下氏)

「紙ベースで審査をしていたときはデータがインストラクター内に留まっていました。今ではCTDT・CTODをビジュアル分析プラットフォームと連携させることで、データをさまざまな人に共有できるようになりました。現場のフィードバックを受けて改善を重ねることで、現場に即した内容にし、より安全を実現できる訓練にブラッシュアップしていくサイクルを作れたら理想的ですね」(岩崎氏)

日本航空を起点に広がる、航空業界DXの輪「安全で競争はしない」

日本航空のDXは社内にとどまらず、外部への広がりもみせている。さらなるデータ活用の取り組みとしてJAXAとの共同研究を2023年(令和5年)10月6日に発表(パイロット訓練のDX促進)。運航乗務員の訓練データから、人間がどのようにスキルアップしていくかを研究し、パイロットの育成だけでなく、社員のリスキリング、教育という観点から社会に貢献していくことも目指しているという。

  • CBCTで蓄積されたデータを用いたJAXAとの共同研究

    CBCTで蓄積されたデータを用いたJAXAとの共同研究

「当社にはさまざまな部署がありますが、“ひとつのフライトをみんなで作っていく”という責任感とプライドを持って業務を行ってきました。DXによって各部署や企業間といった社内外の連携が密になることで、業界全体でひとつの方向を目指せるといいですね」(池下氏)

また、CBCTはパイロットに求められる能力を可視化する訓練評価記録システムとして社外からも評価され、JTA(日本トランスオーシャン航空)をはじめとした日本航空グループ会社からIBEXエアラインズなどのグループ外のエアラインまで広がりを見せており、現在、日本国内のエアラインパイロットのうち3人に1人がCBCTを使用しているという。そうした広がりの背景には「安全の領域で競争はしない」という航空業界の共通認識があった。

「カンファレンスなどでCBCTを紹介していくうちに、徐々にグループ内、そして社外へと広がっていきました。航空業界は“空の安全”を目標としており、競争する世界ではありません。他のエアラインとも協調できるのです。安全の追求に終わりはありません。 昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しでも空の安全を底上げしていくことが、私どもの使命だと思っています」と池下氏は空の安全への強い思いを語り、インタビューを締めくくった。

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