かつて企業の価値を決めるものは、現金や不動産といった形ある資産、すなわち有形資産だった。しかし、昨今では有形資産以外の無形資産、特に企業が保有する「人材」に焦点を当てた「人的資本経営」に注目が集まっている。政府や投資家も人的資本に着目しており、2023年からは上場企業を対象に人的資本の情報開示も義務付けられた。もっとも、人的資本経営を実践するのはそう簡単なことではない。多くの企業において、人材という資本を生かした経営を行うには、ダイバーシティの取り組みや働き方改革、ジェンダーギャップの解消など解決すべき課題が山積みだからだ。

今回は、日本ギャップ解決研究所 代表取締役 所長の塚越学氏と、株式会社日立ソリューションズ 経営戦略統括本部 チーフエバンジェリストの伊藤直子氏の対談を実施。人的資本経営を実践するための環境づくりを企業はどう進めていけばいいのかを語ってもらった。

  • (写真)伊藤氏、塚越氏

【対談者 プロフィール】

    日本ギャップ解決研究所 代表取締役 所長
    塚越学氏

    公認会計士として、監査法人トーマツでさまざまな会社の監査業務に従事するかたわら、人財育成セミナー講師としても活躍。その後、東レ経営研究所でのチーフコンサルタントの経験を経て、2023年7月に日本における各種ギャップを解決することを目指す株式会社日本ギャップ解決研究所を設立。所長を務める。ダイバーシティやワークライフバランスに関する講演実績、著書多数。



    株式会社日立ソリューションズ 経営戦略統括本部 チーフエバンジェリスト
    伊藤直子氏

    システムエンジニアを経て、日立ソリューションズの働き方改革プロジェクトに立ち上げから参画。自社の働き方改革の推進とともに、その取り組みを生かしてさまざまな企業にソリューションを提供し、働き方改革を支援している。ワーキングマザーの経験と女性管理職という立場から、女性活躍支援や企業のダイバーシティについて講演実績やメディア出演実績を多数持つ。


なぜ日本企業は人的資本経営が遅れているのか

―昨今、人的資本経営の重要性が叫ばれるようになっています。人的資本の活用における現状について教えてください。

塚越氏:日本では2023年から人的資本の情報開示が始まりましたが、人的資本経営は米国に比べると非常に遅れを取っている状況です。米国での企業価値評価における無形資産の割合は、1985年頃はまだ30%程度でしたが、2020年頃には90%にまで増加しています(※1)。米国市場の成長の源泉は、今やほとんど無形資産で決まるといっても過言ではないのです。

一方、日本企業における企業評価のうち、無形資産が占める割合は2010年時点で15%程度、2020年でもまだ30%程度です。つまり、米国の1985年の状況と現在の日本の状況はほとんど同じです。40年近く遅れているのが日本の現状といっていいでしょう。

この事実だけを聞くと「日本企業は人を大切にする経営だったのではないのか」と感じる方も多くいらっしゃるでしょう。しかし、「人を大切にする」とは“雇用の維持”を重視したものであり、実際に働く社員が個々人の能力を最大限に引き出せるように投資をしてきたのかという点についてはあまり意識されていませんでした。この「人を大切にする経営」と人的資本経営では、一線を画する点が2つあります。ひとつは、これまでの日本企業は社員とは材料であり、“コスト”だと捉える風潮が強かったということです。たとえば社員1人は月額30万円の人件コストであり、代替可能な材料であり、業績が悪くなれば雇用は維持しますが、必要な残業や研修や福利厚生を削減します。一方、人的資本経営は、人は資本であり、人に投資をすれば価値が変動すると考えるので、業績が悪くなったとしても成長の機会を提供し、研修や職場環境改善などにリソースを割いていくでしょう。

もうひとつは、これまで多くの日本企業は、人にお金をかけるとき感覚的・経験的に行ってきたということです。たとえば「過去から実施しているから新任課長研修を今年も実施するが、研修効果がどう職場に表れているかわからない」といった話です。一方、人的資本経営は科学的に測定していくのが特徴です。「自社の経営ビジョンに対してどのような人材を育てていくべきか」と戦略を立て、「実際に今いる社員はどこが弱くてどこを伸ばしていかなければいけないのか」などをデータで測定し、実施し、評価して人財の価値を客観的に高めていくわけですね。

人的資本経営と人的資本開示の関係を木に例えると、人的資本経営は根や幹、開示は枝葉ですので、人的資本経営は、持続成長を図りたい中小企業でも必要な経営の在り方になりますが、今回、政府が上場企業に対し人的資本開示を義務化するまでスピーディに決めたのはなぜか。それは、海外マーケットと比較し、日本が低迷している原因の1つが人的資本経営の遅れだとすれば、これを開示すらしなければ、日本という国そのものが投資対象から外れてしまうかもしれないという危機感があったからではないかと思います。

  • (写真)日本ギャップ解決研究所 代表取締役 所長 塚越学氏

    日本ギャップ解決研究所 代表取締役 所長 塚越学氏

伊藤氏:「人は宝である」ということは昔から日本企業でも言われていました。ただ「宝であるならどうしていくべきか」という部分では曖昧だったと感じています。高度経済成長期は作れば作るだけ売れた時代ですから、人材とは“ある特定の目的“に対する労働力の塊と捉えられていました。そのため、従業員はその目的を果たすことができる最低限の業務レベルに達することが求められ、会社はその労働力をどれだけたくさん稼働させるかを重視していたわけです。しかし、今はもうそんな時代ではありません。作っただけ売れるわけでもなく、少子高齢化で人も減少する一方です。そのように状況が変化したことで、ようやく日本も労働力としての塊ではなく、個々人の能力に重きをおく人的資本の考え方に至ったのだと思います。

変化が激しい時代だからこそ、個々の能力を見定め最大限のパフォーマンスを発揮させる

―企業が人的資本を活用し、人的資本経営を実現するためのポイントはどこにあるのでしょうか。

塚越氏:伊藤さんのおっしゃるとおり、一定の方向に拡大している時代は、これまではある一定レベルの水準を満たした労働力を塊として考え、「欠員がでれば、その分基準を満たした人を補充する」といった考え方でしたが、先行きが不透明で将来の予測が困難なVUCAの時代はそうはいきません。これまで設けていた一定の基準という単一のベクトルだけで人材を見極めて働いてもらうのではなく、それぞれがもつ得意分野をいかに正確に見定め、その分野でどこまでも成長し活躍してもらう必要があります。多様な人材が活躍するから不確実性の高い環境変化に対応できる経営が可能になります。そのためにはまず「その人自身の能力を知る」ということが必要不可欠です。

伊藤氏:そうですね。企業は一人ひとりの能力をきちんと把握し、それを最大限に生かす環境を作ることが重要です。社員教育や研修で個々の適性に合わせてスキルを伸ばすことも重要ですし、育児や介護、健康問題といった個々人の状況にも対応していくべきです。ジョブ型の働き方が増えているのもそういった背景がありそうですね。当社でもジョブマッチングという取り組みをまずは若年層からスタートさせています。具体的には入社3年目のタイミングで、このまま同じ部署に残るか、別の部署に異動したいかを決められる制度です(※2)。

塚越氏:そのような制度を通して、自分で選択してキャリア形成できることで、成長できる環境を与えてくれた会社に対してもエンゲージメントが向上するでしょうし、社員と会社の関係性は主従関係でも、上下関係でもなく、フェアな関係であるという意味でもよい効果を発揮するのではないかと感じます。そういった「自分が自分の人生のオーナーである」ということを自覚させる働きかけも重要でしょう。

  • (写真)株式会社日立ソリューションズ 経営戦略統括本部 チーフエバンジェリスト 伊藤直子氏

    株式会社日立ソリューションズ 経営戦略統括本部 チーフエバンジェリスト 伊藤直子氏

「責任=時間」の考え方が女性活躍を阻んでいる

―日立ソリューションズのように積極的に人的資本の活用に注力している企業もある一方で、なかなか実践できていない企業もあると思います。何が人的資本の活用の壁になっているのでしょうか。

伊藤氏:日本の男女格差の部分をわかりやすい例として挙げてみましょう。ジェンダーギャップ指数をみると、日本は146ヶ国中125位、G7では最下位となっています(※3)。特に「経済」と「政治」の項目が顕著に低いです。管理職に就く女性の割合も増加傾向ではありますが、上位の役職に行くほど割合が低くなっています。

ここにはアンコンシャス・バイアス(無意識バイアス)が働いていると考えています。たとえば育休明けに復帰した女性に対し、「大変そうだから責任のある仕事はさせないようにしよう」と判断してしまう。本人がそれを本当に望んでいるかどうかにかかわらず、よかれと思ってやってしまうのです。このバイアスは女性自身も知らず知らずのうちに陥っている場合があります。たとえば課長昇格を打診しても、「家庭もあるのでこれ以上は残業できない」といった理由で断る人も少なくないのです。女性、男性、という話ではなく、そもそも日本の企業では「責任をとること」と「時間をかけること」がほぼイコールで捉えられている点が根本的な問題だと私は考えています。多くの人が、「責任ある仕事に就くのであれば、その仕事に自分の多くの時間を注がなければならない」という誤った常識にとらわれており、「時短で働くなら責任ある立場に就いてはならない」と考えてしまうのです。

本来はそうではないはずです。責任をとることと時間をかけることはイコールではなく、管理職も自分に合った働き方を選べて然るべきです。しかし、多くの日本企業はまだその考えや文化が浸透していないため、管理職の女性比率がなかなか上がらない歪な構造が生まれてしまっています。これは人的資本経営における最初の壁とも言えると感じています。

塚越氏:「男性は外で稼ぎ、女性が家庭を守る」という性別役割分業の国の政策の下で、主に長時間労働を前提とした職場運営がなされた時代が確かにありましたが、2000年以降、政策も時代も変化しているのに、働き方がアップデートできていない企業や性別役割を強いてくる家族像や地域社会がまだまだ日本には多い印象です。男女である前にまず一人の人間として、私たちを取り巻く環境はどう変化し、それに適した働き方やキャリアをどう形成していけるのかについて、会社は、きちんと社員に対してインプットし、本人が様々なバイアスに陥らないようサポートしなければならないですよね。当社も各企業に出向いて、ライフイベントを迎えた夫婦がこれからのキャリアを考える機会を提供するために、育休復帰前の社員とパートナー同伴のセミナーを開催しています。また、子どもが生まれる前のプレパパ・プレママに対し、自治体や病院が行う両親学級とは違った、働き方やキャリアも含めた企業版両親学級という取り組みも行っています。男女ともに子どもが生まれても、その後のキャリアを思うように築いていけるのだということを前もってインプットしていくことが重要です。

女性特有の健康問題を会社としてケアすることが人的資本の活用につながる

―ジェンダーギャップの解消が必要な一方で、女性には男性にはない特有の健康問題があります。会社としてはそうした健康問題にどう対処すればいいのでしょうか。

伊藤氏:もともと日本の会社は男性中心の組織で、男女雇用機会均等法を契機に女性も働き始めました。つまり、女性が極めてマイノリティだったわけです。その中で女性たちは「男性以上にがんばらなければならない」という気概で努力し続けてきました。すると、女性特有の健康問題についても言い出しにくい空気が醸成されてしまいます。そのことを女性は「個人的な問題なのだから周りに言うべきではない」と抱え込んでしまい、男性も「女性特有の問題にはあまり触れない方がいいだろう」と考えるため、お互いに理解が進まないのです。

塚越氏:本当にその通りですね。“個々人の特性“という観点で考えた場合、生物学的に男女には違いがあります。さらに、昔の女性と現代の女性とでは「生涯の月経回数」に違いがあります。具体的には、昔の女性は、初経が遅く、出産回数も多かったため、生涯の月経回数が50~100回。現代の女性は初経が早くなり、初産までの期間は長くなり、月経回数が生涯で450回に増えた。それを要因として現代の女性には、子宮内膜症、乳がん、卵巣がん、子宮体がんのリスクが高くなっているというのです(※4)。また、男女という括りだけでなく、病気を抱えているなどの個人的な事情があるケースももちろんあります。そういった実情は人的資本を活用するという観点においては知っておくべきことですが、現状、“個人的なこと"としてあまり話題に挙げられない場合がほとんどです。

伊藤氏:それでは人的資本経営における「社員一人ひとりに向き合い、能力を発揮できる環境をつくる」ことにはつながりませんよね。社員の価値を高めるのであれば、当然女性の健康問題にも向き合い、最大限のパフォーマンスを発揮できるよう会社としてケアをするべきです。しかしさらに難しいのは、女性特有の健康問題は、一人ひとり状況が違うということです。症状が重い人もいれば軽い人もいます。だからこそ、大事なのは相談できる場をつくることだと考えています。当社ではそうした女性特有の健康問題を専門家に気軽に相談できるサービスとして『リシテア/女性活躍支援サービス』を提供しています。

―『リシテア/女性活躍支援サービス』はどのようなサービスでしょうか。

伊藤氏:看護師や助産師などの専門家と気軽にオンライン健康相談できることにより、女性従業員の不安や悩みの解消につなげるサービスです。コンシェルジュとチャットで相談スケジュールを調整した上で、専門家とビデオ通話で話すことができます。また、セミナー案内やコンテンツ提供などを通じて、従業員のヘルスリテラシーの向上も図れます。グループコミュニティも作れるので、女性同士で情報や知識のシェアなどもできます。

  • (図版)女性活躍支援サービスのサービス説明

塚越氏:専門家の意見を手軽に聞けるというのは非常に重要な取り組みですよね。このサービスをうまく活用できれば、自分自身の心身バランスを理解できた女性従業員は最大限のパフォーマンスを発揮することにもつながるでしょう。また、社内コミュニティやセミナーを通じて、さまざまな情報に触れることで古い風土を徐々に変えていく行動にもつながり、人的資本経営には欠かせない一人ひとりに寄り添った戦略にもなるのではないでしょうか。

伊藤氏:企業によっては産業医を置いているところもあると思いますが、女性特有の健康問題は病気というわけではない場合もあるので、産業医には相談しにくいという課題があります。本人も「病気でもないのに大げさにしたくない」と思ってしまう。そういうとき、もっとカジュアルに相談できる場があるといいなという想いでリリースしました。

塚越氏:『リシテア/女性活躍支援サービス』を導入することで、他社との差別化にもなりそうですね。能力発揮のために健康課題をケアできる機会を提供してくれる会社と、自己管理で対応するという会社では、あきらかに前者で働きたいと思う方が多いでしょうから、人材採用面でも有利に働く可能性はありそうです。

伊藤氏:そうですね。現在はまだ日本企業の意思決定層の多くは男性です。会社として女性特有の健康問題に取り組もうとしたとき、男性が意思決定することになる場合が多いでしょう。だからこそ、男性が女性特有の健康課題に向き合い、女性の不安を軽減しパフォーマンスを上げる取り組みを実践することを願っています。

塚越氏:こうしたサービスは女性だけでなく、女性を部下にもつ男性にも有効的かもしれませんね。「どのように接していいかわからない」という悩みに対し、専門家の知見を借りられるのなら、私も使いたいくらいです。

伊藤氏:実はこのサービスをリリースした際、「上司は相談できないのか」、「男性向けのサービスはないのか」というお問合せが思った以上に多かったため、今後のサービス拡充についても考えていきたいと思っています。たとえば、現在は女性の健康課題という切り口での情報提供やコミュニティの場としての機能が中心となりますが、この仕組みはもっと多岐にわたる分野で広げていけるものだと考えています。今後にぜひご期待ください。

―最後に本日の対談を踏まえて、今後の展望やあるべき未来の姿についてお考えを教えてください。

伊藤氏:日々のささやかな不安を『リシテア/女性活躍支援サービス』で吐き出すことで、よりよいパフォーマンスを出せるようになってほしいと思っています。男女問わずそういう社会になっていくといいですよね。それぞれの社員がどうすればパフォーマンスを出せるのかということについて、その人自身だけでなく周囲も一緒に考えられるようになると、より人的資本の活用につながると思います。

塚越氏:人的資本経営を実現するためには、会社は、最大限のパフォーマンスを発揮できるように、社員に対して様々なサポートやケアを用意できるかは重要です。これは管理職に対しても同じです。というのも、管理職は入社してから今までに培った経験で物事を考えがちですが、変化の激しい時代においてはアップデートするためのサポートを会社がしっかりと行っていくべきでしょう。それにより、イキイキとパフォーマンスを出している管理職が増えれば、若手にとっても良いロールモデルとなって、より人的資本経営がうまく回っていくのではないかと思います。

―ありがとうございました。

  • (写真)対談の様子
<参考資料>
(※1)知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン Ver.2.0(内閣府 知的財産戦略推進事務局/2023年3月発表)
(※2)日立ソリューションズ「若年層ジョブマッチング制度」
(※3)男女共同参画に関する国際的な指数(内閣府 男女共同参画局/2023年6月21日発表)
(※4)日本産科婦人科学会編著「HUMAN+女と男のディクショナリ―」(2023年4月25日更新版)

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