左:クラウドエース株式会社 マーケティング部 部長 杉山 裕亮 氏 真ん中:一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻 教授 楠木 建 氏 右:クラウドエース株式会社 取締役 CTO 高野 遼 氏
クラウドエースのオンラインカンファレンスとして開催されてきた「OPEN DX」が本年度よりメディア掲載をベースとしたマルチメディアコンテンツとして新たなスタートを切った。2022年7月29日に開催された「OPEN DX 2022 Summer」では、ITとビジネス戦略の有識者が登壇し、ITを活用したDX戦略の現状と将来的なビジョンについて話が展開。本稿では、一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻 教授の楠木 建 氏と、クラウドエース株式会社 取締役 CTO 高野 遼 氏、同社 マーケティング部 部長 杉山 裕亮 氏による対談セッション「2025年までの DX と競争戦略」の内容をレポートする。
手段の目的化がDX推進を阻害する要因、長期的利益を目的に推進することが重要となる
ビジネスの世界では以前からIT化やデジタル化といったムーブメントが起きており、現在のトレンドとなっているデジタルトランスフォーメーション(DX)も、言葉を言い換えただけで同じことを繰り返しているのではないか。「2025年までの DX と競争戦略」と題した本セッションでは、こうしたDXに関する疑問から議論をスタートした。競争戦略を専攻とし、企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している楠木氏は、それが人間社会の魅力と答え、DX推進のアプローチについて話が展開した。
楠木氏 「いつか見た風景」「いつか来た道」などと言いますが、何度も繰り返すのが人間社会の魅力でもあります。実際、IT化のムーブメント以前から、同様のトレンドは何度も起きています。たとえばインターネットが普及していなかった1980年代後半には、SIS(Strategic Information System)が経営・事業戦略の手段としてブームとなりましたが、これは現在のDXと非常に近しいものだと思います。名前を変えて何度も繰り返されていることから見ても、現在のトレンドであるDXが極めて重要なものであることは明らかですが、一方でがむしゃらにDXを推進するのではゴールにはたどり着けません。まずは落ち着いて、目的と手段を明確化していくことが必要になります。
杉山氏 同じような取り組みを何度も繰り返しているのは、手段が目的化していることが原因なのでしょうか。
楠木氏 その通りだと思います。DXに限らず、人間社会における問題の7割程度は、手段の目的化によって生じています。たとえば昨今のコロナ禍への対応でも、本来は人の健康を維持することが目的なのに、マスクをするという手段が目的化してしまい、「目の前の人に叱られないようにマスクを着用する」ことが常態化しています。ビジネスにおいても同様で、経営者やリーダーが本来の目的と手段の関係に戻していかなければなりません。これはリーダーシップの本質の1つだと考えています。
杉山氏 1980年代のSISや、近年のIT化、DXといったムーブメントの目的は同じものなのでしょうか。
楠木氏 すべてビジネスの経営に関する取り組みとなるため目的は同じです。たとえば家庭や政治といった領域では立場によって「何がいいのか」が違ってくる多元性がありますが、ビジネスの世界は勝利条件が非常に明確で、DXの目的は「長期的利益」に一本化されます。長期的利益はビジネスの競争における、もっとも正直な顧客満足度の指標であり、顧客に対して独自の価値を提供できていることの証明にもなる。長期的利益、すなわち「コストを下げる」「売上をアップさせる」ことを目的として戦略を練っていく必要があると思います。
経営者が練り上げた戦略のストーリーを実行部隊と共有して、DXを成功へと導く
DXの目的を「長期的利益」と定義した楠木氏は、DXはもっとシンプルに考えるべきで、大切なのは長期的な利益を出せるという論理的な確信を経営者が持つことだと語る。クラウドエースの取締役 CTOとして多くの企業のDXを支援してきた高野氏は、DXへの取り組みで成果を得られない要因について楠木氏と議論を交わす。
杉山氏 企業の経営者が長期的利益を軸にDXを考えていく必要があることはわかりましたが、トップダウンでDXを推進する企業がある一方で、DX推進室のような部署やプロジェクトチームを立ち上げて、そのリーダーを中心に推進していくケースも多いと思います。DXプロジェクトを任されたチームメンバーも、長期的利益を目的として取り組む必要があるということでしょうか。
楠木氏 経営者は、DX推進に伴う投資などの判断を行い、DXによって作り出す世界を構想しますが、それを実行するのは専門的な知識やスキルを有するDXチームで、そこは当然分業していると思います。大切なのは、経営者が実行部隊に対して「何故こうした取り組みを行うのか」をしっかりと説明すること。DXへの取り組みは経営の力量が問われます。目的と手段の連鎖を意識して進めている経営者と、競争力を維持するためにはDXを“せざるを得ない”と考え、実行部隊への説明もしていない経営者では、如実な違いが出てきてしまいます。
高野氏 実際、DXの取り組みがうまくいっていないという企業は少なくありません。“せざるを得ない”で取り組む経営者は論外ですが、長期的利益を目的として手段を講じている経営者でも、実行部隊にその意図を伝えられていないケースや、長期的利益と短期的利益を取り違えているケースなどを見てきました。
楠木氏 前者は「片手落ち」のケースで、後者は経営者の戦略不全といえますね。
高野氏 後者の場合、最終的には「とにかくやっておくこと」だけが重要となり、条件反射的なDXになっていくことが多い印象です。
楠木氏 それは戦略以前の問題で、自由意思の損失です。こうなってしまうと問題解決は難しくなります。一方で、実行部隊に戦略が浸透していないためにDXがうまくいかないケースは経営者の責任であり、リカバーすることは可能です。もっともわかりやすい戦略ストーリーを固めて、実行部隊にひたすら何度も繰り返して説明し、認識に齟齬が生じたらすぐに指摘する。手数を増やして意思統一を図ることが重要になります。現場の能力、リソースが足りないケースもあると思いますが、その際にはクラウドエースに発注すればいい話です(笑)。人的リソース不足でDXが進まないという話はよく聞きますが、実は非常に解決しやすい問題といえます。
杉山氏 確かにリソースが足りないという明確な課題に対しては、外部のサービス・サポートを利用するという選択肢は有効だと思います。
楠木氏 目的と手段を明確化して、戦略を構想しておくことが大切です。人的なエンジニアリソースはアウトソーシングなどで補えますし、内製化を目指す場合も、現在は各ベンダーが競争して、よりユーザーフレンドリーでコストパフォーマンスに優れたツールを提供しています。DXはもはや困難なミッションと身構えるものではありません。
ディベロッパーエクスペリエンス(開発者体験)に取り組み、IT人材不足問題の解決を図る
セッション後半では、高野氏により3パターンのDXと、それらすべての根底にある+1のDXである「ディベロッパーエクスペリエンス(開発者体験)」について話が展開。今後のビジネスにおいてエンジニアのマネジメントが重要な役割を担うことが、議論のなかで明らかにされた。
高野氏 広義のDXというものは、3つのパターンに分類できます。1つはデジタルを活用して新たな事業を立ち上げるといった「ビジネスのデジタル化」、2つ目はITインフラの維持・管理に膨大なコストがかかり新規投資ができない、いわゆる2025年の崖問題を解決するためのDX、3つ目は、RPAの導入をはじめ社内業務の効率化・自動化、すなわち「アナログ業務のデジタル化」を図るDXになります。そしてすべてのベースとなる「+1」のDXとして注目されているのが「ディベロッパーエクスペリエンス」です。3つのDXを推進するために必要なエンジニアリソースを確保するための取り組みで、今後ますます加速していくと予想されるIT人材不足に対する極めて有効な一手といえます。
楠木氏 私はディベロッパーの領域では素人ですが、3つのDX+1という話は非常におもしろいと感じました。4つのDXが並列になっているのではなく、3つのDXのベースに+1のディベロッパーエクスペリエンスがあるという構図ですね。興味深いのは、ディベロッパーエクスペリエンスは事後性が高いDXということ。ディベロッパーエクスペリエンスの大切さは、3つのDXを進めていくなかで見えてくる。
高野氏 明確に利益になるのか経営者が判断しづらい領域ですが、DXを推進していくうえで欠かせません。たとえば内製化に向けてエンジニア組織を作ろうとした場合、ディベロッパーエクスペリエンスを意識せずに進めるとエンジニアが定着しないケースが出てきます。エンジニア独自のカルチャーやキャリア観、こだわりといったものを考慮して、組織作りを進めていくことが重要になります。
楠木氏 その役割を担うのがディベロッパーエクスペリエンスというわけですね。ただ、エンジニアとの関連性が薄い業種は理解し、実践していくのは難しいと思います。内製化を行わずエンジニアのリソースを外部から調達するという選択肢はあるのでしょうか。
高野氏 もちろんあると思いますし、はじめからその方向に舵を切っている企業も少なくありません。日本のIT人材不足は今後ますます深刻化していくと予想されており、外部のリソースも利用できずエンジニアの取り合いとなる可能性もあります。こうした状況になれば、ディベロッパーエクスペリエンスが高い企業に人材は流れていくため、最悪の場合、ビジネスを縮小する事態に陥る可能性が出てきます。
楠木氏 単に給料をアップすればいいという話ではなく、エンジニアのカルチャーを理解して快適な環境を構築する必要があるということですね。素人視点での質問になりますが、たとえばこれまで10人のエンジニアが必要だった業務が、技術の進化で5年先、10年先には3人で行えるようになり、人材不足が解消されるという可能性はあるでしょうか。
高野氏 十分にあり得ます。パブリッククラウドが普及したことでサーバーを構築することもなくなってきましたし、ソフトウェアの部分でもノーコード・ローコード開発が普及し、プログラマーが使うツールやフレームワークは進化しています。とはいえ、エンジニアの人材不足が完全に解消されることはないと考えています。確かに高い技術力が求められる業務は減りましたが、その替わりに関係者とのコミュニケーションが求められるようになり、エンジニアのタスクは逆に増えている傾向があります。そういった面を含めると、ディベロッパーエクスペリエンスを考慮することが重要になると考えています。
楠木氏 私はビジネスの本質は「問題解決」で、何らかの問題を解決することによって対価を得る活動と考えています。すべての課題が解決してしまえば、経済取引は純粋消費に限定されることになりますが、現状では、新しいビジネスが生まれ続けています。これは「問題を解決することで新たな問題が生じている」ことを意味しています。+1のDXであるディベロッパーエクスペリエンスの重要性は、今後ますます高まっていくと思います。高野さんは、経営者として、まずはどこから着手していけばよいと思いますか?
高野氏 まずはエンジニアについての専門家、いわゆるメタエンジニアを確保して、カルチャーを理解するところから始めるのが有効だと思います。広義のDX推進にも効果を発揮するはずですし、実際にメタエンジニアのようなロールは注目されており、エンジニアリングマネージャーという名前で、徐々に増えてきています。
楠木氏 本セッションを振り返ってみると、前半で議論した長期的利益や目的・手段に関する話と、後半のディベロッパーエクスペリエンスの話はDXの推進という文脈で密接につながっています。DXに取り組む企業は、この先必ずディベロッパーエクスペリエンスの問題に直面し、それがDXの成果を台無しにする恐れがある。そこで、長期的な利益を見据えた競争戦略が必要になってくるのではないでしょうか。
DXの波は、業種や規模を問わずあらゆる企業/団体に押し寄せている。“ビジネスの競争力を維持するためには、DXへの取り組みが不可欠”と考える企業経営者は増加傾向にあるが、手段ではなく、目的となってしまっていた企業も多くあるのではないだろうか。すべてのベースとなるディベロッパーエクスペリエンスに意識しつつ、あらためてDX推進について考えることで変化の激しい今の時代を乗り切り、企業の成長へとつながることを願う。
和やかな雰囲気のままセッションは終了した
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