デジタルツインが医療・ヘルスケアにもたらす変化

身の回りを見渡すと、ウェアラブルスマートウォッチやフィットネストラッカー、医療用画像処理装置、デジタルヘルスアプリ、体温計など、私たちの生理的な状態を監視し、データを収集する機器が無数に存在する。これらの機器自体も、現在の動作環境や状態に関する大量のデータを生成している。これらのデータを理解し、そこから意味のある洞察を得るにはどうしたらよいだろうか? 1つの可能性は、「デジタルツイン」を活用して、これらのデータを動的に表現することだ。

デジタルツインとは、モノやシステムを、ライフサイクル全体にわたって仮想的に表現したものである。つまり、デジタルツインには、実世界の最新のデータと過去のデータの両方が含まれている。これらの動的なデータを様々な医療アプリケーションの仮想表現に組み込むことで、医療における積極的な意思決定、プロセスの最適化、ライフサイクル管理が可能になる。

人間のデジタルツイン

人間や患者をデジタルツインで再現する際には、解剖学的・生理学的データとバイタルサインを組み合わせて構築する。ウェアラブルデバイスやバイオメディカルセンサーに囲まれた世界では、これらのデータは複数のソースから得られる。例えば、スマートウォッチは、患者の血圧、体温、脈拍、睡眠パターン、総合的な身体活動レベルに関する情報をリアルタイムに収集する。同様に、患者が病院を訪れた際には、臨床検査や画像診断のデータにより仮想患者モデルを更新することができる。さらに、個人の遺伝子や行動のデータ、社会的決定要因もデジタルツインに書き込むことが可能である。これらのデータを一つの仮想的な患者像に統合することで、患者の病歴をより完全に把握し、意思決定をサポートすることができるようになる。

このような人間の仮想的なレプリカには、さまざまな用途が考えられる。例えば、患者のデジタルツインとAIモデルを併用することで、特定の患者に適した治療法を積極的に選択するプレシジョン・メディシン(精密医療)に利用することが可能になる。また、FDA(アメリカ食品医薬品局)は、実際の患者に実施するにはリスクが高いものや時間がかかりすぎる新たな医療療法や薬剤をテストするためのシミュレーションにも、仮想的な人体モデル、つまりデジタルツインの人体モデルを使用できると論じている。例えば、最適な治療反応を特定するために、化学療法薬の選択を、患者の遺伝学的および生理学的プロセスに照らし合わせながらテストすることができる。また、ペースメーカーを設計するための心臓モデルのように、個々の臓器のバーチャルモデルを新しい医療機器の開発やテストに利用することも可能になる。このような研究は一般的にインシリコと呼ばれており、将来的には臨床試験のサポートや代替えとなる可能性もあると考えられている。また、患者の立場から見ると、バイタルサインをモニターできるデジタルツインは、慢性疾患やフィットネスレベル、健康状態などを事前に管理することができる。これらのデータを組み合わせることで、人々はより多くの情報に基づいて個人の健康に関する意思決定を行うことができ、より健康的なライフスタイルを実現することができる。

医療機器のデジタルツイン

医療機器やテクノロジーの分野では、デジタルツインとは、動作中の機器の物理的特性、環境、動作アルゴリズムを仮想的に表現したものである。内蔵されたセンサーからのさまざまな信号の組み合わせにより、機器の現在の状態、構成、メンテナンス履歴などの情報を収集することができる。例えば、MRIスキャナーのチラー (機械を冷やすための冷却装置)は、画像診断装置の過去の動作温度に関するデータを利用可能だ。動作温度は、部品の残存耐用年数に直接影響を与える可能性がある。さらに、振動、圧力、液面、電圧、環境パラメータ、機器の性能指標など、さまざまな種類の信号を収集して、最新の仮想的な医療機器を構築することができる。

医療機器は安全性が重視されることが多く、その故障は患者の命を危険にさらす可能性がある。そのため、機器の状態監視とメンテナンスは非常に重要である。一般的に、医療機器のメンテナンスは、故障後または予防的に行われる。事後保全では、故障が発生したときにのみ修理作業が行われるため、機器のダウンタイムが長くなり、患者に安全上のリスクが生じる可能性がある。一方、予防保全では、故障が発生する前に、まだ耐用年数が残っている可能性のある部品を積極的に交換する。このアプローチは、患者にとっては安全だが、メンテナンスの頻度が高くなることから、コストが増加する。そこで、機器の動作履歴データと機械学習モデルを組み合わせたデジタルツインを用いることで、故障につながる原因パターンの事前調査を実施することができる。このアプローチは予知保全とも呼ばれ、患者の安全性を損なうことなく機器部品の耐用年数を最大限に延ばすことができる手法として注目されている。このように、デジタルツインにより、医療機器のライフサイクル管理を効率的かつ安全に行うことが可能になる。

病院のデジタルツイン

デジタルツインをより大きなスケールで捉えると、医療施設や組織全体を、動的なオペレーションやプロセスとともにシミュレーションすることができる。例えば、病院のデジタルツインでは、部署やリソースをモデル化し、日々のオペレーションを最適化し、安全性を向上させることができる。施設とは、例えば、集中治療室、放射線科、患者の待合室、手術室などが挙げられ、フロア設計、機器の位置、物流のデジタル概略図を組み込むことができる。また、デジタル医療施設には、スタッフのスケジュール、管理業務、財務処理など、病院の情報システムから得られる業務データも含めることができる。これらのデータをすべて仮想的に結合すれば、物理的な環境のように何年もかけて試行錯誤することなく、数日から数週間でオペレーションの最適化を図ることができるのである。

医療施設を仮想的に再現することで、機器の稼働率を高め、医療検査や手術の能力を向上させることが期待されている。例えば、患者が到着してから検査を終えて退出するまでの流れを可視化することで、最も時間がかかっている箇所を特定し、所要時間を短縮するための最適化ができる。これにより、患者の待ち時間が短縮され、顧客やスタッフへ、より良い体験を提供することができる。同様に、スタッフのスケジュールも、臨床サービスの需要に応じて最適化することが可能だ。例えば、週の特定の時間帯に需要が高くなる救急外来では、その需要をより適切に把握し、人員を調整することができる。病院のデジタルツインは、臨床上の安全性を損なうことなく、よりスマートなリソース配分と運用の柔軟性を可能にする。このようにして、患者を中心とした医療と、データに基づいた意思決定をもたらすのである。

医療・ヘルスケア業界のデジタル化を加速

デジタルツインは、医療・ヘルスケアの分野では比較的新しい概念だが、コンピュータ性能の向上により、より洗練された仮想的なモデルが開発され、この分野は進化し続けている。また、病院や診療所、医療機器メーカーは、より多くのデータを収集してモデルに反映し、実際の医療現場をより正確に表現できるようになっている。デジタルツインは、患者に合わせた価値ある医療を実現するための一歩といえるだろう。また、医療機関やメーカーにとっても、デジタルツインは、効率的なプロセスの最適化や製品のライフサイクル管理の向上につながっていくのである。

関連リソース

[PR]提供:MathWorks Japan(マスワークス合同会社)