2018年、日本初の公営地下鉄の民営化により誕生した大阪市高速電気軌道株式会社(Osaka Metro)。鉄道事業者の生命線である「安全の確保」を徹底するため、同社はさまざまな施策を講じている。その一つが、運転士、車掌など、全乗務員へのiPadの配布だ。現在では始業点呼や運行情報の通知、eラーニング、ヒヤリハットの管理、アルコールチェックといった、さまざまな業務をiPadで行えるシステムを構築している。
このシステム開発に使われたのが、Claris社が提供するビジネスに最適なカスタム App (カスタムアプリケーション) を開発・展開するツール「FileMaker」だ。Osaka MetroがiPadとFileMakerを選択した理由とカスタム App開発の経緯について、同社運転課でiPadの導入を担当した小林氏、矢田氏、現場で活用している佐藤氏と運転士の藤田氏、そしてOsaka Metroと共にカスタム Appの開発を担当した寿商会の若林氏と加藤氏に伺った。
FileMakerを使うために選んだiPad
Osaka Metroの乗務員は、軌道運転規則等に基づいた運転取扱心得集、車両の取り扱いマニュアルなど、さまざまなファイルの入った乗務員用カバンを常に携行していた。しかし、これらを持ち歩くのは大きな負担だ。これを解消するためにファイルを電子化しようと考えたのが、そもそものタブレット導入検討のきっかけだったという。
同社では、Accessを使ってデータベースの開発を行っていたが、小林氏と矢田氏はFileMakerに以前から興味を持っていた。選定の段階では、社内から他社の開発ツールなどの紹介も受けたが、Claris社が大阪で開催した「FileMaker Road Show」などのカンファレンスイベントに参加し、「ぜひFileMakerを導入したい」という思いを強くしたという。タブレット端末としてiPadを選定したのも「FileMakerが使える端末」だからで、一般的にFileMakerが選ばれる大きな理由である「iPadで使えるから」とは、真逆である点が興味深い。
「FileMakerには『FileMaker Go』というiPhone/iPad専用のアプリがありますし、日本語でスクリプトを記述できるという使いやすさにも魅力を感じていました。FileMakerをクラウドで利用することを選択したのは、当社のセキュリティポリシーで社内のサーバーに対してタブレットでアクセスすることが禁止されているからです。また、日本航空の運航乗務員が使用するマニュアルも、FileMakerを使用しているという事例を拝見して、信頼性に足るものだと感じました」(小林氏)
同社は2018年4月、直接Claris社に打診。打ち合わせの場で寿商会を紹介され、現在に至る開発体制が立ち上がる。
「寿商会さんは、最初の打ち合わせからかなりマニアックなマニュアルを用意してくださいました。これは相当レベルが高いなという印象を受け、開発を進める上でのパートナーとして信頼できると感じたことを憶えています」(矢田氏)
8つのカスタムAppを開発
こうしてOsaka Metroは、1,150台のiPadを導入。同時接続200ライセンスのFileMaker プラットフォームを用いて、運転課に所属する運転士、車掌、監督者など約1,500人が利用するカスタム Appの構築に取り掛かる。途中、ワークスモバイルが提供する「LINE WORKS」とも連携しつつ、これまでに開発したカスタムAppは次の8つとなる。
1.アカウント管理(開発:寿商会、運用開始:2019年8月)
全乗務員のログインアカウントを管理する基本的なデータであり、全システムで利用する。従来はExcelで作った乗務員カルテを用いており、現場で個別に管理していた。FileMakerを用いてこれをデータベース化し一括管理が可能に。
2.運行情報の通知(開発:寿商会、運用開始:2019年8月)
列車の運行を管理する輸送指令所が、運転士・車掌へ通知する緊急情報を管理するカスタム App。乗務員への運行情報の通知は列車無線により行っていたが、iPad導入を機にEメールでの配信を検討した。しかし、送信件数が多いため2~3分のタイムラグが発生し、情報が古くなってしまうことも。そこで、この通知手段をLINE WORKSで代替し、速達性を向上させる。
3.始業点呼管理(開発:Osaka Metro、運用開始:2019年8月)
運転士・車掌が始業前に実施する点呼内容を管理するカスタム App。これまでは監督者が口頭で持ち物チェックなどを行い、毎日、Excelで作成した紙ベースの「始終業報告確認簿」に都度押印していく仕組みだった。これをiPadから入力し、監督者はブラウザで確認・承認して、点呼時間を短縮する。
4.審査システム(開発:Osaka Metro、運用開始:2019年9月)
Osaka Metroで行われている、乗務員の技術や知識を測るコンテストの審査を行うカスタム App。開発前はPCをベースとした大掛かりなシステムで審査結果を入力していた。これをiPad上で行うことで、集計時間の短縮と取り回しの向上を図る。
5.eラーニング(開発:寿商会、運用開始:2019年12月)
全乗務員を対象に、理解度の確認および学習用コンテンツを一括管理するカスタム App。従来は紙ベースで行われていたため、1,000名を超える受験者の結果集計に多大な時間を要していた。これらの出題、理解度の確認、結果集計までをすべてシステム化し、理解度確認結果の分析まで行う。
6.事故の芽管理(開発:Osaka Metro、運用開始:2019年11月)
日々の運行で感じたヒヤリハットの登録、集計を素早く行うカスタム App。従来はAccessで運用されており、乗務員が気づいた内容は事業所にあるPCから入力されていた。これを乗務員が携行するiPadのFileMaker Goから行えるようにすることで、気づいた事故の芽情報を瞬時に入力できるようにする。
7.画像共有(開発:Osaka Metro、運用開始:2020年6月)
事故や故障、緊急事態が発生した際に画像を社内で共有するカスタム App。もともとは一連のシステム導入後にLINE WORKS上で共有が行われていたが、より強固なセキュリティを確保するため、タブレット端末内にファイルを残さずに画像を共有できるカスタム Appが開発された。
8.アルコールチェッカー(開発:寿商会、運用開始:2020年9月)
乗務員のアルコール濃度を検出し、数値を入力するカスタム Appで、Bluetoothを内蔵したアルコールチェッカーと連動する。従来からアルコール検知器によるチェックは行われていたが、さらに厳密な数値と時間等の記録が定められたため、短時間での確認と入力が行えるように開発された。
FileMakerによる開発と寿商会の迅速なレスポンス
多数のカスタムAppを寿商会と共に開発しているOsaka Metroだが、FileMakerの習得には、初心者向けのクラスルームへの参加とFileMaker公式トレーニング教材「FileMaker Master Book」での独習が行われ、より詳しい点は寿商会に質問しながら進めたという。
「FileMakerはAccessと比べると市販の解説本が少なかったので、FileMaker Master Bookからスタートしたといえます。とはいえインターネットで調べれば、Claris 社や各ベンダーさんが情報を発信していますから、やりたいことはほぼ実現可能でした。特にFileMakerに組み込まれているテンプレート(スターター App)は非常に勉強になり、さまざまなことを学べました」(小林氏)
こうした小林氏の姿勢に対し若林氏は「寿商会にOsaka Metroさんから質問は来ましたが、Osaka Metroさんのほうでも相当調べて、それでもわからないところを尋ねられているんだなと強く感じました」と、当時を振り返る。
「わからないところは寿商会さんにお聞きすることができました。我々の部署では大規模なシステム開発の経験はありませんでしたが、どんどん知識を深めることができました。寿商会さんが出したデータベースデザインレポート(DDR)などを見て、『こういうところに気を付けて設計していけばいいのか』と学んだことを憶えています」(小林氏)
さらに小林氏は、寿商会の質問に対するレスポンスの早さを高く評価し、次のように称賛した。
「寿商会さんに質問すれば、早ければ当日に答えが返ってきて、すぐに反映され、非常にありがたく感じました」(小林氏)
Osaka Metroと寿商会は、このようにパートナーシップを深め、1年半の間に8つものカスタム Appを開発。昨年から運用をスタートさせている。このように短期間で複数のカスタム Appをリリースできたのは、自社開発で素早く実装する部分と、API連携や技術難易度の高いカスタムAppを寿商会に開発委託する部分を、適切に役割分担したからだ。
乗務員からも高く評価されたカスタム App
FileMakerを用いて、8つのカスタムAppを実運用に結び付けたOsaka Metro。現在、iPadは乗客案内や異常発生時に主に利用されている。もちろん、運転士が運転時に使用することは厳禁。また車掌も通知が来た時に確認するのが基本だ。
「『始業点呼管理』により、口頭で行っていた点呼が、iPadで一括対応できるようになり、非常にスムーズになりました。以前は5分くらいかかっていましたが、この時間がほぼゼロになったのです。朝の5分はとても貴重で、乗務前の少しの時間を乗務所幹部社員と乗務員間のコミュニケーションや事故防止のための時間に当てています」(小林氏)
「定量的な効果が測定できるまでには、まだ1~2年は必要」と矢田氏は話すが、一方で現場の乗務員からは好評を得ているという。実際に利用している加賀屋乗務所 主任助役の佐藤氏は、導入されたこれらのカスタム Appの感想を次のように語る。
「現在、業務開始と同時にiPadを持ち出し、さまざまな業務に活用しています。iPadには従来カバンに入れていた運転取扱心得集やマニュアル、各種ファイルなどが全部入っていますから、持ち運びの負担は大きく減りましたね」(佐藤氏)
また、運転士の藤田氏はiPadそのものの使いやすさ、便利さについても次のように語っている。
「もともと私は個人的にiPhoneを使っていたので、iPadを使うことに抵抗はありませんでした。一部まだ操作に慣れていない乗務員も見られますが、教え合って解決しています。個人的には掲示物がiPadから見られるようになったことがありがたいと思っています。これまでは掲示物の内容を手帳に記入していたのですが、iPadでは検索機能で過去の掲示物を探すこともできるため、すぐに見つけられて非常に助かっています」(藤田氏)
Osaka Metroが目指す次世代の鉄道システム
FileMakerで作られたOsaka Metroのカスタム Appは、乗務員の労働環境を改善すると共に、副次的に鉄道の安全対策にも効果があるようだ。9月には「アルコールチェッカー」の運用も開始されたが、これから同社はFileMakerを用いてどのようなカスタム Appを開発していくのだろうか。
「現在、『始業点呼管理』によって乗務員の起床時間なども管理していますが、2系統に乗務する際は、何度も入力が必要なので、1日1回で済むように使い勝手を改善したいと考えています。また乗務所幹部社員がつけている日誌のペーパーレス化の相談も受けていますので、このカスタム Appの中で完結できる形で検討を進めています」(小林氏)
Osaka MetroはITの活用を進めて、新しい時代の地下鉄を形作ろうとしている。FileMakerとiPadを用いた乗務員向けのカスタム App構築もその一環だ。
「お客様にいろいろな情報をいかに素早く展開するかが、我々の仕事であり課題です。そのためには車両や乗務員の情報連携も進めていかなければなりません。大きな鉄道会社のITシステムなども参考にしつつ、これからも業務の改善とお客様の利便性向上、そして鉄道の安全な運行に努めていきたいと思います」(小林氏)
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