次世代コンピュータとして存在感を高めるアニーリング・マシン。今、東京大学・素粒子物理国際研究センター(ICEPP)では、「粒子トラッキング」に富士通デジタルアニーラの応用に向けたテストを始めている。
宇宙と物質の根源に迫る最先端研究において、デジタルアニーラへどのような期待が向けられているのか?東京大学 素粒子物理国際研究センター准教授の澤田 龍氏と早稲田大学 グリーン・コンピューティング・システム研究機構 准教授の田中 宗氏に語り合っていただいた。
素粒子の発見が、物理学の新時代を切り開く
田中 澤田先生が『素粒子』に興味を持ち始めたのはいつごろですか。
澤田 科学に興味を持ったのは1985年の『つくば万博』です。その後、まだ小学生だったのですが、「相対性理論を理解しているのは世界でも三人しかいない」という話を聞いてぜひ勉強してみたくなりました。「世界に三人」は都市伝説でしたが(笑)、そんなことがきっかけで、宇宙や自然の理解の根源にあるものを知りたいと思うようになり、『素粒子物理学』にたどり着きました。
『素粒子』の研究が面白いと思ったのは、大学の研究で実験に携わったときです。紙と鉛筆で真理に迫る理論研究も魅力的ですが、研究室では素粒子実験に取り組みました。実験には、自分で工夫して装置を作り、データを取り、解析する楽しさがあり、特に誰も見たことがないデータを最初に解析するので、新発見できる可能性にも魅力を感じます。
田中 澤田先生の研究分野『素粒子物理学』は、今どのような状況にあるのでしょうか。
澤田 1911年に原子の中心に原子核があることが発見されましたが、それまで物質の最小単位とされた原子にも構造があるとわかり、『原子モデル』が確認されたように、さらに新たな素粒子が発見されて生まれたのが『標準模型』という模型です。これまで素粒子物理学の研究者は『標準模型』に仮説として含まれる素粒子を探してきました。
20世紀前半までは宇宙線や放射線から素粒子が発見されましたが、研究が進むにつれて現代では、加速器により粒子を衝突させて新しい素粒子を作るようになっています。
2012年、私も参加しているCERN[注1]のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)[注2]による実験で、ヒッグス粒子が発見されました。『標準模型』では素粒子に質量が与えられた理由を真空の電弱相転移に求めますが、ヒッグス粒子の存在はその証明となります。
このヒッグス粒子がついに発見され、『標準模型』で予想された素粒子はすべて揃い、一区切りついた状況です。
注1 CERN 欧州原子核研究機構の略称。1954年ヨーロッパ12カ国の出資により設立された研究所。スイスのジュネーヴ郊外でフランスとの国境地帯にまたがる世界最大の加速器であるLHCを持つ。
注2 LHC(大型ハドロン衝突型加速器) CERNが建設した粒子加速器。円周27kmの環状の加速器に、2本の陽子ビームを反対方向に発射し、陽子ビームを衝突させて粒子を生み出す。陽子同士の衝突実験では、ビッグバンから1兆分の1秒後の13兆電子ボルト(TeV)の高エネルギー宇宙を再現する。
田中 新粒子の発見は単に「見つけたぞ!」ということではなく、物理学の新たな知見に結びつくのですね。その中で、澤田先生はどのようなテーマに取り組んでいるのでしょうか。
澤田 『標準模型』だけでは、すべての観測事実を説明できません。中でも『標準模型』では説明できないけれど、存在することがわかっている暗黒物質に注目しています。
20世紀前半までは宇宙線や放射線から素粒子が発見されましたが、研究が進むにつれて現代では、加速器により粒子を衝突させて新しい素粒子を作るようになっています。
暗黒物質の候補となる粒子は、『標準模型』の次の物理として有力な『超対称性理論』が予言する粒子の中にもあります。
実は、ATLAS 実験[注3]のヒッグス粒子探索解析では、日本人がグループリーダーを務めました。ヒッグス粒子の発見に日本人が大きな貢献をしたのです。私も現役のうちに暗黒物質の正体をつかみたいと思います。
注3 ATLAS 実験 38ヵ国約3,000 人が参加する国際的な実験。LHC で生成される粒子をATLAS 測定器で観測する。暗黒物質候補など標準模型を越える新しい現象の発見を目指す。
『粒子トラッキング』にデジタルアニーラの応用テストをスタート
田中 澤田先生がデジタルアニーラを研究に応用してみようと考えた経緯を教えてください。
澤田 1940年代から加速器が作るエネルギーが増大するにつれて、新しい粒子が発見されるようになりました。
私たちが参加するATLAS実験では、スイスのジュネーヴ近郊に作られたLHCを使っています。周長27kmの巨大なリングを地下に建設した現在世界最大の加速器ですが、それでもヒッグス粒子以後新しい粒子は発見されていないので、今後より加速器のエネルギーを大きくするか、あるいは測定の精度を上げるかしないと新粒子発見はできないと考えられます。
実は、ここで問題となるのがコンピュータなのです。LHCで陽子の塊を衝突させ合うと約1万の粒子が飛び散ります。飛び散った粒子を電気信号の点として内部飛跡検出器が捉えるのですが、一つの粒子が10ぐらいの点を残します。つまり衝突の様子は、大雑把に一度の衝突で生じる1万×10=10万個の点を分析、粒子の飛跡を再構成して初めてわかるわけです。
粒子の飛跡を再構成することを『粒子トラッキング』と呼びますが、今ATLAS実験では世界中にある約110個の計算機センターからなるグリッド・コンピューティングで行っています。
しかし、今後2026年~2038年でデータ取得頻度を10倍に上げることを計画しており、それだけのデータ量を扱うには、今使用しているようなCPUを積んだコンピュータを増やしただけでは追いつかないことがわかっています。その問題解決の一つとして、デジタルアニーラに関心を持ちました。
田中 先生からいただいた『粒子トラッキング』の資料の図を見ると、粒子の飛跡を3つのヒットから組(トリプレット)を作って、そのつながりやすさを最適組み合せとして、デジタルアニーラが探すイメージですか。
澤田 そうです。デジタルアニーラを使うにはQUBOモデルに落とし込む必要があるのですが、バークレー研究所の先行研究で定式化されたものを用いています。
田中 デジタルアニーラをテストした結果はいかがでしたか ?
澤田 1940年代から加速器が作るエネルギーが増大するにつれて、新しい粒子が発見されるようになりました。
結果として「上手く動いた」と思います。別にテストした量子コンピュータと比較しても、「結果と速度が安定している」という感想を持ちました。
田中 資料のnealとの比較では確かに良好な結果のように見えます。この資料にあるコメント「Order 100ミリ秒以下ぐらいで問題が解けると嬉しい」というのが気になったのですが、どういうところから「100ミリ秒」という時間が出ているのですか ?
澤田 粒子トラッキングはデータ解析のいろいろな段階で使いますが、数百ミリ秒ぐらいであれば、検出器データの中からハードディスクに保存する事象を選ぶ段階で使えるのではないかと考えています。問題を入れて数百ミリ秒ぐらいで解が出て欲しいということです。
田中 現段階では結構ハードルが高そうですが(笑)、「できるだけ速く」ではなく具体的な数百ミリ秒という数字はとても参考になります。
澤田 今のクラウドサービスでは難しいかなと思います。クラウドで経験値を積んだ後に、実用に導入するのであれば、ATLAS 実験で使用するサーバーにデジタルアニーラのチップを組み込み、オンプレミスで使用しないと、このオーダーは実現しないと思います。
田中 オンプレミスにして導入すると、どのくらいのデジタルアニーラが必要になるのでしょう?
澤田 デジタルアニーラを数万台入れるオーダーになります。十分性能が高いデジタルアニーラ専用チップを開発すれば、数千台の規模で良いかもしれません。
田中 数万台!それはすごい話ですけど、山手線と同じくらいの長さの加速器を作って行うスケールの実験だと考えれば、実現可能なオーダーですね(笑)
ところでこの数万台というのは今のデジタルアニーラのスペックから算出されたものなのでしょうか。今後デジタルアニーラが大規模化されるなど、高度化された場合にはそのあたりの数値は変わってくるのでしょうか。
澤田 現状からの想定です。十分性能が高いデジタルアニーラ専用チップを開発すれば、あるいは数千台の規模で可能かもしれません。これに関しては、アニーリングを組み込んだソフトウェアを開発した後に、実際にデジタルアニーラ専用チップをコプロセッサとして搭載したサーバーで使用してみないとわかりません。
『粒子トラッキング』にデジタルアニーラの応用テストをスタート
澤田 デジタルアニーラを数万台入れるオーダーになります。十分性能が高いデジタルアニーラ専用チップを開発すれば、数千台の規模で良いかもしれません。
①エネルギーを上げるための加速器
②測定するための実験装置
③データ解析するためのコンピュータ
これから加速器と実験装置がどれほど多くのデータ量をもたらしても、解析しきれないのでは意味がない。コンピュータの計算能力が素粒子発見の環境を制限するような事態になってはいけません。そのソリューションの一つとしてデジタルアニーラに期待しています。
自分が実験に携わっているうちに、暗黒物質の正体が何なのか、ぜひ知りたいと思います。そこには、より進んだ物理のヒントがあるはずです。
田中 民間で生まれた優れた技術や製品がどんどん磨かれて、『素粒子物理学』のような究極の世界に使われ発展に寄与する。我々の生活やビジネスに直結する課題に対するデジタルアニーラの活用だけでなく、基礎科学を支える技術として発展していく可能性がある、という話は、物理学を専門とする私にとって大変刺激的な内容でした。
Profile
(左)澤田 龍(さわだりゅう) 氏
東京大学 素粒子物理国際研究センター(ICEPP)
准教授
CERN のATLAS 実験データを解析、超対称性理論の検証を行なう。
衝突型加速器実験の粒子トラッキングをデジタルアニーラで行うテストをスタートした。
(右)田中 宗(たなかしゅう) 氏
早稲田大学 グリーン・コンピューティング・システム研究機構
准教授
イジングマシン、特に量子アニーリングの第一人者として、研究開発を牽引。
富士通とデジタルアニーラを用いた共同研究を行っている。
デジタルアニーラについての詳細を下記、富士通のホームページでご紹介しています。詳しくはこちらよりご覧ください。
※リンクからはデジタルアニーラに関する詳細や、事例をご紹介した動画をご覧いただけます。
[PR]提供:富士通