新興国における製造業の急成長、国内工場の海外移転等が進むなかで、日本の「匠の技」が培ってきた生産技術の優位性が失われつつある。製造業の空洞化が進めば、日本全体の活力も落ちてしまう。一方で、ランサムウェアなどのサイバー攻撃により工場が操業停止に追い込まれるなど、製造業は今、世界規模で新たな局面に入っている。本稿では、変化の激しい製造産業のなかにあっても日本が世界をリードしていく、そのためのひとつの可能性として、「セキュア生産」を取り上げたい。
スマート化の文脈に、「セキュア生産」を
生産現場におけるICT活用が進んでいる。IoTやAI、5Gといった新しいデジタル技術を活用して、機器の故障を未然に予測したり、不良をすばやく見つけ出したりといった取り組みだ。こうした取り組みは「工場のスマート化」「スマートファクトリー」などとも呼ばれ、従来の生産技術とは異なるアプローチを用いることから、これまでの生産技術を補完し新しい課題解決の方法を提案するものと期待されている。
同取り組みには、日本政府も大きな期待を寄せている。日本政府は、ドイツが進める「インダストリー4.0」を参考に、工場のスマート化や取引先を巻き込んだサプライチェーンの最適化が「Society 5.0」を実現させる要素の1つだと訴えている。長期的な視点で見ても、工場においてICTを活用することは当然の流れになりつつあるのだ。
しかし、工場のスマート化やサプライチェーン最適化の取り組みには課題が多いのも現実だ。そんななか、日本の製造産業の発展という視点から、「スマート化の文脈のなかで『セキュア生産』を推進していくことが必要」と主張するのが、多摩大学 ルール形成戦略研究所(以下、ルール研) 客員研究員の渡辺 裕之 氏だ。
「セキュア生産というのは、サイバーセキュリティやBCPの考え方を採用した生産方式のあり方です。世界の動きを見ると、製造産業はいま、サプライチェーン攻撃へのリスクから特定の国・企業の製品の購買を制限する動きが加速しています。何らかのインシデントが発生しても事業を継続できる。新しい仕組みへと生産方式を発展させていくことが求めれているのです。実を言うと、日本はまだこの分野が未成熟です。ただ、このセキュア生産こそが、日本主導で世界の製造業をリバランスする可能性を秘めていると考えています。」(渡辺 氏)
「セキュア生産」が日本にもたらす価値とは
日本の生産技術は、「匠の技」という言葉に表れるように優れた面が数多くある。ただ、ICTに関する知見やノウハウはほとんど蓄積されていないのが現状である。「セキュア生産」も同様に、日本ではまだまだ未成熟だ。では、そんな「セキュア生産」がなぜ、世界の製造業をリバランスする可能性を秘めているのか。渡辺 氏は、日本の強みたる「匠の技」は「人による調整力」だとし、こう続ける。
「機械化やスマート化、AI化が進んだとしても、工場を運営するのが人であることに変わりはありません。工場全体を見直そうというとき、デザインを描き、ラインを構成できる人が必要なのです。近い将来、製造産業は、"新興国の企業のセキュリティは大丈夫なのか" という課題に直面するでしょう。すると各国で、工場全体の見直しが発生します。そのなかでは、『匠の技 : 人による(ラインの)調整力』という日本の強みが必ず生きてきます。」(渡辺 氏)
渡辺 氏はNECプラットフォームズの執行役員でもある。同氏はそこでの経験を踏まえ、タイや中国などの海外に工場を作る場合、日本と同じやり方を導入してもまず失敗すると述べる。日本では作業員の役割を固定化せず柔軟に動けるようにすると生産効率が上がる。しかし、海外工場ではむしろ役割を固定化し同じことを繰り返すように設計したほうが生産効率が上がる。そういった違いがあるからだ。
「工場の海外移転は、空洞化の文脈から問題視されることも多いです。ただ、そのなかでは日本の強みを生かした『海外工場の運営』『現地の事情を考慮したライン設計』がノウハウとして資産化されています。仮に日本の製造各社が結束して国際標準な『セキュア生産』の仕組みを構築すれば、そして今述べたノウハウを生かした "新興国に適応可能な形" で『セキュア生産』を輸出すれば、世界の製造産業を日本がリバランスすることも十分にありえるのです。」(渡辺 氏)
NISTのCSFやSP800 171を考慮して開発
渡辺 氏のビジョンを実現するためには、まず「セキュア生産」を体系化することが必要だ。そのために同氏は、ルール研での研究開発やワークショップの経験をもとに「セキュア生産の成熟を目指す会」を設置。企業の垣根を超えて取り組みを進めており、2020年の中旬にセキュア生産のプロトタイプを公表、同年内でサプライチェーンを連ねる各社が統一して利用できるセキュア生産システムの提供を計画している。
「セキュア生産の成熟を目指す会」では、「セキュア生産」の体系化にあたって、NIST(米国立標準技術研究所)が定めているサイバーセキュリティフレームワーク(CSF)などを参考にしている。例えば、工場に何らかのインシデントが発生した場合、「特定(Identify)」「防御(Protect)」「検知(Detect)」「対応(Respond)」「復旧(Recover)」というフェーズで対応し、BCPの考え方のもと被害部分を再構成して最短で復旧させることを目指す。
すでにNECプラットフォームズでは、自部門や自社工場で、セキュア生産のプロトタイプの試行を続けている。NECプラットフォームズのセキュリティ事業推進室の加藤剛氏はこう話す。
「ランサムウェアの被害やサプライチェーン攻撃による操業停止など、工場のセキュリティが問題になるケースが増えています。『セキュア生産』は一義的にはこうした脅威に対抗するうえでも有効です。工場へのUSBの持ち込みにどんなリスクがあるのか、スマートフォンを管理PCのポートで充電することによるリスクは何かなど、ICT管理の基本から対策できるところもポイントです。」(加藤 氏)
米国の政府調達基準であるNIST SP800 171も考慮されている。「NIST SP800 171の基準を満たさないことで、日本企業が調達からスクリーンアウトされる可能性がでてきています。知見やノウハウを共有しながらグローバル サプライチェーン含めて管理していくことを、『セキュア生産』では進めています。」(加藤 氏)
世界の製造業をリバランスする、そのために
とはいえ、課題は少なくないのが現状だ。まず、現場との温度差がある。従来の生産技術への信頼の高さもあり、ICTの導入をためらったり、価値を認めなかったりする傾向は依然強い。「直接現場に赴き、泥臭くICTのリスクとメリットを訴えていくことが重要です」と加藤氏は話す。
生産から物流、販売までのワークフローをサプライチェーン全体で統一していくことも必要だが、現場ヒアリングをしても、担当者は自分の担当分野だけしか把握していないケースが多い。サプライチェーン全体でどう課題を見つけ出し、ICTを適用したシステムを構築していくかはかなりの労力が必要になる。
競合同士でセキュア生産のためのパートナーシップ、エコシステムをどう作っていくかという課題もある。セキュア生産のビジョンは、工場でのセキュリティ対策にとどまらず、工場の設計や運営、国内外の労働力の有効活用までを含めた日本の製造業の将来像を見据えたものだ。
「たしかに課題は多い。しかし、いま取り組まなければ、日本の製造業が培ってきた知見やノウハウがそっくりと失われてしまうという危機感があります。少しずつですが、取り組みを進めていかなければなりません。『セキュア生産』はセキュリティという喫緊の課題に対応できることがメリットです。わかりやすく、効果の見えやすいところから取り組みを進めていき、日本主導で世界の製造業をリバランスできるよう邁進していきます。」(渡辺 氏)
「セキュア生産」と聞いてピンとくる方は、まだ少数派のはずだ。ただ、同生産方式は、渡辺 氏も語るように、未来の日本を照らす大きな可能性を秘めている。数年後には当たり前のように「セキュア生産」という言葉が通用する、そんな社会になることに期待したい。
[PR]提供:NECプラットフォームズ