情報を土台に築き上げられたさまざまな価値によって、平和と幸福を人々が享受しているこの時代。パソコンやスマートフォンは言うに及ばず、サービス、インフラ、ライフイベントに関わるあらゆるものが、データの集積と管理運用によって成り立っている。
このデータを盗み、壊し、絶望の悪夢をもたらそうと企む人間が、この地上には存在する。
しかし、希望もある。攻める側が人間なら、悪意の嵐に立ち向かい、必死に守るのもまた人間。そんな彼らの攻防を追うドキュメンタリー映画が「The Defenders ~防衛者たち~」だ。
そもそもハッキング不可能なシステムはこの世に存在するのか?
情報がなければ日常生活の何ひとつとして円滑にこなせない時代を、もはや私たちは迎えている。
ところがデータそれ自体は目に見えず、触れることもできないもの。それだけに、実際に痛烈な被害を受けたことのない立場では、肌感覚の脅威を意識していないのが残念ながら実情だ。
情報を扱うすべてのシステムには、常に危険が秘められている。にもかかわらず、世界中には無防備なシステムが蔓延している。そもそもハッキングが不可能なシステムなど、この世の中に存在するのだろうか。
答えは、Noだ。
いかなるシステムであっても、サイバー攻撃の被害をゼロにすることはできない。
だからこそ、情報があるところ必ず、複雑な社会システムに対応するセキュリティの防御機能がなければ、世の人々は一秒たりとも腰を落ち着けていることなど不可能なはずだ。
あらゆるシステムがサイバー攻撃の脅威にさらされている
2016年11月、米サンフランシスコの市営鉄道(MUNI)がサイバー攻撃によって乗っ取られた。その日、いつものように地下鉄を利用した市民は、システムが料金支払いを受け付けないという奇怪な事態に遭遇する。
利用者の中には、これは市からの思いがけないプレゼントだと喜んだ人もいたかもしれない。もちろん事実は異なり、システムが攻撃者によって勝手に暗号化され、機能不全の状況に陥ってしまったのだ。
同様の事件は米国メディアの中枢部でも発生した。2013年、ニューヨーク・タイムズが中国のハッカー集団から長期にわたって悪意の攻撃を受け続ける事態が起きる。同社では他のメディアも攻撃を受けているに違いないと判断して攻撃の公表に踏み切り、センセーションを巻き起こした。
米国では大手映画会社もハッキングされたが、これは同社が北朝鮮の政治体制を揶揄する映画を製作したため、その報復を受けたものだと世界中に報じられ、「サイバー戦争の勃発か」と騒然となった。
こうした事態は大手メディアや公共サービスの提供者のみに起きるものではない。盗まれては困る情報など、どの事業体も間違いなく抱えている。システムが使用不能になって業務に支障を来さない企業もどこにもないのだ。
いまやあらゆるシステムが、破滅的なサイバー攻撃の脅威に常にさらされている。この現状を、まずは従来以上に深く認識すべきだろう。
“何も起きない”の背後にある、見えないダイナミズム
攻める側があれば、守る側もある。
情報の砦の内と外では、攻める側、守る側の熾烈な戦いが日夜繰り広げられている。守る側に休む暇など、一瞬たりとも転がっていない。
奇妙なことに、概して攻める側には非難にせよ恐怖にせよ熱い目が注がれるものの、情報を守る側が注目されるチャンスは決して多くない。
スポーツの世界では、ポイントゲッターだけでなくディフェンダーも賞賛される。サッカーでも、野球でも、アメリカンフットボールでも、ディフェンダーのスーパープレイがあれば、失点という目に見える損害が発生していなくとも、スタジアムは拍手と歓声に(あるいは、敵からすれば落胆とため息に)包まれることだろう。
ところがサイバーセキュリティの世界では、この図式が単純に当てはまることはない。
2012年に開かれたロンドンオリンピックでも、開会式を標的としたサイバー攻撃が計画され、担当者たちは必死に働き、知恵を絞って被害を未然に防いだ。
世紀の祭典を現地で、あるいはテレビを観ているだけの人には、その場では感動以外の何事も起きなかったと感じられたことだろう。しかし舞台裏では、セキュリティ担当者が目を光らせ、どんなに些細な異変をも見逃すまいと奮闘していたのだ。実際、開会式の演出でスタジアムのライトが瞬間的に暗転するたび、セキュリティの責任者は肝を冷やしていたという。まさに、私たちが知らないところで、だ。
「何も起きなかった」とき、守る側はえてして評価されない。なかったものはなかったとしか認識されない。彼らの存在がクローズアップされるのは、例外なく、「何かが起きた」ときなのだ。
だからといって、彼らは何かが起きる状況を決して野放しにはしない。日夜、彼らになし得るすべての手筈を尽くして抜かりなく対策を行い、「何か」が決して起こらないように取り組んでいる。「何か」が現実に起きてしまう以前に、防ぎ、守っている。私たちはそこに気づき、何も起きていない事実を彼らが作り上げていることに対してこそ、拍手を送るべきではないか。
情報に埋め尽くされた世界が平時であり続けられるのは、彼らの存在あってこそだからだ。
サイバーセキュリティの静かな攻防を今、あなたは目撃する
「The Defenders ~防衛者たち~」は、さまざまな現場において、ひたすら守り続ける彼らの姿を、貴重な証言をもとに描き切ったストーリーである。
攻める側はどういった人間なのか、それに対して彼らの企みを防ぐ“守る側”は何を考え、行動しているのか。このダイナミックな戦いの内幕が、静かな緊迫感とともに伝えられている。
彼らの思想は「ハッキングされない完璧なシステムを作り上げる」ことではない。冒頭で記したように、そんなことは不可能であることを、守る側の彼らは誰よりも知り抜いている。
だからこそ、攻撃の兆候を一刻も早くキャッチし、有効な対策を施すことで、脅威の萌芽を抑え、悪意の種を弾き飛ばすのだ。
サイバーセキュリティの最前線で攻撃者と面と向かい、奮闘する、見えない“防衛者たち”。彼らがいるおかげで、世界は真に致命的なサイバー攻撃に遭遇することなく、安堵の想いで平穏な暮らしを送ることができる。
もちろんサイバー戦争は、いつ何時起きても不思議ではない。このドキュメンタリー映画で描かれたサイバー世界の光と影の攻防を、この機会に体感してほしい。
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