東京・北区にある内村キャスター販売株式会社は、インダストリアルキャスターの専門メーカー、株式会社内村製作所の総販売元として1961年に設立された。従業員数18名の同社では、十数年前にドメインを取得。BIGLOBEオフィスサービスを利用して、社員自らの手で自社サイトを構築・運営、取り扱い製品の販売促進や営業支援にホームページを活用している。
「BIGLOBEオフィスサービス」についてはこちら
パッキングキャスターの販売で信頼と実績を築く
台車などに使われるキャスターは、モノの運搬に欠かせない「縁の下の力持ち」だ。内村キャスター販売で扱っている「パッキングキャスター」とは、内村製作所オリジナルのパッキング構造を特徴としたキャスター。同社で扱っているパッキングキャスター約350種類のほとんどは重量の重いモノを運ぶための製品で、商社を経由して大手メーカーの工場などへ納品されている。パッキングキャスターは、工場などの装置の運搬用に使われたり、重い半導体装置の搬出搬入用として取り付けられているという。
会社の草創期には、車いす用のキャスターや、ホテルのサービスワゴンのキャスターなどを扱っていた実績もある同社だが、現在は「重量物のキャスターなら内村」と業界での評判も根付いている。重量のあるキャスターは、信頼性が最大のポイントになる。同社は長年培ってきた技術を土台に、キャスターのエキスパートとして使用環境や用途に合ったキャスターを提供している。
内村キャスター販売の正面玄関脇にあるショーウィンドウには、取り扱っているパッキングキャスターが並んでいる |
左はホテルのサービスワゴンに使われているキャスター。右は車いすバスケットボール選手権大会の賞品として授与されていた車いす用のキャスター |
長年にわたる車いすバスケットボール大会への支援
現在はインダストリアルキャスターに力を入れている同社だが、草創期には通産省(当時)などからの要請に応じて、車いすバスケット用の車いすに付けるキャスターも取り扱っていた。その縁で、昭和45年の第1回車椅子バスケットボール競技大会(現在は内閣総理大臣杯争奪日本車椅子バスケットボール選手権大会)から、年1回の全国大会のスポンサーとして大会の支援を長く続けている。車いすバスケット用の車いすは、今や競技用として特化したものに進化しているため、同社のキャスターが使われることはなくなったが、東京パラリンピックが開催されたころは、同社のキャスターを付けた車いすが競技に使用されていた。当時は上位入賞者への賞品として同社のキャスターが提供され、好評を得ていたという。人と人とのつながりを大切にする同社の社風は、こうした地道な社会貢献活動からも伺うことができるだろう。
パソコン1台の時代に独自ドメインを取得
同社では、仕入・販売などの業務処理にはオフコンを使用していた十数年前、文書作成用にパソコンを1台導入。プロバイダとしてBIGLOBEと契約し、メールを使用できるように電話回線を使ってダイヤルアップ接続ができるようにした。BIGLOBEを選択したのは、以前より仕事でNECと取引があり、ブランドイメージ、安心感があったためだという。しかし当初は、まだ業界内でのメールの利用が一般的ではなかったこともあり、社長と複数の営業スタッフが1台のパソコンを共有しているような状態だった。インターネットを直接仕事に結びつけることは考えられなかった時代だが、NECの営業担当の勧めもあり、将来を見越して独自ドメインを取得することにした。同社の内村健社長は、当時を振り返って次のように語ってくれた。
「そのころは、まだインターネットを使って何をしようという考えもなかったのですが、古くからお付き合いのあったNECさんの営業の方に勧められて、会社名のドメインを取得することにしました。ドメインは早い者勝ちで、会社名のドメインが取れなくなる可能性があると言われたことが大きかったですね。将来的にはホームページを作りたいと思って、いろいろ資料を調べたりもしていました。早いうちにドメインを取得しておいたことが、ホームページを活用している今になって役に立っていると思います」(内村氏)
その後、パソコンの台数が増え、業務処理もオフコンからパソコンへと移っていったが、しばらくの間、独自ドメインの利用はメールアドレスにとどまり、自社サイトの構築に取りかかったのは、さらに数年先のことだった。
「ドメインを取得したので、いずれ会社のホームページを作りたいと思っていました」と語る内村キャスター販売株式会社 代表取締役社長の内村健氏 |