ニューヨーク滞在中の生活拠点となったイースト92丁目のアパートが見つかったのは、偶然以外の何物でもない。友人のおかげでコロンビア大学院遊学の方は早く決まったのだが、「食う寝るところ住むところ」に関してはギリギリまで白紙だった。友人は、「僕のアパートに来いよ」と言ってくれたのだが、三カ月近くとなると甘えの限界を超えている。
あなたがリッチならば別だがニューヨーク、特にマンハッタンの住宅事情はかなり厳しい。国連本部のある東49~50丁目あたりの質素なワンルームでも軽く2000ドル以上は越えるだろう。高いところはきりがないが治安の問題も考えて、まあまあの所となると3~4000ドルは覚悟しないといけないのではないだろうか。円安傾向だから物価感覚では4~50万円。私の場合、滞在期間が3カ月と短いからなおのこと厳しい。
東京出発の直前となってニューヨーク大学院に通うM嬢から、「一週間単位で借りられるアパートがあるわよ」という耳寄りなニュースが飛び込んできた。日本的に言うと1LDKを借主の男性とシェアするのだが本人はフロリダに行っていて、たまにニューヨークに戻った時だけ泊まる。だからほとんど一人暮らしも同然だ、と言うのだ。それで一週間300ドルでいいという。ワオ! ただ、「家賃は、小切手でなく現金で口座に振り込んで欲しい」と言うのが少し気にはなったのだが…。
少したって仲良くなったギリシャ系の床屋のオヤジによると、このあたりは戦前、ドイツ系移民が多く住んだところだそうで、「あの頃は、一家10人ぐらいが詰め込んで暮らしていたもんだよ」と言う。今はホワイトカラーの単身者や若いカップルが住んでいる。通りを二つ隔てたパークアヴェニュー沿いには制服姿のドアマンの立つ高級アパートが並んでいるが、そこに比べると気さくな一角だった。セントラルパークやメトロポリタン美術館にも近いし、マジソンアヴェニューから大学にもバス一本で行ける。
ただこのアパート、20世紀初頭の遺物というとてつもない骨董品だった。私の部屋は6階だがエレベーターはない。ドアのかぎを開けるのには独特のコツがいる。実際、いかんせん開かず厳寒の中、何十分も押したり引いたりしたこともあった。窓枠は度重なるペンキ塗りの厚みでかろうじて脱落をまぬがれているという代物。ゴミを出す時、ビルの背にぶる下がるクモの巣のような配線を見て心配したのだが、案の定3ヶ月間で2回漏電、加えてブレーカーもぶっ壊れてローソク生活を送った。彼女でもいればロマンチックだがパソコンから何からダウンしてしまうから原始生活だ。修理が完了するまでには毎回、気の遠くなるほどの電話と数日間かかった。ワシントンDCに住んでいたころ、配送業者がやたら間違えるので、「月まで人類を送り込めるアメリカで、なぜデパートから我が家まで物が届かんのか」とカッカしていた友人を思い出して苦笑した。アメリカではこんなことにめげていたら暮らせない。
隙間風が入るがニューヨークのありがたさでスチームと水道代はタダだから室内ではTシャツ一枚でいられる。スペイン語、中国語、韓国語、日本語のテレビも流れている。チャイナタウンまで行けばグレイハウンド(長距離バス)、アムトラック(鉄道)の半額以下でワシントンDCにでもボストンにでも行ける「チャイナタウン・シャトル」も出ている(もっともこれは白バスで、事故が起きても補償してくれないし、車内トイレもないのでお勧めできない)。何事をも面白がってしまう前向きな精神の人にはニューヨークは刺激的で、寝る時間も惜しくなる街だ。
アパートの借主マイケルは、私が移り住んでから一週間ほどたってフロリダからやってきた。アメリカ人としては小柄な中西部出身、40歳半ばの中年男。イエール大学でドイツ文学を学んだインテリだ。大学を出てドイツ語学校で働いたり、米独文化交流機関にいたがいまはAIDSに侵された友人の介護に専念しているという。ということは…。「そう僕もHIV(エイズウイルス感染者)だよ」とさらっと言った。彼によると、今日では次々いい薬が開発されているので医師の管理下に入れば、「さほど恐れることはないよ」と言うのだが。
彼はフロリダとの間を行ったり来たりしてたから実質的には二週間ほどだったが、こうしてエイズ感染したホモセクシアルとの不思議な"同棲生活"が始まった。なぜ家賃が安いのか、その理由はすぐ分かった。建物が古いのも一因だが、我々がやっているのは法的には胡散臭い、「サブレット」と呼ばれるまた貸しなのだ。表向きは友人を訪ねたルームメイトということになっているが、赤の他人から金を取っているのだから大家にばれれば面倒なことになる。だから小切手と言う証拠は残せないのだ。