92nd Yのカウフマンホールに、明るいブルー・スーツに身を固めたヒラリー・クリントンが登場すると、500人近い聴衆が一斉に立ち上がり大拍手で歓迎した。やはり地元の選挙民はありがたい。クリントン前大統領がハーレムに事務所を置いていることも重なって、ニューヨーカーはクリントン夫婦が大好きなのだ。

大統領夫人時代から7年たったが、あの頃よりオーラがある。これは、「夫人」でなく自分の力で勝ちとった「上院議員」という地位から生まれてくるのだろうか。この国では「パワーはビューティフル」なのだ。

「ブッシュ政治がもたらした8年間の停滞と後退を今こそ変えましょう。新しい課題に挑戦しましょう」。演説の区切りごとに繰り返されるスタンディング・オべーション(全員立ち上がっての拍手)が興奮を高める。スピーカー、聴衆が一体となってイベントを盛り上げるのはアメリカ人のお家芸ともいえる。

聴衆の反応を確かめながらアメリカの中産階級が最も不安に感じている住宅ローン金利、教育問題、国民が等しく加入する医療保険の必要性などに論点を移してゆく。

こうした場でヒラリーが外交問題に触れることはめったにない。イラク侵攻決議に賛成したことをライバルのオバマ候補が集中的に攻撃しているせいもある。しかし米大統領選挙は、いつも「ポケット・ブック・イッシュウ(家計の問題)」で争われてきたのだ。この点、「バラクがよりリベラルの立場から攻撃するのでヒラリーは中庸でいられる。アメリカのマジョリティーはそれを見て安心する。オバマはヒラリーの引き立て役だ」というABCテレビコメンテイターの分析は、なかなか鋭いと思った。

この日のもう一人の主役はヒラリーと裏表でニューヨーク州から出ている民主党上院議員、チャールス(チャック)・シューマー氏だ。下院8期、上院2期で民主党の上院ランクナンバー3であるシューマー氏がどこまでヒラリーに肩入れするかは大統領選挙の帰趨を決定するカギの一つだ。

シューマーの話は具体的だった。「我々は2004年(大統領選挙)になぜ敗れたのか。テロリズムとの戦いで、ブッシュの戦争路線に代わる選択肢を提示できなかった。ブッシュの金持ち優先の減税に対抗する中産階級中心の減税政策をまとめられなかった。ゲイやレスビアンを非難するキリスト教右派に対し、真のファミリー・バリューを提示できなかった。しかし今や1932年のローズベルト大統領、1980年のレーガン大統領登場以来の大きな政治変動の時が来た。それは昨年中間選挙の結果が明快に示している。我々は勝てるし、勝たねばならない」。

ニューヨークという国際商業都市をバックにしているせいか、シューマー議員は民主党議員の間に根強い保護貿易主義的スタンスは取らない。ここは貿易、金融の中心ニューヨークだから当然と言えるが「アメリカ人の雇用が外国(この場合は中国を指す)に奪われている」と何度も強調しているのが気になった。

ヒラリー、シューマーの演説を聞いてからもう10カ月たった。アイオワ党員集会を半月後に控えた12月中旬の全米各種調査結果を見ると民主党内ではヒラリー・クリントン(60歳)40~50%台、バラク・オバマ(46歳)20~30%台、ジョン・エドワーズ(54歳)10~15%台の順。共和党はランドルフ・ジリアーニ(63歳)20~25%台、急進している前アーカンソー州知事、マイク・ハッカビー(52歳)18~22%、前マサチューセッツ州知事、ミット・ロムニー(60歳)15~18%台、マッケイン上院議員(71歳)10~13%と続いている。

全国平均ではヒラリー、ジュリアーニ候補が先行しているが、最初に党員集会、予備選が行われるアイオワ州、ニューハンプシャー州ではオバマ候補、ハッカビー候補が本命の二人を抑えて善戦をしている。

予備選挙の趨勢を見ないで大統領選挙のゆくえを占うのは危険だが、いくつかの予測は立つ。まずアメリカの戦後史を見ると、戦争の後には政権交代が行われていることが分る。朝鮮戦争後のトルーマン(民主)からアイゼンハウアー(共和)。そしてベトナム戦争の終結をうたったニクソン(共和党)が民主党に勝った例があげられる。

アフガニスタンからイラクへ。テロとの戦いも6年を過ぎ、アメリカ人にとっては第二次大戦より長い戦争となった。誰が大統領になろうとも超大国の面子を守りつつ泥沼からどのように足を引き抜くか、が最大の課題となるだろう。共和党からの民主党への交代の可能性は高い。共和党にはニューヨークの治安を回復させた辣腕検事で前市長のジュリアーニ氏、ベトナム戦争の英雄、マッケイン上院議員、マサチューセッツ州知事として業績を上げたロムニー氏、教会票を背景に急伸しているハッカビー氏などがいる。しかし大きな時代の変わり目の舵を切って行く迫力が感じられない。

チェンジという言葉は、一般的に「変化」と訳されるが、よりアメリカ人の気持ちに即して言うと「バッター・チェンジ」を告げる時の「交代」ではないか。とすれば初の女性、初のアフリカ系というくらいのドラスティックさがないと、「チェンジ」にならないと思うのだが。