今回のアメリカ滞在中、訪問した老人介護施設は、ニュージャージー州の「ハートサイド・コモンズ」だけだった。しかし1988年から4年間の特派員生活ではヴァ―ジニア、メリーランド州などの施設や、老人リゾートの「黄金境」といわれるカリフォルニア州、パームスプリングスを訪ねたこともあった。
総じてアメリカでの印象は、「スペースの広さ、労働力の豊かさ、選択の多さ(自由度の高さ)、(施設間の)競争原理の激しさ」だった。私が住んでいたメリーランド州ベテスダ郊外のナージングホームは、介護なしで生活する老人ホーム、介護付きのホームが別々の建物で敷地の中に散在していた。友人の祖母を一緒に見舞ったとき、ホームではパーテイが開かれていて品のいい老婦人が皆と抱き合い目にはうっすらと涙を浮かべていた。聞くと、症状が進んで介護なしの「ブルーハウス」から、介護付きの「ローズハウス」に引っ越すので、お別れ会が行われていたのだ。
ハウスは林と庭が広がる敷地の中に点在していて、コテージのようだ。池もあって周りを乗馬もできる。その一角に葬儀場もあったのが目に残った。「入居者は気にしないのかな」と聞くと、友人は「なぜ? 人生一度は迎えることだろう。マリアさまのところに行ける日が近づいてきた、と言う人だっているよ」とかえって不思議がられた。アメリカ人の死生観の一端に触れた気分だった。
一方、昨年から務める全国老人福祉施設協議会理事として見て回った日本の施設の印象は「狭さ、規律正しさ、清潔、画一的、人手不足、コストの安さ」だ。果たして日本とアメリカ、どちらでの老後生活が幸せなのかは一概に決めつけられない。確かに入居待ちは多いものの、費用の80%以上を介護保険が見てくれる日本の特別養護老人ホームは、無保険者4000万人以上というアメリカの低所得層からは天国のように思えるだろう。でも、多くのアメリカ人は、日本の施設での生活に順応できないと思う。改善されつつはあっても、未だ4人部屋がザラ。楽しみの入浴も週2~3回。それもヘルパーの都合で夕食前。食事時間は厳守だし、選択の余地は狭い。介護度が上がればベッドでの食事となる。
現在、介護職の離職率は平均20%。理論的には5年に1回、全介護職が入れ替わる計算だ。だから現場は常に人手不足。トイレに連れてゆく時間が惜しいからついオムツを多用する。「いい入居者になってもらう」ために導眠剤も使うから、「(日本の老人施設に)寝たきりはいない、寝かせきりがある」(山井和則「日本の高齢者福祉」岩波新書)という状態になる。
日本にも個人負担の有料老人ホームが出来てきた。これらの施設の問題は、老いの進行に伴って介護のステージを挙げる複数の施設が併設されていないことだ。敷地、人手不足から制約があるのだ。
一方、アメリカ。一握りのスーパーリッチは別世界だが、中堅サラリーマンも若いうちから信託運用をやり、企業年金、民間介護保険に入って自己武装をする。在宅から施設まで選択肢は幅広い。自己責任といえばドライに聞こえるが、教会や、地域のボランティアの援助も期待できないわけではない。施設もお役所仕事ではないからサービス合戦も激しい。前回、紹介したように施設の理事会が銀行と提携して入居者の資産運用もするから、事務所にはファンドマネージャーが常駐したりしている。
こうしたことを見聞きするなかで、前回も触れたが、不思議に思ってきたのが、「アメリカの施設で会う老人は男女ともなぜ、きちんとした服装(おしゃれして、といっても過言ではない)でいるのだろうか」という点だった。「あなたは高級なところばかり見てきたから」という方がいるかもしれない。しかし、同じような印象を、比較的低所得のメディケア(高齢者公的医療保険)受給者が多く入る施設を見学した人も受けている。「無論、部屋の清潔度、サービスの質はだいぶ落ちる。しかし、床ずれを避けるために全員が着替えて車いすに乗ってでも食堂に来るし、広間でゲームをしたりする」という話を聞いた。
私なりの答えは前回、書いたので重複はさける。ヒントを得たのは、今年の夏、札幌郊外の特別養護老人ホームを見学したときだった。ここでは比較的重度の入居者がベッドから転がり落ちる事故が何回か起きた。介護職が研究した結果、ベッドの高さを下げる、マットでなく畳み敷きするという対策をとった。その結果、事故が激減したというのだ。別に日本の老人介護施設のすべてをタタミと障子にしろと言っているのではない。今後はベッド生活に慣れた人も増えてゆくだろう。生活慣習、お年寄りが生きてきた生活リズムを継続するなかで外の社会とのつながり、関心を、どうやって持ち続けてもらうのか。制度面ばかりでなく、こんな視点から日米比較をしてみるのも一興だと思った。