前回の続きです。

岡本太郎さんの作品、そのえげつない色、あの独特で激しいうねる曲線、そして造形、縄文土器の発見に至るまで、その言動も含めて、太郎さんはずっと僕らに野性や原始、大自然のイメージを突きつけてきたように思うんですね。文明が発達するにつれて、合理的な便利で機能化された生活に入っていく。嫌なものにはフタをして、生活を見た目だけを美しくしていく。別に田舎暮らしをしろ! ということではなく、むしろ新しい快適な生活スタイルを推し進めながら、その中に野性を持ち込んで爆発させろ! ということかもしれません。

実際に、このシンプル空間に流木をドンと置いただけで、気持ちが高ぶるのを感じます。感じませんか? イメージしてみてください。リビングでオフィス内でも、そこにマングローブの根なんかがどーんって置き去りになっていたら……。

時代をさらに、岡本太郎さんが活躍される前の日本、戦後の日本に巻き戻してみます。

1950年代、華道人、勅使河原蒼風という、その時代、花のピカソといわれた方がおりました。

草月流を立ち上げた「いけばな」の人です。若いかたは今はもう名前さえ聞いたこともない方も多いと思います。ある時代、最も有名な国際的な芸術家だったんです。アンディ・ウォーホルも彼の顔を作品にしております。戦後日本のアヴァンギャルド芸術を語るとき、この方を抜きに語れぬほどでございます。

彼のいける花は常にセンセーショナルを巻き起こしました。なにせ、いままでの日本人が思っている「いけばな」のイメージと大きく違っていたからです。

「いけばなに個性はいらない」と言う華道人の父と決裂して、孤立した勅使河原蒼風は草月流を創流しました。いけばな界から大反感をかいつつ、草月流は軽快でモダンな花が評判となりどんどん大きくなりました。「いけばな」か「芸術」か! そんな論争も巻き起こしながら、草月は日本のアバンギャルド芸術の温床になっていきました。

勅使河原蒼風はそんなことを言いました。もちろん、岡本太郎との交流もありました。

この話、まだまだ続きます。

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タナカカツキ


1966年、大阪府出身。18歳でマンガ家デビュー。以後、映像作家、アーティストとしても活躍。マンガ家として『オッス! トン子ちゃん』、『バカドリル』(天久聖一との共著)など作品多数。1995年に、フルCGアニメ『カエルマン』発売。CM、PV、テレビ番組のオープニングなど、様々な映像制作を手がける。映像作品『ALTOVISION』では「After Effects」や「3ds Max」を駆使して、斬新な映像表現に挑んだ。キリンジのアルバム『BUOYANCY』など、CDのアートディレクションも手掛ける。