2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催や社会の多様化に伴い、「ダイバーシティ&インクルージョン」の注目が高まっている。
筑波大学では、これらを学問として確立し社会へ浸透させるべく、さまざまな研究や取り組みを進めており、今秋からは学生および企業人に向けたエクステンション講座を開講する予定だ。
同大学のダイバーシティ・アクセシビリティ・キャリアセンター長の五十嵐 浩也教授は「そもそもダイバーシティとは何かを問い直し、新しい価値の創造へ繋げ、社会や組織に対する方法論を生み出していきたい」と展望を述べている。
本稿では、これらの取り組みの一環として筑波大学東京キャンパスにて行われた公開シンポジウム「ダイバーシティで未来をえがく」のなかから、筑波大学 山海 嘉之 教授による基調講演の様子をお届けしたい。
筑波大学 山海 嘉之教授 |
多様な学術領域を融合・複合させた「サイバニクス」を確立
「カンブリア紀の大爆発で多様な生物が誕生し、その後の進化の過程で消えていくものと生き残っていくものがあった。さまざまな淘汰を経て私たちホモサピエンスが登場したが、現代の情報社会においては、ホモサピエンスはホモサピエンスのまま、生物としての淘汰は起きていない。
私たちはテクノロジーを社会に埋め込んだ生きもの。これから私たちの未来はどうなるのかを考えるときに重要なのが、ダイバーシティやインクルージョンというキーワード」(山海教授)
講演冒頭でこのように語った山海教授は、ロボットスーツ「HAL」の開発者として知られる。
大学教授、ロボットベンチャー企業 サイバーダインのCEO、および内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)のプログラムリーダーという肩書きを持ち、産官学を網羅した立場で研究開発を進め、人・ロボット・情報系など多様な領域を融合・複合させた「サイバニクス」技術を確立させるなど、まさにダイバーシティを体現してきた研究者であるといえる。
「社会に役立つ科学者になりたいと思い立った小・中学生のころには『理科』と一括りにされていたのに、縦割り型の日本の大学組織において研究を進めていくには、狭い専門領域を突き詰めていく必要があった。しかし、それでは社会の複合問題を解くことはできない。新しい領域を開拓しなければと考えた」と、サイバニクスを開拓するに至った動機について説明した山海教授。
サイバニクス領域における技術のマイルストーンのひとつが「重介護ゼロ」だという。
日本は近い将来、超高齢化社会を迎えることによるさまざまな問題に直面する。1人の人に着目しても、高齢者の身体機能は悪化の一途をたどり、介護従事者は日々腰痛に悩まされることとは容易に想像できる。しかし山海教授は、ここに人との物理的・情報的インタラクションを実現するサイバニクス技術が活用できるとする。
「技術だけではなく、社会そのものの取り組みも合わせて考えていく必要がある。脳神経系、生理、生活情報をビッグデータとして集積・解析できる社会が近くやってくる。
これらの情報を取得できるセンシング技術を開発していくことで、日常的に脳神経や身体の治療ができる薬のような、もしくは薬以上のことができるデバイスができるはず。そして、脳神経系からスパコンまでが一気に繋がっていくような世界が実現されはじめている。
私が開発する医療用HALは、昨年末に米国FDAから医療機器承認を取得し、日米のプラットフォームにもなりつつある」(山海教授)
多様な人たちと組み、包括的に物事を考える必要性
HALは、筋肉を動かそうとしたときに皮膚表面にあらわれる微弱な生体電位信号を感知することで身体運動をサポートする機器で、欧州および米国にて医療機器の認証を取得しており、ドイツではすでに脊髄損傷などの患者を対象とした治療が行われている。また、身体障害者や高齢者の運動補助のほか、重作業支援などへの展開も想定されている。
講演では、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活を送っている患者の様子などが紹介された。HALを装着して何度か下半身を動かそうとすることで、まったく動かすことができなかったはずの脚が動くようになった動画が紹介されると、会場から驚きの声があがった。
こうした脳からの信号にもとづいた運動を繰り返し行うことで、HALの補助がなくともスムーズに動けるようになるケースもあるという。これは、脳神経系の繋がりが強化・調整されるためであると考えられている。しかし、そのメカニズムの詳細については明らかになっていない。これは、応用が進むことで基礎研究に対しても大きくフィードバックがあるという事例のひとつだろう。
これについて山海教授は、「基礎研究と応用研究に分けて考えることがそもそも良くない。基礎と応用でうまくキャッチボールをしていく必要がある。大学では基礎だけをやって論文を出しておしまい、という風潮があるが、それでは誰も社会で使ってくれるものにならない。
私が会社を立ち上げたのはそういう理由から。1人の研究者が何かをしようとしたときには自分の分野だけにこだわっていられない。多様な人たちと組み、包括的に物事を考えていかなければいけない」と語った。
そして「いろんな人たちが一緒になって動いてくれているおかげでここまで来ることができた。社会全体はダイバーシティでできあがっている。筑波大学にはぜひダイバーシティ・インクルージョンの取り組みを積極的に進めていってほしい」と続け、講演を締めくくった。