「ERPの分野では現在、”ポストモダンERP”と呼ばれる考え方が注目を浴びています。それは、”モダンERP”に位置づけられる従来のスイート型製品の課題を解決するべく登場している新しいERP像です」――ガートナー ジャパンの本好 宏次氏は、ERP市場の現状についてこのように語る。
デジタルビジネス時代の本格的な到来を間近に控え、企業システムの核を担うERPアプリケーションにも今、大きな変革が訪れている。本誌は、ERPを中心としたビジネス・アプリケーションの分析を担当する本好氏に、技術動向と導入の留意点を聞いたので、その様子をお伝えしよう。
レガシーERPの弊害
ガートナー ジャパン リサーチ部門 エンタプライズ・アプリケーション担当 リサーチ ディレクター 本好 宏次氏 |
「日本の企業は、ERPを導入する際、パッケージソフトウェアに対してフィット&ギャップ分析を実施し、ギャップの部分をカスタマイズで補うケースが多いです。しかし、安易にカスタマイズしてしまうと、後日苦しむことにもなりかねません。ERPベンダーがアーキテクチャの刷新を進めている現在では、なおのこと、その傾向は強くなります」(本好氏)
本好氏は、このように警鐘を鳴らす。
本好氏が特に注意を促すのが、ソースコードレベルのモディフィケーションを大量に施したERPである。そのようなERPをガートナーでは「レガシーERP」と呼ぶ。レガシーERPの最たるデメリットは保守コストが高騰すること。バグ修正や法改正対応、新機能追加などで新版やパッチプログラムがリリースされた際に、ユーザー企業側でソースコードの再改修が必要になるケースが増えてくる。
「機能追加するにしても、パッケージの外部に構築され、統合されているならばそれほど問題にならないかもしれませんが、本体のソースコードを大幅に改修してしまうと、コストの面からバージョンアップを断念せざるをえないことがあります。一昔前なら、それでもやむを得ないケースもあったかもしれませんが、ベンダーの取り組みを考えると現在は、得策とは言えません」(本好氏)
10数年おきに訪れるERP変革の波
本好氏によると、ERPは概ね10数年おきに大きな変革があるという。
80年代は、手作りのシステムや特定機能に特化した専門パッケージを組み合わせる、いわゆるベスト・オブ・ブリードが主流であったが、90年代以降、3層構造アーキテクチャを採用し、さまざまな機能を取り込んだ統合型かつ一枚岩的なERPスイート製品が台頭し、BIベンダーなどの買収を背景に、スイート製品を提供する大手ベンダーがさらに巨大化してきた。ガートナーでは、この90年代以降の流れを、企業の中央のIT部門と大手ERPベンダーがけん引した近代化とし、「モダンERP」の時代と位置付けている。
そして2000年代後半から現在にかけて、普及しはじめているのが、近代化の後の時代のERP、すなわち「ポストモダンERP」である。従来型の巨大なスイート製品は、統合性を重視し過ぎた結果、俊敏性や柔軟性を失い、ユーザー企業の変わり行くニーズに十分には対応できなかった。
そこで、ポストモダンERPは、クラウド・アプリケーションとの連携を前提とし、SOA(Service Oriented Architecture)に代表される疎結合型のソフトウェアのアーキテクチャを取り入れ、クラウドとオンプレミス(自社運用型)にまたがる複数のアプリケーション同士を柔軟につなげることで、カバーする機能の幅を広げつつ、新規開発や企業買収によって、最新機能の提供サイクルを短縮している。
「SOAやAPIによる疎結合化で、それまでタンカーのように巨大なスイートだったERP製品が、モーターボートのように動き回れる小型サービスの集合体に変わりつつあります。従来は、ERP導入を支援するSIベンダーやコンサルティング会社から、ERPの標準機能に合わせて業務を変えるべき、という説明を受けることも多かったと思います。しかし、疎結合なアーキテクチャと、ビジネスプロセス管理(BPM)ツールの融合によって、ユーザー企業各社のビジネスプロセスにソフトウェアが柔軟に合わせられるような世界が見えてきました。実のところ、これはベンダー側にとっても大きなチャレンジです。実現する機能が同じでも、中身は別物と言えます」(本好氏)
このようにERPのアーキテクチャが変わってきていることを背景に、ERP製品の昨今のメジャーバージョンアップは、新たな製品の導入に近いインパクトを与えるものもある。しかし、ソースコードレベルのカスタマイズを大量に施したレガシーERPを運用していると、当然ながら、バージョンアップが難しく、そのままでは過去の資産を引き継ぐことができない。仮にバージョンアップができたとしても、膨大なカスタマイズとそれに伴うテストを繰り返さなければならなくなり、やはり相応のコストが生じてしまう。
「世界を見渡すと、ガートナーが定義する”Nexus of Forces (4つの力の強固な結びつき)”のトレンドはますます強まっています。すなわち、『クラウド』『モバイル』『ソーシャル』『インフォメーション』といった、まずコンシューマー分野で普及したIT技術がビジネス分野にも取り込まれ始めているという現象です。ERPにおいても、こうしたトレンドとは無縁ではなく、ベンダーが対応技術の開発や買収に大きな力を注いでいます。レガシーERPのまま安住しているのでは、こうしたコンシューマーITのメリットも享受できませんので、今後のERP導入・刷新の際にはベンダーの戦略やロードマップを評価する際の重要な視点として、留意したほうがよいでしょう」(本好氏)
モデル駆動、PaaS――ERPのトレンド
では、ERPにおける注目技術としては、どういったものがあるのか。
本好氏は、ガートナーのITマーケット・クロックを引用しながら、「モデル駆動型ERP」「PaaSベースERP」を挙げる。
モデル駆動型ERPは、SOAにより疎結合に組み直した各サービスを、BPMツールなどを活用し、視覚的に分かりやすいプロセスモデルに基づいて設計できるようにしたもの。例えば、イメージ的には、ワークフロー上に表示されているビジネスプロセスの”モデル”をマウス操作で変更することで、機能サービスの実行順序やルールなどを設定することができる。まだ道半ばではあるが、従来のようなお仕着せスイートの殻を破り、ユーザー企業のニーズに合わせた柔軟な導入を実現するべく、クラウド・アプリケーション提供ベンダーを含め、複数のベンダーがモデル駆動型ERPの実現に向けて取り組みを進めている。
ただし、導入するモデル駆動型ERPがあくまで単体の製品やサービス内にフォーカスしている場合、ポストモダンERPにおける周辺アプリケーションと、コアERPとの統合まではカバーできないことも考えられる。また、クラウド上で独自の機能やアプリケーションをアドオンとして作り、ポストモダンERPを補完せざるを得ないケースもあるだろう。
「昨今のERPには、経費精算、勤怠管理、タレントマネジメントなど、さまざまな専門的なクラウド・アプリケーションや独自にクラウド上で構築した機能との連携が必要になることも多いのですが、単にコアERPを新たなアーキテクチャであるモデル駆動型ERPに置き換えただけではそこまでの対応はできないことが考えられます。また、引き続き見込まれるカスタマイズのニーズを、新たなアーキテクチャのERPのみですべて賄えるわけもありません。そこでクラウドとオンプレミス、またはクラウド間のアプリケーション統合やクラウド上のアプリケーション開発を、スピーディに実現する手段として注目を集めているのがPaaSです」(本好氏)
アプリケーション開発用のPaaSとしては、Salesforce.comのForce.comを思い浮かべるとわかりやすい。また、最近では、Force.com上でERPの一部機能を開発し、クラウド・アプリケーションとして提供するベンダーも出てきている。こうしたPaaSの活用が急速に進みつつあり、コアERPに足りない機能をPaaSで開発する、あるいはアプリケーション連携をPaaSによって実現する、といった手段をユーザーに提供するために、各ベンダーが対応を始めている。
いずれもユーザー企業から、柔軟性や、俊敏性が強く求められた結果、提供されはじめたプラットフォーム機能だ。デジタルビジネスの到来が本格化すればこうした機能の重要性はさらに増すことになる。
「”風が吹けば桶屋がもうかる”ではありませんが、現在はビジネスのフロントとは遠い位置にあるERPも、今後は、ビッグデータやIoT(Internet of Things)、M2Mなどの影響を、より強く受けることになるでしょう。
例えば、住宅資材を提供するメーカーを例に考えてみると、巨大な竜巻や台風により一帯の家が壊れ、近隣のDIYショップが販売する資材が売り切れたとします。そのような場合、資材メーカーは、従来のように新たに注文を受けてから製造していたのでは急激な需要の変動に間に合わず、大きな商機を逃すことにもなりかねません。デジタルビジネスでは、資材メーカーが従来の業種の枠を超え、保険会社やハウスメーカーと提携して、顧客からの保険請求や住宅や什器に備えつけられたセンサーなどで収集した実被害の状況をリアルタイムに受け取り、需要を予測したうえでほぼ自動で生産するようなシナリオが考えられます。あるいは、DIYショップが保険会社やハウスメーカーと提携し、自動発注の仕組みを入れるかもしれません。
その際に、資材メーカーやDIYショップのチェーン店の『ERPが対応できない』状況では、新たなビジネスを環境変化に応じて迅速に構築することはできません。他社からの要求に対応するまでの期間次第では、パートナーとの信頼関係も変わってくるでしょう。」(本好氏)
本好氏によると、ERP刷新のタイミングとして多いのは、ERPやハードウェアの保守切れのタイミングだという。しかし、今後は、システム対応の遅れがビジネスに直接悪影響を及ぼすことも考えられる。ERPも自社の都合だけではなく、サプライチェーンや市場全体の動向を踏まえて、検討していく必要がありそうだ。