再びエンジニアに……
エンジニアという職業に嫌気を覚え、思い余って退職した筆者は、法曹浪人としての生活を始めます。貯金とアルバイト収入で生活するつもりで法律予備校へ通い出したのですが、30歳を過ぎてからの法曹へのチャレンジは、生半可な覚悟で通用するはずがありません。自分の将来に不安と焦燥を覚えながら勉強する生活は1年も続かず、早々と挫折しました。
そして筆者は生活のため、再びエンジニアとして仕事を始めます。ただ、どうしても会社勤めをする気にはなれずに、当初は派遣社員として仕事を再開しました。半年後には知り合いのソフトハウスとの直接契約に切り替え、フリーランスのエンジニアとして仕事をするようになりました。個人事業主としての独立です。
フリーランスという立場
営業も自分自身で行うようにしました。会社勤めをしていた際に、エンジニアとして信用を得ていた会社に直接掛け合って仕事を受注し、先のソフトハウスを経由して契約を結ぶ形式にすることにより、サラリーマン時代と比べて大幅にアップした収入と、仕事選択の自由を得ることができました。
筆者はその後数年間、このスタンスで仕事をすることに没頭します。エンジニアの仕事についても、フリーランスという、すべてが自己責任となる立場となって視点が変わったことで、再び魅力を感じるようになりました。そしてこの数年間は自身の技術力、営業力、コミュニケーション力を向上させることに努めました。それは、フリーランスのエンジニアとして生き残って行くために必要なことでした。
一般的に、ITエンジニアの就業形態としてフリーランスのSEやプログラマーとして独立することは比較的容易です。ただし、今後その状況は厳しくなると思います。現在のIT業界の動向は請負業務の適正化に流れていて、大手企業からの発注に対する開発プロジェクトに個人事業主の参画を認めない方向にあるからです。どんなに優秀なエンジニアでも、フリーランスという立場がネックとなって、プロジェクトの選択肢が狭められてしまいます。
筆者が起業した2002年当時は、まだそのような動きは顕著ではありませんでしたが、1人で仕事をしていることに漠然とした不安を覚えていました。やはり「1人は1人」、個人でできることの限界を感じていました。そんな時に筆者は、先輩エンジニアから「会社を作ってみれば」とのアドバイスを受けます。
それまでは自分が会社を興すなんて考えたこともありませんでしたが、既存の会社組織に適応しない人間ならば、自分で組織を作ってみるのもいいのではないかと思いました。幸い、周囲には筆者の考えに賛同してくれる数名の仲間もいました。「よし、会社を作ろう」小さな出航の始まりです。
執筆者プロフィール
雨宮 国和(Kunikazu Amemiya)
株式会社ウイルワークス・システムズ代表取締役社長。十数年に渡るエンジニア経験を経て2002年に会社を設立。最近はバイクにハマる40代。Bar好き。
http://www.willworks.co.jp/
『出典:システム開発ジャーナル Vol.1(2007年11月発刊)』
本稿は原稿執筆時点での内容に基づいているため、現在の状況とは異なる場合があります。ご了承ください。