会社の方針に疑問を抱く
それでも……仕事というものはいいことが続くわけではありません。 この会社には数年間在籍し、金融系を中心に数々のシステム開発に携わりましたが、経験を積むにつれて社内における自分の立場について疑問を持ち始めることになります。
自分で言うのも何ですが……筆者は社内ではいわゆる「できるエンジニア」でしたので、様々なデスマーチプロジェクトに「火消し屋」として投入されました。会社にとっては便利な社員だったと思いますが、「自身のスキルを磨きたい」と考える1人のエンジニアとしては、マネジメントの失敗で火が噴いたプロジェクトを渡り歩く仕事に満足することはできませんでした。そして筆者は会社の方針に疑問と不信感を抱き始めます。
「会社の考えと、社員が考えるスキルプランの乖離」。これは現在の会社経営でも最重要課題として気を配るように肝に銘じています。エンジニアは絶えずスキルアップできる仕事に従事したいものですから。
一方、会社は個人の要望をすべて受け入れていたら経営が成り立たちません。それでも双方が満足できるような均衡点を見つけるために最大限の努力をする。それが「社員の幸福の希求」を実現するための基本的なスタンスです。筆者がエンジニア時代に経験し、考えたことが今の会社の経営方針の大きな柱となっています。
もうエンジニアなんてイヤだ
いよいよ筆者は日々の仕事がイヤになっていきます。そうなってしまうと、エンジニアという職種についても将来の展望を見出せなくなり、30歳を過ぎたところで転職を決意することとなりました。まったく畑の違う、法律関連の仕事に就きたいと思ったのです。
日々の技術動向に振り回されるシステム開発の仕事よりも、法律という筋の通ったモノを相手にする仕事に魅力を感じていました。今考えれば、とてつもなく短絡的な思考だったわけですが、おそらくエンジニアという職種をあきらめるための言い訳にしたかったのでしょう。
筆者はエンジニアとしての自分を育ててくれた会社に感謝しつつも、退職願いを上司に出しました。「考え直すように」と上司からは何度も説得されましたが、職種を変えると言われてしまっては、上司も諦めざるを得なかったことだと思います。そして筆者は晴れて(!?)無職の法曹浪人となったのです。
筆者は会社を辞めてすぐに起業したわけではありません。この後筆者は「フリーランス」という紆余曲折を経て起業に至ります。次回は、筆者が法曹浪人になってからのお話です。
執筆者プロフィール
雨宮 国和(Kunikazu Amemiya)
株式会社ウイルワークス・システムズ代表取締役社長。十数年に渡るエンジニア経験を経て2002年に会社を設立。最近はバイクにハマる40代。Bar好き。
『出典:システム開発ジャーナル Vol.1(2007年11月発刊)』
本稿は原稿執筆時点での内容に基づいているため、現在の状況とは異なる場合があります。ご了承ください。