「起業」と言うカード
このコラムは、サラリーマン・エンジニアだった筆者がシステム開発会社を起業するまでのお話です。
「技術力と創造力で社会に影響を与える創造的企業となる」というビジョンと、「会社の発展と社員の幸福の希求を両立する」と言うポリシーを実現するために歩み続けている技術畑出身の経営者としての道のりについて、実際の起業・会社経営に関するノウハウも交えて数回に渡ってお伝えします。
スタッフ20名とまだまだ成長初期の会社の経営に関することですから、きっと多くの読者の方々にとって身の丈に近い内容になるでしょう。そして、「これなら自分でもできるかも……」と思ったら、自身のエンジニアとしての将来の選択肢の1つに「起業」と言うカードを1枚加えてみてください。きっとこれまで見えなかった夢や想いが広がるのではないかと思います。
エンジニアとしてのスタート
筆者は、起業前は中規模のソフトハウスに勤務していました。入社した頃の世の中はバブル崩壊前夜。IT業界も空前の好景気で、大規模な開発案件も目白押し。開発の現場はどこもかしこも猫の手も借りたいほどの人手不足。そんな時代背景でのエンジニア人生のスタートです。
労働時間は月300時間……
入社研修を経た後に、筆者は大手銀行の夜間バッチシステムのプロジェクトに参加することとなりました。
このプロジェクトでは最初から徹夜の連続で、月の労働時間が300時間を超えることも珍しくありませんでした。作業場に寝袋を持ち込み、昼夜問わずに開発作業を行っていたわけです。それでも当時の筆者は、プログラミングという「モノづくり」の楽しさにのめり込み、数々のプロジェクトを経験しながらいくつもの言語を習得したり、様々な開発環境を経験できたりすることにやりがいを感じていました。
当時主流だったウォーターフォールモデルに準じた開発工程についても、プログラミング技術を身に付け、経験を積んで徐々に上位の設計工程を任されるようになるという段階的なスキルアップを体験することができました。この「下流工程から上流工程へのボトムアップ」の経験は、筆者のその後のエンジニアとしての貴重な土台となっています。
執筆者プロフィール
雨宮 国和(Kunikazu Amemiya)
株式会社ウイルワークス・システムズ代表取締役社長。十数年に渡るエンジニア経験を経て2002年に会社を設立。最近はバイクにハマる40代。Bar好き。
『出典:システム開発ジャーナル Vol.1(2007年11月発刊)』
本稿は原稿執筆時点での内容に基づいているため、現在の状況とは異なる場合があります。ご了承ください。