最近、日本の経済成長に関してビッグマック指数という言葉をよく見かけるようになった。McDonald'sは世界中にあり、看板メニューであるビッグマックの価格を比較して(米国の価格を基準)、各国の通貨の価値や物価水準、経済力などを比較する経済指数である。
例えば、基準値となる米国の価格は5.65ドルで、日本のビッグマックは390円(単品)。このビッグマックの価格に基づいたドル/円の価値は「1ドル=69.03円」になる。しかし、1月15日時点の実際の為替レートは「1ドル=114.20円」であり、円はドルに対してかなり過小評価されていることになる。ビックマック指数の現状から、日本は物価と賃金の上昇が鈍く、さらに円安傾向による輸入価格の上昇で購買力も低下し始めていると指摘されている。
このビッグマック指数に関して1つ正しておくと、米国の価格を5ドル台後半に設定した比較ばかりだが、米国でMcDonald'sは地域ごとの賃金の差を価格に反映しており、ビッグマックは3ドル台から6ドルまで幅広い価格で販売されている。約4ドルの地域が最も多く、5ドル台は価格の高い地域になる。だから、米国の価格を5.65ドルでビッグマック指数を測定するのは適切とは言いがたい。
Zippiaによると、米国のBig Macの平均価格は3.99ドル。私個人の肌感覚でも、地域ごとの価格差を取り入れたビッグマックの米国価格は4ドル前後だと思う。それだと「1ドル=97.74円」。米国で暮らしていると、モノの価値という点で1ドル=100円ぐらいがバランスよいと感じることが多く、ビッグマック指数は参考になる経済指標だと思う(基準価格が正しければ…だが、)。いずれにせよ、平均価格を基準にしても今は円が過小評価されていることに違いはない。
最近だとStarbucksラテ指数というのもあるが、"食"ではなく"衣"の例を紹介すると、ユニクロの価格である。例えば、日本で990円で販売されているヒートテッククルーネックT(半袖)が、米国では14.90ドルである。1ドル=114円で換算すると約1700円だ。日本人にとって米国のユニクロで売られているヒートテッククルーネックTは高すぎるし、逆に日本に旅行で訪れた米国人にとってヒートテッククルーネックTはわずか8.68ドル。あまりの安さに驚喜すること間違いない。
ここ数年、米国で暮らしていて日本に帰った時にいろんなモノが安いと感じるようになった。これは十数年かけて少しずつ進行していたことだが、日銀の2%物価目標が達成できない間にその差が広がるペースが加速していたので、国際競争力という観点から日本の物価と賃金の問題が真剣に議論されるようになったのは良い傾向だと思う。
しかし、克服するのは容易ではない。消費者の覚悟が求められる。2021年になって、この問題に世界的なインフレ加速という新たな要素が加わったからだ。これまでも物価が上昇し続けてきた米国や他の多くの国で、あらゆるものの価格が急上昇している。その影響も含めた大きな変化に直面することになる。
昨年9月にAppleがiPhone 13シリーズを発表した時に、価格に関して日本と米国で反応が異なった。米国で「iPhone 13」は、iPhone 12と同じ「799ドルから」。カメラやストレージ、バッテリーの向上を考えると実質的な値下げと"お買い得感"を歓迎する反応が目立った。日本でiPhone 13は「98,800円から」。円安の進行で、94,380円からだったiPhone 12より高くなった。そして価格に対する反応は、円安の影響以上に負担に感じた消費者が多かったように思う。
物価が上昇してこなかった日本において、値上げが消費者に与える心理的な影響は特に大きい。今はまだ日本で暮らしていると深刻なインフレは別の世界の出来事に思えるかもしれない。だが、日本でも輸入物価指数が前年比41.9%も上昇している。消費者の見えないところ、商品・製品の原材料で日本でもすでにインフレが急進行しており、企業が消費者向けの価格をこれまでのように押さえ込めなくなってきている。
米国のインフレに目を向けると、ここでとどまれるか、それともコントロールが効きにくい負のスパイラルに陥るか、重要な局面を迎えようとしている。米国の12月の消費者物価指数(CPI)は7.0%だった。米連邦準備制度理事会(FRB)の中期的な目標(2%)を大幅に上回る39年ぶりの高水準である。それにも関わらず、発表後の株価への影響は小さかった。つまり、"一時的"と言われていたインフレが"持続的"と見なされ始めている。
大きな要因は、バイデン政権下での1兆9000億ドル規模の大型経済対策である。新型コロナ禍の景気への影響は、2020年の秋には回復の道筋を歩み始めていた。それにも関わらず巨大なマネーをあふれさせて需要を喚起したことで需給のバランスが崩れた。現金のばらまきは人々の働くインセンティブを削ぎ、過去数十年で最悪の労働力不足をもたらしている。消費者の需要はある、しかし賃金をいくら上げても採用枠が埋まらない。賃金の引き上げが繰り返され、それを埋め合わせる価格への転嫁が続いている。
悪いニュースは、ここにきて物価上昇が賃金の上昇を上回る事態になっていること。収入が増えても、それを上回るスピードでものの値段が上がっている。前例のない政府支出にもかかわらず、米国民の購買力や平均的な生活水準が低下する兆しが見え始めており、インフレ傾向は景気回復と決め込んでいたバイデン政権も、中間選挙の年になってようやくインフレ対策に本腰を入れ始めた。
悪いインフレを起こしているのは経済だけではない。"イノーベーション"もインフレ気味である。前回取り上げたWeb3、そしてメタバースと新型コロナ禍にも関わらず大きな変化への取り組みが活発化している。だが、それらイノーベーションの旗を揚げた競争には、巨大プラットフォームによる個人情報の奪い合いやナワバリ争いの側面が際立つ。人々や社会が抱える既存の大きな問題の解消につながる競争であったり、または利益をむさぼる巨大な存在から主権を消費者に取り戻す競争、そして今なら生産性や効率性を向上させる競争は歓迎される。だが、今目立つのは独占的利益を巡る競争であり、競争が進んだ結果、民間企業が民主主義の意思決定で強い影響力を持ったり、価格コントロールといった消費者や経済全体にとってマイナスの事態にもなり得る。悪いインフレのパターンである。
1月13日時点のバイデン大統領の支持率は42%(FiveThirtyEight)。就任から1年の時点ではトランプ前大統領に次ぐ低さである。インフレ対策、巨大テックをはじめとする巨大企業への規制は政府にとって長く厳しい戦いになるが、国民はバイデン政権に一定の成果を求めている。今年は中間選挙という国民からの審判が下される大きなイベントが控えており、結果次第では政権がレームダック化する可能性も。同政権にとって試練の2年目が始まった。それは日本にとって対岸の火事ではない。