大坂なおみ選手が全仏オープンの会見を拒否、メンタルヘルスの不調が理由であったことを公表し、結果的に大会を棄権した。会見拒否に罰金を科すと大会主催者が発表した後、同選手は「anger is a lack of understanding. change makes people uncomfortable(怒りは理解の欠如であり、変化は人を不愉快にさせる)」とツイートした。不愉快に思うとか、そういう話ではないと違和感を覚えた人がいたかと思う。だが、その部分を理解できないと、これからのメンタルヘルスを巡る新常識についていけなくなる可能性がある。
昨年、Appleが選ぶApp StoreのBest of 2020で「今年のトレンドとなったアプリ」として「Shine」が選ばれた。Shineは、不安やストレスを取り除き、日々の生活の中でメンタルや感情の健康を向上させるのを支援するサービスだ。
また、7日に始まった開発者カンファレンスWWDC21で発表したApple Watch用の次期OS「watchOS 8」で、「呼吸(Breathe)」アプリを「マインドフルネス(Mindfulness)」アプリにアップデートし、いくつかのマインドフルネス向けの機能を追加した。
なぜAppleがShineをBest of 2020に選び、マインドフルネスのサポートに力を注ぐのか。今のメンタルヘルスを巡る状況は、数年前の「プライバシー保護」や「ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包括)」に近い。
今でこそプライバシー保護は重んじられているが、2016年初めに、暗号化された個人データに政府機関がアクセスする行為に関してAppleとFBIが対立した時、プライバシー問題を気にかける人は多くはなかった。それがその年の後半に"もしトラ"が現実になり、人々がプライバシー保護を真剣に受け止めるようになった。
ダイバーシティ&インクルージョンも、IT企業のエグゼクティブを白人男性が占め、IT大手の基調講演は白人男性がスピーチすることに誰も違和感を覚えない状態がずっと続いていた。それが、ここ数年で大きく変化し、新旧の考え方の衝突を繰り返しながら、多様な意見や考え方に対しオープンで、誰にでもチャンスを与えることが重要という共通認識が浸透し始めた。
今メンタルヘルスを自分が直面する可能性と捉えている人は、それほど多くはない。しかし、ストレスは誰にでもあり、そしてメンタルヘルスの不調はストレスからくる"正常な反応"なのだ。つまり、誰にでも起こりうる心身の変化である。
例えば、ある社員がうつ病と診断されて休職を申し出たとする。もし会社が「しっかり治して復職してください」と対応したとして、原因が個人の性格などではなく職場環境にあったとしたら、個人の問題と見なすことで治療は進まなければ、他の社員も同様の不調に陥るという問題が起こり得る。
メンタルヘルスの不調を招く環境は、個人の生活の質や仕事のパフォーマンスを低下させる。仕事ができずに悩んでいる社員がうつ病になると思われがちだが、有能な社員がストレスをためていくケースも少なくない。
メンタルヘルスの不調はあいまいで、個人ごとに大きく異なり、多様な個人のニーズに応えるのが難しい側面もある。リモート勤務や長期休暇を認めるといった便宜を1人に与えれば、前例を作ることになりかねないと雇用主は懸念する。従業員も評価が傷つくのを恐れてメンタルヘルスに関する支援を求めない。そうしたバランスで成り立ってきたから、声高に変化を求める声が不愉快に思われるのが現状だ。
しかし、今の若い世代はワークライフバランスの「ライフ」の部分をより重視する傾向が強い。そして新型コロナ禍が良くも悪くも、誰もがメンタルヘルスケアについて深く考えるきっかけになった。仕事やビジネス機会の喪失、自粛による孤立がメンタルヘルス不調の増加を招いた一方で、困難な状況において個人が自分のウェルビーイングをより重んじるようになった。また、メンタルヘルスをより差し迫った問題と捉える雇用主が増え、従業員の問題を理解し、より柔軟で個々のニーズに合った働き方を受け入れる傾向が強まっている。
大坂選手が大会棄権を公表した際に、スポンサーであるSweetgreen、Nike、bareMinerals、Tag Heuerがすぐに同選手の決断を支持する声明を出した。こうした問題において、スポンサー企業は幅広い消費者の理解を得られる立場を取るのが通常である。これまでのように「早い回復を祈っています…」というような中立的なアプローチではなく、影響力のあるブランドや企業も共に変えていく姿勢を示したところに、メンタルヘルスの問題へのアプローチの変化が現れている。今やプライバシーや、ダイバーシティ&インクルージョンを企業が他人事のように扱うのはマイナスでしかない。メンタルヘルス支援についても、そうなる可能性があるのだ。