小中高生の子供を持つ親たちの間で、The Atlanticに掲載された「ティーンの間で今もっともホットなチャットアプリは...Google Docs 」が話題になっている。

Google Docs (Googleドキュメント)がチャットアプリ? 米国ではGoogle Docsがスクールワークやホームワークに「欠かせない存在」と呼べるぐらい学校に浸透している。スマートフォンに触るのを 禁じられ、ノートPCのメッセンジャーアプリが制限される授業中でも、Google Docsなら使っていて怪しまれない。そこで、子供達がGoogle Docsのコラボレーション機能を使って授業中にこっそりメッセージを交換している。

例えば、授業でグループ・プロジェクトを進めていたら、それと同じドキュメントを用意し、コメント機能で意見を交換しているふりをしてメッセージをやりとりする。チャットがばれそうになったら、解決済みボタンを素早く押して会話を終了させる。グループで取り組む内容の授業じゃなかったら、共有の新規ページを作り、ノートをとるふりをしながら共同編集機能を使って、みんなで本文にメッセージを書き込む。参加する人ごとに違うフォントや色を決めておけば、誰が書き込んだのか簡単に見分けられる。

実はこれ、最近広まり始めたことではない。例えば、今年2月に「妹の中学校でGoogle Hangoutsがブロックされて、今はGoogle Docsをグループチャットに使っている 」というRedditのディスカッションが話題になった。イマドキの子供にとってソーシャルメディア禁止令は日常茶飯事だ。その裏をかくコミュニケーション手段として、学校や自宅でGoogle Docsがチャットアプリ代わりに使われている。

あるものでなんとか工夫しているのは、むしろ褒めてあげたくなるが、そう楽観してもいられない。チャットだけではなく、中には日記のように、Google Docsに日々のメモを書きとめる子供もいる。それを共有にして、写真などに友達がコメントしたら、ちょっとしたソーシャルメディアになる。ソーシャルメディアのアカウントを持てないような年齢の子供でも、Google Docsは自由に使えるだけに油断できない。他愛のないチャットばかりならともかく、Google Docs上のつながりが密になってくると、次第にネットいじめのようなことが起こり始める。パレンタルコントロール・サービスを提供するBarkによると、同社はすでに60,000件以上のGoogle Docs上のいじめを確認している。

私の子供の学校でも昨年秋に、子供達のGoogle Docsの使い方が問題になって、父兄の集まりで意見を交換したことがあった。ネットいじめのような深刻なケースではなかったものの、宿題をしているふりをしたチャットが常態化していた。

シリコンバレーでも、いやシリコンバレーだからというべきか、学びにテクノロジーを採用することに慎重な父兄が少なくない。テクノロジーはそれまでできなかった新しい学びを可能にしてくれるが、1人の先生が受け持つ生徒が多い公立学校だと、ただラーニングアプリをやらせたり、学習ビデオを見せたりとデジタル依存が起こりやすい。ウチの子供が通う学校では今年、全てのクラスに50インチ超の大きなテレビが導入されたが、それに失望した父兄も多かった。そのためGoogle Docsのミーティングでは一時「それみたことか」という空気が漂った。

しかし、Google Docsに関しては、多くの先生がコメント機能や共同編集機能をよく理解していなかったり、機能の存在を知らなかった。親や先生が、よく分かっていないもの、使い方を把握していないものを子供に与えるべきではないし、そうしたものを与えておいていきなり取り上げるのは勝手が過ぎる。クラウドサービスやコラボレーションの価値を教えていくのは、子供達のこれからの学びや社会活動に役立つはずである。だから、Google Docsについては親と先生が機能を理解し、その上で子供を管理できるか様子を見ていくというところに落ち着いた。学校でのChromebookの使用が少し制限され、先生や親の監督の目が厳しくなり、その目を盗んで子供達は今もGoogle Docsでチャットを楽しんでいる。そんな状態が続いている。

子供の学校でGoogle Docsのチャットが露見したのは、先生の子供で、よくボランティアに来てくれる女の子が気づいたからだ。彼女自身、高校の時にはGoogle Docsでチャットしていたそうだが、大学生になったらもう必要はない。だから、Google Docsのコメント機能というと、私達が授業中の手紙回しを思い出すようなノスタルジアを彼女達は感じるそうだ。それを聞いて、コラボレーション・ネイティブってのもあるんだなぁ、と思った。