3万5000ドルという普及帯に近い価格で話題の電気自動車 (EV)「Tesla Model 3」の納車が米国で始まった。第一弾は30台、これから量産ペースを上げていくが、すでに予約台数だけでトヨタの「カムリ」や「プリウス」といったベストセラー車種の年間販売台数に匹敵する人気ぶりで、入手困難な状態がしばらく続く。米国ではModel 3の登場によってEV普及に弾みがつきそうな雰囲気が高まっている。しかし、EV人気が高まっているかというと「Teslaが売れている」のが実状である。その理由の1つはスタートアップらしいアイディアが詰め込まれた車にあるのだが、それだけではない。イノベーターやアーリーアダプターを魅了したTesla独特のブランド戦略もまた、これまでの自動車メーカーにはなかったものである。
Teslaと言えば、CEOのElon Musk氏である。たとえば、Model 3の量産を開始するタイミングで同氏は次のようにツイートした。
Teslaの顧客や注文した人たちを「リスクを取った (勇敢な)人」と呼んで奮い立たせ、「It matters to us」と自分たちにとってとても重要であることを強調した。シンプルな感謝のメッセージだが、言葉使いがうまいからTeslaファンの心に響いた。大きな成果を生み出し続けている起業家であり、経営者として敏腕で、フューチャリストとして話題の人であるMusk氏から直接、こういうメッセージがタイミングよく送られてくるからTeslaユーザーはしびれる。納車が始まったタイミングでも「Couldn't believe how incredibly inspiring and creative they were!!」とツイートした。「Project Loveday」というTeslaファンによるTeslaを応援するビデオコンテストの受賞作品発表直後のコメントだが、顧客やファンと共にTeslaを成長させていこうという姿勢が伝わってくる。
Teslaが多くの人たちを虜にしている最大の理由は、顧客対応やマーケティングにおける優れたエモーショナル・インテリジェンス (EI/ EQ)だと思う。Musk氏のコメントは一見何ということはない普通のコメントなのだが、Teslaファンに寄り添った言葉が選ばれている。そして顧客を気にかけていることを実際に証明してみせるのだ。
昨年12月にTesla所有者が次のような不満の声をツイートした。
「サンマテオのSuperchagerは充電が完了したTeslaを置きっぱなしにしているどうしようもないオーナーのせいで、いつも満車状態だ」
SuperchargerはModel Sなどを無料で充電できるスタンドである。すると、その日のうちにMusk氏から「問題になっていると同意するよ。Superchargerは充電のためのスペースであって駐車場ではない。すぐに対応する」というリプライがあった。そしてTeslaは、Superchagerを充電ステーションとして有用なものにするための新しいポリシーをわずか6日後に発表した。
顧客やユーザーに寄り添った言葉を述べるのは難しいことではない。そうしている企業はあまた存在する。でも、顧客やファンと直接約束を交わし、それを素早く実行するのは簡単なことではない。顧客やファンがわくわくするようなことならなおさらだ。もし、言うだけでいつまでも実行しなかったら、約束に期待した反動で顧客やファンの信用が急降下してしまうだけに、公約した瞬間にリスクを負うことになる。そんな期待にTeslaは速やかに応える。約束が実現されたら、それまで不満を抱えていた人の心が一変する。そのようにしてTeslaは根強いファンを獲得してきた。
この何が起こるか分からないわくわく感は、Steve Jobs氏が復帰してからのAppleに似ている。ただ、いちファンとして周りから見ている分には楽しいが、Musk氏のようなトップがいて、Teslaのような企業文化だと、実行を押しつけられる現場は「タイヘンだろうなぁ」とも思う。
注文段階で「Model 3」が大ヒットしている今、Teslaが直面する最大の問題は生産である。今ある製造施設で注文に応えるために製造現場にプレッシャーがかかっている。そうした中、カリフォルニア州フリーモントにあるTesla工場の作業員の負傷率が2015年に業界平均よりも31%も高かったとWorksafeがレポートした。Model 3の量産が始まる前で、そのような状態である。Model 3の予約注文殺到を製造現場も大きなチャンスと見なしているだろう。でも、このまま現場に負担がかかり続けたらパンクするのは目に見えている。
クロネコの配送問題が思い出されるような話だが、このレポートが公表された後にMusk氏が全従業員に送ったというメールが話題になった。
「Teslaの成功のためにベストを尽くす仲間が、車の製造過程で負傷したと聞くと胸が張り裂けそうになります。今後は、例外なく全ての負傷が私に直接レポートされるようにします。安全対策チームと毎週会合を持ち、負傷した社員が回復次第、全員と直接会いたいと思っています。そうすることで改善のために何をすべきか、正確に把握できるからです。そして生産ラインに行ってみて、彼らがやっているのと同じタスクをやってみます。それはTeslaの全てのマネージャーがやるべき当然のことなのです。Teslaでは現場から離れた安全で快適な場所からではなく、最前線において私達は指揮を執ります。マネージャーは常に、自分よりもチームの安全を優先しなければなりません」
この言葉が実行されるかどうか、実現は簡単なことではない。でも、すぐに有効な解決策を見いだせなくとも、Musk氏の行動哲学を踏まえたら迅速に具体的な行動にとりかかるだろう。過去数年を振り返ってみて、Teslaはここ最近のUberよりも困難な問題を抱えてきた。それでもUberのように経営が崩れるようなことにはならなかった。
管理職が一緒に働いて製造ラインの従業員と同じ作業をやることが重要なのではない。改善のためにすべきことを現場から把握し、必要な改善を素早く実行に移す。小さな問題でも、それが解決されないままだったら現場に我慢を強いることになり、それがどんどん積もっていく悪循環である。小さな問題でも会社がすぐに気づき、素早く解決される環境であったら、従業員は自分たちの会社を身近に感じ、会社の成功のために働こうという意欲が湧くだろう。Musk氏の優れたエモーショナル・インテリジェンスは、Teslaファンに対してだけではなく、社員に対しても発揮されている。