前回、AppleのTim Cook氏が「iPad Proは多くの人にとってノートPCやデスクトップPCの代わりになる。使い始めたら、スマートフォンを除いて、他のデバイスは必要ないという結論に至る」とTelegraphのインタビューで述べていたのを紹介した。

この部分だけ抜き出すと誤解を生みやすい言葉だと思うが、「iPad ProがPCと同じように高度なクリエイティビティや生産性をサポートできる」という意味ではない。PCユーザーの多くは高度なクリエイティビティや生産性のためにPCを用いていない。Webサイトをブラウズしたり、メールやメッセンジャー、SNSを使ったり、写真を簡単に加工して共有、またはゲームといったことに使用している。そうしたユーザーにとって、すでにPCは必須のデバイスではなく、スマートフォンやタブレットの方が便利に使えるシーンが多い。だから、ユーザーが状況に応じて、最も便利にこなせるデバイスを選択するのが、今日の賢いデバイスの使いこなしだ。

PCを持っていても、写真やビデオの加工や共有をスマートフォンで済ましているユーザーは多い

だからといって、「クリエイティビティや生産性にPCを使っていないからiPad Proで十分」と言っているわけでもない。PC用のプロ用途向けツールは機能が豊富で、それゆえにユーザーインターフェイスが細かく複雑で、知識を蓄えてそうしたツールの使いこなせるようになるまでに時間と労力が必要だ。だから、クリエイティビティや生産性のためにPCを活かせているユーザーが限られる。もっと簡単にできる方法があったら、より多くの人たちがクリエイティビティを発揮し、仕事の生産性を向上させられるだろう。それがタブレットやスマートフォンの役割になる。

「PCと同じことを同じようにiPad Proでもできるか?」という質問なら、答えは「できない」だ。でも、シンプルなユーザーインターフェイス、コンテンツに直接触れるように直感的に操作できるマルチタッチによって、同じようなことを「もっと簡単にできる」ようにしてくれる。例えば、写真の一部だけ色合いを調整したい時、iPad用の「Affinity Photo」なら選択ツールと格闘することなく、選択したい場所を指でなぞりながら髪の毛の一本一本までも簡単に選択できる。チュートリアルを熟読していくつものステップを体に覚え込ませなければならないような写真合成を、「Enlight Photofox」だと指で写真をなぞるだけ。「絵しか描けない」という人でも、「uMake」を使えば、スケッチをマルチタッチ操作で調整するだけで魔法のように3Dモデルを作成できる。PCをクリエイティビティのために使っていなかった人たちでも、モバイルデバイスならそれが可能になる。

Photoshopキラーと呼ばれるPC版の機能を、マルチタッチやApple Pencilで使えるようにしたiPad版の「Affinity Photo」

では、高度なクリエイティブツールや生産性向上のツールを使うためにPCを必要としている人たちはどのくらいいるのだろうか。Andreessen HorowitzのパートナーであるBenedict Evans氏はPCユーザーの5~7%と推測している。一般的なPCユーザーが9割近い。

簡単に分析内容を紹介すると、現在の世界でアクティブに使われているPCは約15億台、そのうち約1億台はセキュリティシステムやPOS、ATM、マシンツールなど組み込みである。AdobeやAutodeskのクリエイティブツールやソフトウエア開発ツールのユーザーは約5000万人。ドキュメントの閲覧だけではなく、Officeをパワフルに使用しているユーザーが推測しにくく、2500万人から5000万人と見ている。集計すると、PCを必要としているケースは1億7500万~2億台。一般的な用途のPCは13億~13億2500万台になる。

初代iPadが発売された2010年に「D: All Things Digital」カンファレンスにおいて、Steve Jobs氏は「PCはやがてトラックになる」と予測した。米国が農業国だった頃、乗り物はトラックだった。トラックは誰でも運転できるものではない。スキルが必要だ。次第に都市部での移動に乗り物が浸透するようになると、乗用車と共に自動変速やパワーステアリングといった技術が生み出され、誰でも乗り物を活用できるようになった。そして乗用車によって、車によるイノベーションが様々な分野に広がった。

iPad ProでAppleはMicrosoftのSurfaceや2-in-1 PCに反射的に対応したという人もいるが、私は初代iPadの延長にあると思う。ただ、今日のiPad Proが多くの人たちを満足させられるソリューションになっているかどうかというと、それは別の話である。iPad Proの特徴を活かしたiPad Proのためのアプリを使うと、その可能性が伝わってくるものの、iPad Proを重視して開発されたアプリは多くはない。特にプロ用途だと、ほとんどの開発者はMac向けまたはWindows向けを想定しており、インストールベースでMacを上回っていてもiPad向けを優先する開発者は少ない。そうした意識を変えていくのが第一歩であり、だからAppleは開発者カンファレンスであるWWDCで、新しいiPad Proを発表したのではないだろうか。