情報技術高度化を支える人材育成を目的に、プログラミング教育の必修科目化を検討すると文部科学省が発表し、賛否両論の議論が広がっている。実は米国でも大統領選の年を迎えて、プログラミング必修化の問題が論争の1つになっている。
今年初めにオバマ大統領が「Computer Science for All」というイニシアチブを発表した。そして4月26日、非営利団体Code.orgとComputer Science Education CoalitionがChange.orgにおいて「Offer Computer Science in our public schools」というキャンペーンを開始した。「公立学校で全ての生徒がコンピュータサイエンスを学ぶ機会」を実現するための2億5000万ドルの連邦政府補助金を求めており、わずか2日で署名数が4万を超えた。キャンペーンのページを見ると、Bill Gates/Melinda Gates夫妻、AppleのTim Cook氏、MicrosoftのSatya Nadella氏、DropboxのDrew Houston氏、AlphabetのEric Schmidt氏、TwitterのJack Dorsey氏、AmazonのJeff Bezos氏など、錚々たる顔ぶれが支援者のリストに並ぶ。
米国の場合、プログラミング必修化ではなく、コンピュータサイエンス必修化である。何が違うのかというと学ぶ目的である。必修化が現実味を増してきた時に、それまでプログラミングを学ぶ価値を説いてきた人たちから懸念の声が上がるようになった。
たとえば、デジタル経済の研究者として知られるDouglas Rushkoff氏である。「コーディングを学ぶことが将来の成功を約束するものではない」と断言する。
プログラミング必修化を訴える人たちの中には、昨今のプログラマー不足を理由に挙げる人が少なくない。Offer Computer Science in our public schoolsキャンペーンにも「製造から金融、農業、ヘルスケアまであらゆる産業において、50万を超えるコンピューティングを必要とする仕事がある。だが、コンピュータサイエンスの卒業生は年間わずか50,000人である」と書かれている。実際、プログラマー不足を埋めるために、一昨年頃からプログラミング教室やコーディング・ブートキャンプの市場が急成長している。しかし、プログラマー不足は一時的なもので、今は引く手あまたでも、プログラミング修得者が増加し、特にインドや中国といった新興市場での増加によって雇用状況は一変するとRushkoff氏は指摘する。Upworkのようなグローバル規模のクラウドソーシングサービスも成長している。
「言葉を読み書きする能力だけで出版社に採用されないのと同じように、コードを読み書きする能力だけではやがて仕事を得られなくなる」(Rushkoff氏)
命じられた通りに、ただコーディングするだけだったら工場の組立作業員と変わらない。産業革命の時に炭鉱に坑夫を送るようなプログラムではなく、産業革命後の世界を見据えたプログラムにしなければならないというわけだ。
Twitter CEOのJack Dorsey氏は「コンピュータサイエンスはエンジニアになるためだけの学問ではない。異なる見方、クリティカルな方法で思考する方法を教えてくれる。それはあらゆる分野で役立つはずだ」と述べている。
そこで、今問題になっているのが教師である。ブロックを組み合わせるプログラミング・ゲームをやらせたり、英文法の授業のようにコードを書かせるだけではコンピュータサイエンス教育の目的を満たさないのは明らかだ。公立学校で必修化となったらコンピュータサイエンスの専門家を招くだけでは足りない。算数・数学や理科の授業と同じように、プログラミングの知識や経験のない教師が教えられるようにプログラムを作らなければならない。でも、頭がかたくなった大人たちに創造的なプログラミングや考え方を浸透させるのは容易なことではない。
プログラミングでできることの可能性を子供に正しく伝えられたら、子供たちは驚くほどユニークにその可能性を広げ始める。でも、教える大人が凝り固まった考え方や方法を押しつけてしまったら、子供たちにとってプログラミングがつまらない道具になってしまう。教師や大人が子供の可能性を狭めるボトルネックになる恐れがあるのだ。それを、いかに避けるか……ただプログラミングを教えるだけならすぐにでもできるが、人とは違ったものの見方やアイディアを形にする力を身に付けさせられるようなプログラムを実現するのはとても難しい。
コンピュータサイエンスの授業だからといって、パソコンやタブレットが必ずしも必要ではない。たとえ紙と鉛筆しかなくても、教師がしっかりと導ければ、子供たちは多くのことを吸収できる。しかし、それを全公立学校で実現するのは、1人1台パソコンを揃えるよりもずっと困難なことである。