「iPad Pro」を使い初めて2週間が経ったが、私はとても気に入って使っている。でも、周りには「使いにくい」という人も少なくない。中にはすでに売り払ってしまった人もいる。この違いが何なのかと考えると、使う時の「距離」である。タブレットを選ぶ上で距離を意識しておいたら、サイズで失敗するのを避けられると思うのだ。
距離というのは、目と対象の距離である。同じ新聞でも、机の上では広げて全体を見渡し、電車内などではたたんで目に近づけて読む。本だって、文庫本を読むときと大きな雑誌を読むときでは手に持つ距離が異なる。同じことがタブレットのサイズにも言える。
サイズが異なれば、快適に使える距離が異なる。7.9インチのiPad miniは文庫本を読むような距離に最適なタブレットである。その逆がiPad Pro。文庫本の距離ほど近いと画面が大きすぎて全体を見渡せない。最も快適なのは机の上に置いたときだ。雑誌を机に広げて読むように使うと、これまでにないタブレットの体験を味わえる。デスクトップタブレット、またはテーブルトップタブレットという感じである。このように呼ぶとテーブルの上でしか使えないような印象を与えるのでAppleは嫌がるだろうが、手に持つよりも明らかにテーブルトップで使いやすいサイズ感である。
だから、タブレットに文庫本やメモ帳のような役割を期待している人に、iPad Proはおすすめできない。筆者自身、iPad Proを使う前は「iPad ProがやってきたらiPad Air 2を使わなくなるか」と期待していたが、相変わらずiPad Air 2も使っているし、今は手放す予定もない。iPad Proぐらいのサイズだと、ベッドに寝っ転がってメールやニュースをチェックするような使い方で大が小を兼ねることはなく、今ではテーブルトップでiPad Pro、ごろ寝用にiPad Airという使い分けができてしまっている。
持たずに置いて使うタブレット
iPad Proに触れて、2010年に初代iPadをレビューしたときに、机の上に置いて写真をいじったり、Pongのようなゲームで誰かと対戦したりといったテーブルトップコンピューティングに使えると書いたのを思い出した。初代モデルは今のiPad Proと同じぐらいの重量があったから、手で持ち続けるのが大変で、当時はテーブルトップの方が可能性は大きいと感じた。
しかし、サイズ的に9.7インチはテーブルトップで使うには少々小さかった。動画を見ても迫力に欠けるし、誰かと一緒にコンテンツを楽しむにしても、かなり近づく必要があるため、よほど親しい間柄でないと遠慮してしまう。iPadは手に持ってパーソナルに楽しむのに最適なサイズであり、実際それからどんどん薄型・軽量に進化していった。同時に"テーブルトップでタブレット"は、大きく開花することなく今に至る。
文庫本とハードカバーと雑誌、メモ帳とノートとスケッチブック、紙にも色々あり、私たちは当たり前のように色んなサイズの紙を使い分けている。タブレットも一枚ですべてではなく、目的に応じてサイズを使い分けるのは自然な流れだと思う。
ただ、一般の人たちがスマートフォンを含め、複数のタブレットを所有するようになるかというと疑問符が付く。11インチ以上だとPCも存在する。そうした中で、テーブルトップタブレットの市場を作るのは、Appleといえども容易なことではない。開拓中のエンタープライズ市場を含めて勝算を計算しているのかもしれないが、タブレットを細分化することで、一つのセグメントのユーザーが限られ、アプリ開発者やサービス提供者が消極的になり、市場がなかなか活性化しないという悪循環に陥る可能性も否めない。
ただ、テーブルトップタブレットの可能性を否定していまうのも早計である。たとえば、幼児向けのタブレットの世界では、すでにテーブルトップコンピューティングが独自に進化している。小さい子供はタブレットを机や床に置いて使用するから、ひらがなのなぞり書きや楽器、パズルなど幼児向けのタブレットアプリの多くはテーブルトップで使うようにでデザインされてきた。
幼児にタブレットが適しているのは操作しやすさもあるが、サイズも見逃せない。iPad miniが出た時に、私は子供用のタブレットに適していると思った。ところが、ウチの幼児はiPad miniよりもiPadを好んで使っている。観察していると、iPad miniはテーブルトップで使うには幼児にとっても小さすぎて、iPadの方が適しているようだ。つまり、小さな子供たちにとってはiPad Proに相当するようなサイズのタブレットがすでに存在しており、テーブルトップで使うアプリやコンテンツがたくさん作られ、その良さが認められている。
そんなソリューションが大人に提供されてもおかしくはないと思う。実際、iPad Proで雑誌を開くと、写真を拡大したりする必要はなく、作り手の意図したレイアウトのまま贅沢に楽しめる。映画を再生したら、机の上でも大画面で見ているような実感を味わえる。また、絵を描いたり、写真の加工、音楽を作るといったコンテンツの作成にテーブルトップが向いているのは言うまでもない。テーブルトップの距離はノートPCを使うそれと同じであり、iPad ProのオプションとしてAppleがペンとキーボードを用意したのもうなずける。
iPad Proを使っていると、驚くほど美しく表示されるWebページや雑誌がある一方で、その大きなRetinaディスプレイに対応しきれていないページやアプリにも多く出くわす。フォントはキレイにレンダリングされているのに、解像度の低い写真が大きく表示されると興ざめである。そもそもiOSのホーム画面からして、iPad Proの大きな画面では使いにくい。元々iPhone向けにデザインされた画面なのだから、パソコンに匹敵するサイズの画面ではスカスカで、せっかくの大きなスペースがもったいないことになっている。
iOS 9でAppleは、Split ViewやPicture in PictureといったiPad向けの新機能を追加したが、最大ディスプレイが12.9インチになった今、iOSのUIは十分にユニバーサルとは言いがたい。Apple自身がこんな調子だから、テーブルトップタブレットが真価を発揮できるのはまだ先のことになりそうである。筆者個人はアーリーアダプタとして楽しんでいるが、そうではないという人は不便なところが気になってしまうだろう。本格的なテーブルトップタブレットはまだ、従来のタブレットとPCの間の小さなすき間のデバイスに過ぎないのだ。