Facebookが先週、米国本社でプレスイベントを開催し、デザインを刷新した新しいニュースフィードを発表した。その時に、同社CEOのMark Zuckerberg氏は「最高の個人向け新聞を作ろうとしている」と述べていた。
新しいニュースフィードは、写真や動画、リンクされたWebページや記事などコンテンツをより魅力的に見せるデザインになり、また友達が「いいね!」をつけたイベントや記事のダイジェストを配信するなどユーザーのネットワークを活かした情報提供も強化される模様だ。各ユーザーが知っておくべき情報、知っておくと役立つ情報をパーソナライズして提供する情報ツールとして、Facebookが進化することを印象づけるために"新聞"と表現したのだろう。巧い喩えだったと思う。イベントでのプレゼンテーションも巧みで、ウエブキャストを見ていて、すぐに使ってみたいと思った。
希望者に対して、段階的にロールアウトし始めた新しいニュースフィード |
しかし考えてみると、"新聞"という喩えには様々な可能性が含まれる。イベントのプレゼンテーションから想像した新聞は、短い時間で効率的に情報を得られるメディアだったが、新聞はネタ選びや紙面での見せ方だけで様々な影響を読者に与えられる。また広告媒体でもある。Facebookが新聞を目指すというのは、新聞が持つ編集の力、宣伝プラットフォームとしての力を備えようとしていることも意味する。新しいニュースフィードによってFacebookが読ませたい記事や投稿を目立たせやすくなる、といううがった見方も可能なのだ。
知らないところで、フォロワーが投稿のスポンサーに
3月にNick Bilton氏がNew York Timesで、Facebookでのコンテンツ共有に無料・有料の格差があると指摘した。Facebook上で毎週コラムを配信している同氏は、昨年初めの時点でおよそ25,000人のフォロワーを集めていた。情報配信効果も上々で、例えば「2012年、わたしの抱負」というコラムは「いいね!」535回と再共有53回を獲得した。現在フォロワー数は400,000人近くに拡大した。比例するように「いいね!」などの数が増えたかというと、昨年後半から激減している。今年1月に同氏がFacebookで配信した4回のコラムの平均は「いいね!」30回、再共有2回だったそうだ。1年前に写真の投稿は数千の「いいね!」を集めていたが、今は平均して100程度。
何が変わったのか? ちょうどプロモートポスト(ファンのニュースフィードで投稿が表示されやすくなる有料サービス)の立ち上げ後の時期だったので、試しに7ドルを支払って投稿の1つをプロモートしてみた。すると数時間で「いいね!」が130回に到達。投稿に対するインタラクションが1,000%増に跳ね上がった。
たくさんのファンを持つBilton氏だから、通常のポストとプロモートポストのインタラクションに、大きな差が生じたと考えられる。コラムでの指摘に対する反響は大きく、プロモートポストの効果に興味を持ったビジネスからたくさんのメールを受け取ったという。一方で、一般的なネットユーザーの間では通常のポストのインタラクションが1年前から大幅に下落したことに対する議論が広がった。
Facebookは、広告化した投稿や有料で投稿を目立たせるサービスを強化しており、今では自分のポストだけではなく、友達やフォロワーが公開したポストのスポンサーになることも可能だ。
O'ReillyのGovernment 2.0担当者であるAlex Howard氏が先週、あるFacebook投稿のビュー数が急増した顛末をO'Reilly Radarで紹介している。反響の大きさに驚いて調べてみたら、ある女性がスポンサーになってプロモートポストになっていた。読んだ人の内訳はプロモート配信が96%、通常の配信が4%。スポンサーになった女性は友達には含まれていなかったので、フォロワーの1人なのだろう。この場合、投稿はフォロワーを含むHoward氏のネットワーク全体ではなく、同氏の友達の間のみでプロモートされるそうだ。それでもHoward氏は友達が1,000人を超える有名人なので、ポストのビューが大きく跳ね上がったのだろう。自分が気づかないところで、誰かがスポンサーになって投稿のビューが急増するというのは、色々と考えさせられることである。
「最高の個人向け新聞」を作ろうとするFacebookの"編集の力"はアルゴリズムである。最近Bilton氏のように、アルゴリズムの不透明さに疑問符をつける人が増えている。ただ、Facebookが無料サービスである限り、収益を上げるための試みの影響がサービスに及ぶのは避けられない。スポンサーが付いたコンテンツをFacebookが優先するのは自然なことである。問題はバランスだ。プロモートポストが優先されて、通常の投稿が目立たなくなり、その中にユーザーが知っておくべき情報が埋もれて見過ごされてしまうようでは新聞とは呼べない。すぐには気づかれないかもしれないが、宣伝色が強くなりすぎるといずれ投稿が減り、ユーザーのサービス離れの引き金になり得る。情報を発信する人、情報を探している人、宣伝したい人の全てが便利さを実感できるようでなければ、新しい新聞の役目は果たせない。
昨年始まったプロモートポストの提供は、主に情報を伝えたい人、宣伝したい人に魅力をもたらすオプションである。だからこそ、偏りが議論になった。