昨年の暮れに、3Dプリンタの購入を家内に持ちかけてみた。「500ドルまで落ちてきている」「サンプルを自宅で作れるよ!」と、家内が食いつきやすそうな情報だけを並べてみたものの、すぐに「材料費はどのぐらいかかるの?」と突かれてしまった。そう聞かれたら、「樹脂は……それほど安くないです」と答えるしかない。そう、3Dプリンタ自体は一般のDIY目的でも購入を検討できるような製品が登場している。しかし、材料費を考えると、まだまだ高価な買い物だ。

造型サイズは6×6×6インチと小さいが、価格は499ドルと激安「Solidoodle 3D Printer、第2世代」

立体物を表すデータをもとに、樹脂を加工して立体的なオブジェクトを造型する3Dプリンタ。ドキュメントファイルからプリンタで書類を印刷するように、データから簡単にモノを作れる。例えば、去年の年末には「3Dプリントしたレコード」が話題になった。紙印刷用のプリンタのように3Dプリンタが普及したら、モノ作りやDIYの世界が様変わりするだろう。一般家庭にも浸透したら、物流や小売りが新たな時代に進むという指摘もある。

デスクトップ3Dプリンタ製品や、3Dプリンタ組み立てキットなどが登場し、その値札を見て購入に傾く人が増えている。ところが、いざ真剣に検討し始めると、ランニングコストの計算でブレーキがかかる。3Dプリンタで使用する樹脂フィラメントは高い。同じ樹脂素材のペレットより5倍から10倍も高価なのだ。

83歳の発明家も熱中する3Dプリンタ

そうした状況を打破するために、2012年5月にiStart.orgで「Desktop Factory Competition」というコンペが始まった。Inventables、Kauffman、そしてMaker Faireがスポンサーになり、低コストで樹脂ペレットから樹脂フィラメントを作るマシンを考案した人に40,000ドルの賞金を提供する。条件は2つ。400台を製造すると仮定して1台あたりの部品コストを250ドル以下に抑える。もう1つは、マシンのアイディアをクリエイティブコモンズの「Attribution-ShareAlike 3.0 Unported (CC BY-SA 3.0)」で公開することだ。つまり「安く、樹脂フィラメントを作る方法」をクラウドソーシングで開拓しようという試みだ。

開始から10カ月、ついに最初の賞金獲得者が4月3日に発表された。ワシントン州在住のヒュー・ライマン氏。なんと年齢83歳の発明家である。Ly Line Productsという実験設備などの製造会社を長年にわたって経営していた同氏は、17年前に引退して釣りとゴルフの毎日を送っていたが、発明のサンプル作りに3Dプリンタを使用して興味を覚えた。低コストのデスクトップ3Dプリンタの組み立てキットが出たら、すぐに試してみるほど熱中。3Dプリントすると、数十ドル分の樹脂フィラメントがあっという間に溶けてしまう。それでも「いずれ、世界中の一般家庭で当たり前のように使われるようになる」と実感した。だから、Desktop Factory Competitionの話を聞いた時に、同コンペの成功は自分にも利益があると考えて、自ら参加を決意したという。

ライマン氏の「Lyman Extruder」は、樹脂ペレットをホッパーに詰めて加熱し、溶けた樹脂を押し出してフィラメントに成形するというシンプルなものだ。250ドルというコスト枠があるので、ソリューションはどうしてもシンプルなものになる。だからシンプルでありながら、安全かつ効率的に樹脂フィラメントを自作できるマシンを編み出すのがポイントになる。「溶かして、細くする」と想像したら簡単そうに思えるが、最初の賞金獲得者まで10カ月を要したことが、その難しさを物語っている。ライマン氏は試作と調節を繰り返しながら、最適なトルクを見いだしたという。ちなみに今回賞金を獲得したライマン氏のLyman Extruderは2号機であり、2012年8月に申請した1号機は250ドルを超えると判断されて失格になっていた。

賞金獲得の正式発表を受けたばかりだが、すでに12,000人近い人たちがライマン氏の2台のLyman Extruderの設計をダウンロードしており、マシン製作の報告や改良のアイディアが続々と寄せられている。組み立て済みの製品の発売を計画する会社も現れた。ぜひとも、実現して欲しいものである。

83歳の発明家の勝利には敬服したが、Desktop Factory Competitionで最も驚いたのはライマン氏の成功が発表される前からコンペの成果が現れ始めていたことだ。樹脂フィラメントの価格を引き下げるのに、大量生産も、そのための製造施設も必要なかった。DIYの課題をクラウドソーシングで解決するという手法によって、短期間で3Dプリンティングがグっと身近な存在に近づいたことである。