10月1日-3日の週末に2,240万ドルで興行収入トップの「The Social Network」。2位は「Legend of the Guardians」(1,090万ドル)、3位は「Wall Street: Money Never Sleeps」(1,000万ドル)

Facebook現象にデビッド・フィンチャーが興味を示したという話題性も相まって、製作発表時から公開が待たれていた映画「The Social Network」。米国での封切り(10月1日)翌日に観てきたが、期待を裏切らない面白さだった。

マーク・ザッカーバーグ(Facebook CEO)が自分を袖にしたガールフレンドを見返し、ふたたび振り向かせたいという動機から始まったFacebookが、瞬く間に巨大サービスに成長し、そこにシリコンバレーの大人たちが割って入ってくる。ザッカーバーグは史上最も若い億万長者への道を歩むことになるが、同時に共にFacebookを立ち上げた親友からの訴訟に直面する。その聞き取り調査をタイムラインに、ハーバード時代、シリコンバレー移転後のストーリーが回想のようにはさまれていく形で進行する。副題は「何人かの敵を作らずに、5億人の友だちはなし得ない (You don't get to 500 million friends withount making a few enemies)」だ。

Google本社やMicrosoftのシリコンバレーオフィスの近くにあるシネマコンプレックスで観たのだが、土曜の夕方で客席は全体の半分を埋める程度。3カ所で上映されていたので、こんなものだろう。観客には近所のテクノロジ企業で働いているような中年おやじの比率が高く、筆者も最近ティーンエイジャーで占められた映画館に気後れするようになってきたので、今回はとても快適だった。

このThe Social Networkでザッカーバーグがナード(nerd)でかたよった性格に描かれているため、Facebookがイメージ向上キャンペーンを展開していると一部で報じられている。たしかにThe Social Networkのザッカーバーグは「イカとクジラ」のどうしようもない父親を思い出させるようなキャラクターなのだ。知識があって賢くてプログラミングという一芸に秀でていても、人として尊敬されるとは限らない。女性が男性を選ぶ魅力はまた別……という感じなのだ。これなら「本当のザッカーバーグは違うんだよ」と言いたくなる気持ちもわかる。ただ、この映画の中で性格に難ありなのはザッカーバーグだけではなく、主要キャラクターの全員が一癖ありなのだ。親友のエドアルド・サヴェリンはとにかく甘ちゃんで、成長し始めたFacebookに全面的に踏み込めないくせに、周りがどんどん進んで自分が置いてけぼりにされると子供っぽい行動に出てしまう。ザッカーバーグたちをシリコンバレーの戦いに巻き込むショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレーク)は、学生にあれこれと甘言を弄してFacebookに食いつこうとする吸血鬼だし、Facebookは自分たちのアイデアだったと訴えるウインクルヴォス兄弟(双子をアーミー・ハマーが1人で演じている)は権威を振りかざすマッチョである。

たいくつで人間関係が判りにくくなりそうな話を、登場人物をシンプルに「ナード」「普通の学生」「ビジネスマン」「エリート」に描き分け、しかもいずれもクセのあるキャラクターに仕立て上げられているから良質な法廷スリラーもののように楽しめる。このあたりは監督のフィンチャーと脚本のアーロン・ソーキンの仕事が光っている。映画評論サイトRotten Tomatoesの4日時点のトマメータが「The Town」を上回る97%というのもうなずける。ちなみに10月1日-3日の週末の興業収入は2240万ドルでトップ、2位をダブルスコアで引き離した。

変わった人から抜け出せないプログラマの描かれ方

ただ個人的には賞賛ばかりではなく、後半に失速した印象も受けた。

映画の中で、ホンモノのプログラマの姿を描くのは挑戦だと思う。コンピュータの前に座ったまんまの地味な作業だし、何をやっているのか観客に伝えにくい。矛盾のないようにストーリーの中にハッキングを組み込んで、その仕組みを説明していたら話がたいくつになってしまう。だから多くの場合、キーボードをガチャガチャっと叩いて即座にトラブルを解決し、「彼はプログラミングの天才だから……」の一言で観客を納得させる都合のいい存在に描かれていたりする。まるで魔法使いだ。

ホンモノのプログラマの姿をうまく観客に伝えるには、プログラマならではのものの見方や考え方、ソリューションの導き出し方を上手く表現する必要があると思う。たとえば、ロン・ハワード監督の「ビューティフル・マインド」もプログラマ同様に地味で分かりにくい数学者を扱いながら、その独特のものの考え方をうまく映像化して観客をストーリーに引き込ませた。

その点でThe Social Networkの序盤は秀逸だ。ザッカーバーグがガールフレンドに手ひどくふられ、その勢いで酔っぱらいながら大学のネットワークをハッキングして学生の顔写真を入手し、友人のアイディアや知識を借りながらFacemash(女子学生の写真を並べて投票させる格付けサイト)を一気に作り上げる。それがハーバード大の学生の間を瞬く間に広がり、ザッカーバーグたちが気づいたときには大学のネットワークがダウンしてしまう。スピード感があって映画のつかみとして優れているし、同時にネットの速度や力、ネットでの人の結びつきや、そこに介在するプライバシー侵害の問題などを見ている人たちに自然に染みこませる。

これは期待できると思った。

ところがFacebookが立ち上がったあたりからギークの描き方に説得力がなくなり、ザッカーバーグたちが魔法使いになってしまうのだ。名門大学のネットワークから、あれよあれよという間にFacebookはビリオンダラー企業へと成長してしまう。FacebookがMySpaceを抜いて米SNSのトップに上りつめた背景、Facebookがいま5億人を虜にし、さらに成長し続けている理由が納得できない。「ハーバードの学生たちの物語であり、その後のFacebookの成長は関係ない」という見方もあるだろうが、Facebookが現在ビリオンダラー企業であるからこそ、学生の物語も引き立つと思う。

これは、良くも悪くもベン・メズリックの「The Accidental Billionaires」が原作である影響だと思う。メズリックはThe Accidental Billionairesを書く上でザッカーバーグに直接取材できず、ザッカーバーグに敵対した側からのインタビューや訴訟の記録を中心に同著をまとめた。そのため見方に偏りがあるという指摘が多い。ゴシップ誌のように読みやすく、英語でどんどん読み進められる本を探している方にはお勧めなのだが、それが映画にも現れてしまっている。ザッカーバーグが、あまりにも"思いがけなく(accidental)"億万長者になりすぎなのだ。

映画では、たとえば弁護士が説明する数字すらザッカーバーグが鵜のみにせず手元の紙で試し算してみるなど、普通の人には奇妙に見える行動が所々に挟み込まれている。そうした変わった行動やものの考え方がFacebookというソリューションに結びついているところが、もっと一般の観客が納得できるようにきっちりと構築されていないのが、個人的には残念だったところ。プログラマとしてのザッカーバーグを浮き彫りにするのは、映画のキャラクター設定に反するという判断だったのかもしれないが、その方が「ザッカーバーグは最低なヤツ(asshole)か?」という議論も、より面白くなると思う。

とは言え、あっという間の2時間で"失速"という感想は誤解を招く言い方かもしれない。日本国内では東京国際映画祭オープニングで上映され、来年1月15日に公開になる。ザッカーバーグに興味を持った人は、The Social Networkを観た後に彼の対談などもチェックすれば、より映画の余韻を楽しめると思う。