Clayton M. Christensen教授

「1979年からハーバードビジネススクール(HBS)のクラスメートのその後を見続けてきたが、離婚や子供との隔絶などの不幸に陥って同窓会に現れる数が年々増えている。もちろん離婚や子供と仲違いする将来をプランしてHBSを巣立ったクラスメートは1人もいない。だが驚くほど多くが、その想像もしていなかったプランを実行してしまった。なぜか? 彼らは人生の目的を見失い、自身の時間や才能、エネルギーの使い方を誤ったからだ」

「イノベーションのジレンマ」で知られるClayton M. Christensen教授の2010年度卒業生に対する最後の講義の論文がHarvard Business Reviewに掲載された。同氏のHBSの講義は、イノベーションと成長を促すマネジメントセオリーをどのように構築するかを学生に考えさせる。学生は用意されたいくつかのマネージメントセオリー/モデルを当てはめながら、セッションごとに1つの企業を様々な角度から分析し、必要な結果を導き出すためのマネジメント判断を考察する。

最後のセッションでChristensen氏は、企業ではなく学生自身にセオリー/モデルを当てはめさせ、「キャリアの中で幸福になるには?」「幸福のソースとなる関係を家族と築くには?」「檻の向こう側に落ちないためには?」の3つに対する答えを考えさせた。

目に見えにくい成果は仕事もプライベートも後回し

顧客の声に忠実で優れた商品を提供するリーダー企業が、その商品の改善(持続的なイノベーション)に力を注ぐあまり、新たな需要を発掘できず、新たな特色を持つ商品を投入してきた新興企業に市場を一変させられる(破壊的なイノベーション)。Christensen氏の「イノベーションのジレンマ」は、パソコンOSに束縛されたMicrosoftと、00年代のGoogleの台頭を予見するようなマーケティング理論だった。

Christensen氏の講義に集まる学生は当然、破壊的イノベーションの実現に関心を持っている。だがChristensen氏は「買収、売却、企業投資がビジネスキャリアだと考えてMBAに来る学生が増えている」と嘆き、「それは不幸なことで、契約からは人との関係構築から得られるほど深い報酬は得られない」と指摘する。この点を理解しなければ、冒頭のようにマネージメントの達人であるはずのビジネススクール出身者が自らの人生を上手くマネージできない矛盾が起こる。そこでマネジメントのテクニックを用いて自らの"人生を測る"のを最後の講義のテーマとした。

たとえば2問目の「家族との関係構築」では、企業における戦略定義/戦略遂行に重ねて考えさせている。企業の意志決定システムは短期間に目に見える成果が得られる投資を見極める仕組みであり、それゆえに長期的な戦略において投資の偏りを補う必要がある。このリソース分配がうまく運用されなければ、経営者の意図とは異なった結果が現れてしまう。ビジネスが立ち行かなくなる素因を研究していけば、多くのケースで短期的に得られる満足に分配が偏っている傾向に気づくという。

このセオリーで人生を考えた場合、限られた時間・エネルギー・才能を分配する際に、家族に費やす時間は、仕事での成功や昇給のように成果をすぐに目で確認できない。ここに落とし穴がある。自分の目的を達成する上での家族の大切さを自覚していても、次第に家族へのリソースの分配が減少してしまう。その結果が冒頭の離婚や子供との仲違いである。

Christensen氏の講義では管理者スキルとして、企業の前進に向け組織全体の協力を引き出す"Tools of Cooperation"というモデルが頻繁に取り上げられる。組織文化づくりだ。企業において経営者が正しい方向を指し示したとしても、その後を組織メンバーがついてこなければ意味がない。組織文化は組織固有の価値観を組織メンバーに浸透させ、組織メンバーの行動を整える。これも家族との関係構築に当てはめて考えられる。企業同様に家族にも文化があり、それは自然に形作られるし、意識的に構築することも可能だ。行動の規範となる文化が家族に浸透していれば、家族がどのような問題に直面してもお互いのサポートを得られるというわけだ。

最後の"収監されない人生"というのは突飛な質問に思えるが、Christensen氏の32人の同窓のうち2人が収監されたそうだ。そのうちの1人はEnron事件のJeff Skilling氏である。これをChristensen氏は限界費用 (生産の1単位増加に伴う総費用の増加分)にたとえて考えさせている。

投資案の評価では固定費用やサンク費用は考慮せず、限界費用や限界収入をベースに判断する。"1つだけ"生産を増加したら、どれだけ得できるかを考える。これは過去の実績をベースに評価できる場合に有効であるが、われわれの人生においては未来が大きく変わることがままあるのだ。正しいか誤っているかを選択する時に「"一度だけ"と考えて不正を行う限界費用は常に魅力的なほどに低く思える」とChristensen氏。だが「それに囚われてしまったら、その選択から最終的に行きつく先やフルコストの可能性を見なくなってしまう」とも指摘する。

Celeronプロセッサ誕生につながったレクチャー

今回はネットの話題から脱線してしまっているが、ポイントはセオリー/モデルの活かし方だ。Christensen氏の破壊的イノベーションモデルは、IntelのCeleronプロセッサ投入に影響したことで知られる。同社のAndy Grove氏は非常に早い時期に同モデルに関心を持ち、シリコンバレーにChristensen氏を招いた。その際に10分程度しか面会の時間がなく、モデルを説明しているChristensen氏を遮って「すまないが、それがIntelにとってどのような意味を持つかだけを話してくれないか」と述べたそうだ。Christensen氏は、それを断って鉄鋼業界を例に20分程度のショートバージョンでモデルの説明を続けた。その結果、Grove氏自身が「では、それがIntelにとっては……」と語り出した。当時を振り返ってChristensen氏は「Grove氏に、プロセッサ事業に対する考えを伝えていたら、おそらく私の主張は受け入れられなかっただろう。答えではなく、どのように考えるかを伝えたことで、彼自身の正しい判断と私が感じるところにたどり着けた」と述べている。この経験がきっかけとなって、今日のモデルを通じて考えさせ、質問者自身に答えを導き出させるスタイルが生まれた。「私が答えを直接述べることはめったにない。代わりにモデルの1つから質問を投げかける。または全く異なる産業において、モデルのプロセスがどのように機能しているかを説明する」という。

Christensen氏のマネジメント理論は数多くのIT企業、Webスタートアップも参考にしている。だが、その言葉に直接的な答えは含まれていない。セオリー/モデルをそれぞれが解釈し、自身のケースに適した答えを自ら導き出す必要がある。ビジネスマネジメントのセオリー/モデルで人生を考える講義には、その活かし方・考え方のノウハウが凝縮されている。論文の原文には紹介した倍ぐらいのセオリー/モデルが登場するので、興味を持った方はぜひとも読んでいただきたい。