米国で月刊誌「WIRED」のiPad版の配信が5月26日(現地時間)に始まった。写真やイラストを多用したカラフルなレイアウト。全てのページが縦向き・横向きの切り替えに対応し、向きを変えても各ページのレイアウトは崩れない。スライドショーや動画などもふんだんに用いられており、iPadの登場によって実現した新たなマルチメディア雑誌と米国では話題になっている。発売から24時間で24,000部を販売したというから上々のすべり出しと言えるのではないだろうか。

では、iPad版WIREDはこれからの雑誌が進む方向なのだろうか?

iPad版WIREDは読んでいて楽しいし、同じ価格(4.99ドル)を支払うなら個人的にはiPad版を選ぶ。一般的にもiPad版WIREDのマルチメディア雑誌としての機能、iPadでの読書感に対する評価は概ね高い。しかし、これが未来の雑誌であるかというと疑問符も付けられている。例えば、iPad版WIREDのファイルを調べたINTERFACELABは、デジタル雑誌の前進ではなく"後ろ向きなソリューション"と断じている。未来的な誌面に見えるのはiPadで読んでいるからで、雑誌自体は90年代のマルチメディアCD-ROMと何も変わらないとしている。


iPad版WIREDの中身は4000枚を超える画像

WIRED誌編集長のChris Anderson氏はiPad版の発表文の中で「リッチな読書環境を提供するために、われわれはAdobeが開発した新しいデジタル出版技術を用いている」と明かした。共通のオーサリング/デザイン・ツールのセットを用いて、印刷版とiPad版を作成しているそうだ。Adobeのツールを使ってインタラクティブなデジタル雑誌を実現し、かつApp Storeの審査を通るiPadアプリとなると、その中身が気になるところだ。ちなみにiPad版WIREDは1冊552.2MBの巨大なファイルで配信されている。筆者のiPhone/iPadアプリの中で最大だ。

写真やイラストを多様したカラフルなレイアウトがiPad上で見事に再現されたWIRED

INTERFACELABがJailbreakしたiPadを使ってWIREDファイルの構造を分析したところ、4,109枚の画像がXMLベースのレイアウトフレームワークで紡がれていることが分かった。TextやHTMLは一切用いられず、ページがまるごと画像になっている。各ページに縦向きと横向きの2種類のレイアウトが用意されているから、画像ファイルだけで397MBになる。この考察記事のタイトルは「Is This Really The Future of Magazines or Why Didn’t They Just Use HTML 5?」。1冊500MB超のダウンロードをユーザーに強いるぐらいなら、HTML5を使うべきだと提案している。

XML+画像のアーキテクチャはPopular Science+など他のiPad雑誌にも採用されているそうだ。レイアウトが維持され、マルチメディア機能も埋め込める。だが、このソリューションはHTMLの前進という意味では前向きではない。Flashフリーを実現しているものの、500MB超のファイルも気軽にオンラインで配信できるようになったというだけで、中身は確かにマルチメディアCD-ROMと変わらない。

AdobeとConde Nast(WIREDを抱える出版社)は、Appleのライセンス規約を守りつつ、クロスプラットフォーム提供も実現するために、Flash非対応のiPad向けにはXML+画像というソリューションを採用したのかもしれない。だが、これはスマートな手法とは言い難い。今日のタブレットを含むモバイルデバイスでは急速にWebKitが浸透している。INTERFACELABが推奨するのは、マルチメディア雑誌をHTML5で作成し、WebKitに対応するカスタムビューワアプリと共に提供する。XML+画像よりも格段に小さなサイズになるし、今日のiPad版WIREDにはない検索機能なども提供可能になる。

「iPadとAndroidデバイスのクロス-コンパイルはできますか?」

5月上旬に米サンフランシスコで開催されたWeb 2.0 Expoでのパネルセッション「Insight on the iPad」でも、利用ケースによってはHTML5によるアプリ開発に今から踏み込むべきという意見が出てきた。

Web 2.0 Expoの「Insight on the iPad」セッション。iPadでメモを取る参加者もちらほら

セッションは、前半にiPad用ネイティブアプリまたはWebアプリを提供している開発者が体験談を語り、後半にQ&Aを受け付けた。会場からの最初の質問が「クロス-コンパルは可能か?」だった。AndroidアプリとiPad向けにWebアプリを提供するRhiza LabsのMichael Higgins氏は即在に「できない、無理!」と回答した上で、さらに「ネイティブアプリを開発するな! HTML5を使え……という答えもある」と続けた。ネイティブアプリよりも動作は遅くなるし、デバイスのすべての機能を利用できるわけではない。だが、ブラウザがサポートするAPIは急速に拡大している。厳しい制約を設けているAppleですら、Web標準のサポートには積極的だ。iPadに実装されているHTML5とCSSでも、利用ケースによってはネイティブアプリに匹敵する見た目と動作が可能になるという。iPadをターゲットにしながら、クロスプラットフォーム動作も重視するならば、HTML5アプリの可能性を今から模索するのは将来に向けた投資になるとした。

Higgins氏のアドバイスは「ネイティブアプリ対Webアプリ」の観点からだが、必要とする機能や、コンテンツの幅広い配信という利用ケースを考えると、INTERFACELABが主張するようにマルチメディア雑誌はHTML5で作成するのに適している。

Google I/OでSports Illustrated Groupがデモを披露したHTML5ベースのマルチメディア雑誌

5月に米サンフランシスコで開催されたWeb 2.0 Expo、Google I/Oで、AdobeはFlashテクノロジを推進しながらも、同時にHTML5もサポートしていく姿勢を明確に示した。おそらくWIREDとAdobeもXML+画像をiPad向けのベストソリューションだとは考えていないだろう。しばらくは1冊500MB超のファイルに我慢しつつ、真のタブレット時代のWIREDの登場を待とうと思う。