Appleのタブレットデバイス「iPad」発売のタイミングで、米Amazon.comがiPad用のKindleアプリをリリースした。

iPad発売前、Amazonだけではなく米書店チェーン大手Barnes & NobleもiPadアプリを用意する計画を明らかにしていた。AmazonのKindleストア、Barnes & NobleのBN.comで購入した電子ブックをiPadで読めるようになる。注目のiPadアプリとして、どちらもWeb媒体や新聞などで取り上げられた。ただし、どちらも3日(米国時間)にiPadが発売された後に実物で動作確認してからApp Storeに申請するとしていたのだ。それが……だ。フタを開けてみたら、Amazonのフライイング・リリースである。Kindle for iPadの説明には「Apple提供のiPad SimulatorでテストしたKindle for iPadの初期リリースです (意訳: iPad本体ではテストしていません)」という但し書きが付いている。この一文を読んだBarnes & Nobleの歯ぎしりが聞こえてくるようだ。

ライバルのBarnes & Nobleを騙し討ちする形になったのは結果であって、それはAmazonの本意ではなかったのだと思う。発売直前のiPadに対する関心の高まりが、Amazonのリリース方針を変えさせたのだろう。「iBookstoreの電子ブックがiBooksに制限されるとしてもユーザーはiPadに流れる」「Kindleストア・ユーザーがAppleのiBookstoreに乗り換える前に、iPadでKindleブックを読めるようにしなければマズい」という危機感があったはずだ。それだけAmazonもiPadというデバイスを評価しているということになる。

iBooksそしてKindle for iPadが、iPad上でどのような読書体験をユーザーに提供しているのか。気になるではないか……。

完成度の高さに驚かされるiBooks

既存の電子ブックリーダーにはE Inkの電子ペーパーを採用したモノクロ・デバイスが多いが、iPadはカラーディスプレイで非常に読みやすい。カラー液晶は明るすぎて長時間の読書に向かないと言われるが、iPadではリーダー・アプリからディスプレイの明るさを調節できる。A4チップを心臓とする動作は非常に滑らかで、たとえば本のページをめくるようなアニメーションで流れるようにページを進められる。電子ペーパー端末のように、ページを移動する際の画面のリフレッシュで読書が中断されることはない。

9.7型のカラー液晶・高性能となるとバッテリー駆動時間が問題になるが、iPadの駆動時間は公称10時間以上。原稿執筆時点でiPadを手にしてから2日目で、まだバッテリー駆動時間の計測まで行きついていないのだが、使っていてバッテリーのタフさには感心させられている。iPad発売前にAppleは、米国で10名のテクノロジーライターやアナリストにレビューを許可した。それらのコメントで、唯一全員が一致したのが公称通りのバッテリー駆動時間だった。

iBooksはシンプルな電子書籍リーダーだが、時間をかけて作り込まれたのだと思う。ページをめくる滑らかな動き、フォント変更などオプション機能へのアクセス、辞書/検索機能のふるまい、ハイライト/ブックマーク機能などがとても自然なのだ。iBooksだけを使っていると、それらが当たり前に思えるが、Kindle for iPadと比べると、電子ブックリーダーとしてのiBooksの完成度の高さを実感する。

Kindle for iPadは、アニメーションをふんだんに用いたモードとベーシックリーディング・モードの2つがあり、標準ではベーシック・モードに設定されている。アニメーション・モードは少々エフェクト過剰に思えるが、どちらも快適に読み進められる。間違いなく、既存の電子ブック・リーダーの中では優れた読書体験を得られる1つに数えられるだろう。だが、iBooksに比べると細かいところが粗く思える。またKindleが備える辞書機能や検索機能がiPad版には用意されていない。

iBooksのホーム画面(左)とKindle for iPadのホーム画面(右)。iBooksではiBookstoreで購入した電子ブックが自動的に本棚に追加される。Kindleでは、クラウド上の本棚にアクセスしてKindleストアから購入したKindleブックをiPadにダウンロードする

Chris Anderson氏の「FREE」。左はiBooks、右はKindle for iPad

横向きにするとiBooksは見開き表示(左)、Kindle for iPadは1ページ表示

iBooksのホーム画面で左上のボタンをタップすると、本棚がぐるりと回ってオンラインブックストアのiBookstoreが現れる。ストアの基本的なつくりはiTunes Storeと同じなのだが、タッチインターフェイスに最適化されていて、画面をぽんぽんとタッチしながら素早く特集やトップチャート、New York Timesのベストセラー・リストなどをブラウズできる。

Kindle for iPadでは右上の「Shop in Kindle Store」をタップすると、SafariでKindle Storeが開く。iBookstoreに比べるとひと手間だが、iPadの大きな画面ならモバイルパソコンと同じ感覚でAmazon.comを使えるので、情報量の豊かなこちらの方が好みだという人も多いと思う。

iBookstore(左)と、iPadのSafariで開いたKindleストア(右)

いま電子ブックを購入するならKindleストアか……

現在、米国における電子ブックリーダーのプラットフォームは二分されている。1つはiBooksやSony ReaderのようにePub形式をサポートするグループ。iBooksでは、DRMフリーのePub形式の電子ブックをiTunesに取り込んでiBooksで読める。ただしiBookstoreから購入した電子ブックはiBooksでしか読めない。もう1つは、Kindleのようなクローズドな独自形式のみをサポートするグループだ。KindleリーダーはKindle形式の電子ブックしか受け付けないが、AmazonはKindle端末のほか、パソコン(Windows PC/ Mac)、iPhone、iPod touch、iPad、BlackBerry向けのKindleリーダーを提供している。ユーザーはKindleストアで購入した電子ブックをAmazonのサーバに保管し、必要に応じてKindle対応端末に電子ブックを転送する。台数の制限はない。

米国で電子ブックを買おうと思ったとき、今ならどこから買うだろう? より多くのデバイスとの互換性を考えるとDRMフリーのePub形式で購入できるのが望ましいが、有料の書籍がDRMフリーの電子ブックで販売されているケースは少ない。また音楽と違って、今後DRMフリーになる可能性も低いだろう。となると、より多くのデバイスで読めるKindleブックになる。それゆえにKindle for iPadが登場したインパクトは大きい。Kindleブックの読書体験が数段引き上げられた。おそらく多くのKindleストア・ユーザーが同意見だと思う。

ただ電子ブックの普及を望む1人としては、どこから買うのが得のなのかというのは、今やどうでもいい悩みなのだ。AmazonはデバイスのKindleとKindleストアを別の事業として明確に分け、iPhoneのみならず"Kindleキラー"と呼ばれるiPadにまでKindleブックを対応させた。そしてAppleは、iBookstoreと競合するKindle for iPadの配信を、iPad発売の初日から認めたのだ。「デジタルコンテンツ市場を作り出す」という共通の目的を持って両社が囲い込みに進まず、競合しながらも市場拡大のために引くところは引く決断を下しているところがうれしいではないか。

ハードウエアで制限される電子ブックに手を出したら、将来買い直しにつながる可能性もある。だが音楽だってレコードをCDで買い直し、さらに今ストリーミングの再生権も持っている楽曲がある。エンターテインメントの楽しみ方が進化すれば、コンテンツの買い直しは避けられない。それよりも今KindleブックをiPadで読め、iBooksを体験できるチャンスを逃すことの方が筆者にとっては後悔が残る。