金曜日に米国で『アリス・イン・ワンダーランド』が公開され、日曜日はアカデミー賞の授賞式と、なにかと映画が話題になる週末だった。「アリス…」は全米での3日間の推定興行収入が1億1,630万ドルと、昨年末公開の『アバター』の記録を上回った。アカデミー賞も視聴者数が5年ぶりの高水準になり、また広告スポットも完売と好調だった。ちなみに「アリス…」はディズニー配給、今年のアカデミー賞はディズニーを親会社とするABCが中継と、どちらもディズニーが絡んでいる。今回は、こうした魅力的なコンテンツを"駒"にディズニーが仕掛けた熾烈な「交渉」を取り上げる。

大ヒット作品を、わずか3カ月でDVD化

「アリス・イン・ワンダーランド」は「アバター」に続くデジタル3Dで楽しめる作品として公開前から大いに話題になり、公開日には少しでもいい席を求める観客が長蛇の列を作った。観客数の下落に悩まされていた映画産業にとって、3Dは映画館に観客を呼び戻すカンフル剤になっている。ところがディズニーは2月に、この「アリス…」のDVD/ Blu-rayを6月初旬に発売する計画を明らかにした。通常、話題作のDVDは公開から17週目以降にリリースされるのがハリウッドと映画館産業の暗黙の了解だ。「アリス…」のような"超"話題作をわずか3カ月でDVDリリースするのは異例である。そもそも劇場公開前にDVD発売の話をすること自体、異例中の異例と言える。

「アリス・イン・ワンダーランド」公開初日のAMCシアター

チケットを持っていても、見やすい席を取るために次の次の回まで行列ができる盛況ぶり

「アリス…」の場合、封切りから17週間目の7月上旬だとサッカーのワールドカップに重なる。消費者によりアピールするように1カ月前倒ししたいというわけだ。だが、このチャンスに"17週間"という暗黙のルールを撤廃したいというのがディズニーの本音である。今回は実験的な試みとしながらも同社のBob Iger CEOは、他のエンターテインメントとの競争に勝ち抜くためにより柔軟になる必要があるとつけ加えた。

以前は消費者に飢餓感を与えることでDVD発売に拍車が掛かったが、今はDVD発売までの間隔を延ばすと、その間に海賊版が横行してしまう。DVDリリースの短縮は粗悪な海賊版の抑制になり、また話題作で13週間程度の間隔ならば映画公開とDVD発売を1つの宣伝プロジェクトにまとめられる。チケットとDVD、どちらの売上げからも収入を得られる映画スタジオとしては、トータルで利益を最大限化できるスムースな流れを作りたいのだ。とはいえ、そのためにDVD販売のライバルである映画館産業に協力を求めるというのは、映画館産業にしてみれば虫が良すぎる話だ。

この騒動で業界アナリストを大いに驚かせたのは、ディズニーが話題作「アリス…」でDVD発売短縮を仕掛けてきたことではない。その後の映画館産業の反応だ。多くの予想通り、英国の映画館チェーンであるOdeon、Vue、Cineworldが「アリス…」の上映ボイコットを表明した。ところがすぐに「作品として『アリス…』は無視できない」とCineworldが離脱。またOdeon、Vueもディズニーとの交渉の末、すんなりと矛を収めてしまった。それどころが米AMCのように、わざわざプレスリリースを出してディズニー支持を表明する映画館チェーンまで現れたのだ。「アバターの成功に見られるように、3D体験を望む(観客の)旺盛な欲望が存在する」(CineworldのSteve Wiener CEO)という言葉に、映画館側が強気に出られない理由がよく現れている。

料金交渉決裂でABCの番組提供打ち切り

「Disney Returns ABC to Cablevision Households」(ディズニー、Cablevision契約世帯にABCの番組提供を再開)。アカデミー賞の受賞式当日、午後6時5分にWall Street Journalから送られてきたアラートメールの件名である。

ニューヨーク州、ニュージャージー州、コネチカット州で約310万世帯にケーブルTVサービスを提供するCablevisionとABCの料金交渉が決裂し、7日午前0時にCablevisionへのABCの番組提供が中止された。7日が番組提供打ち切り開始に選ばれたのは、もちろんその日がアカデミー賞の受賞式だったからである。Wall Street Journalによると、ディズニーはCablevisionに対して契約1人あたり1ドルの支払いを求めていたが合意に至らなかった。

最終的には1人あたり0.50ドル程度でまとまったという。気になる放送の方は、アカデミー賞の中継開始から10分ほど過ぎた頃に再開となった。

景気低迷と広告主のネットマーケティングへの移行で広告収入が伸び悩むなか、TV業界がコンテンツを盾にケーブル会社に契約の見直しを迫る動きが広がっている。昨年末にもNews Corp.傘下のFOXとTime Warner Cableが契約交渉でもめて番組引き上げ騒動が起きたばかりだ。ケーブルTV会社としては、パッケージ価格の上昇を抑えるために特定の局と高額契約の前例を作りたくはない。だが、今回のようにアカデミー賞と視聴者の板挟みにされると苦しい。

巨額な放映料は、アナログ時代から無料で受信できた3大ネットワークのイメージと異なるというのがCablevisionの言い分である。しかし十数年前と異なりABCがCablevisionへの放送を停止しても、Cablevision契約者はABC.comやモバイルデバイスなどを通じてアカデミー賞を楽しめる。だからこそディズニーは強気の姿勢で、消費者に選択肢がある時代に見合った契約を求めた。複数の提供チャンネルの可能性を伸ばし、「トータルで利益を最大限化する」のが同社の戦略だ。

「アリス・イン・ワンダーランド」における交渉も同様だ。近年下落が続くホームビデオ市場の回復のために映画館に我慢を強いるのは無茶な要求に思える。だが、映画スタジオの売上げがトータルで拡大すれば、観客に大画面で観たいと思わせる作品づくりや3Dのような新たな技術に投資できる。DVDやネット配信を含めてトータルで利益を最大限化する取り組みが機能してこそ「アリス…」のような作品づくりが支えられると言われれば、「アバター」の成功以降3Dに活路を見いだそうとしている映画館産業は従わざるを得ない。

「映画館で観てこそ映画」と考える人にとっては、CineworldやAMCなどの判断には抵抗があるかもしれない。確かにディズニーの強気の交渉に押し切られた感も強い。しかし「映画作品の提供において映画館が何よりも優先されるべき」という優遇に甘んじるだけの映画館では先行き不透明である。映画産業全体のパイが広がれば、DVDやビデオオンデマンドとも共存できると映画館チェーン産業が考え始めたのは、ネット時代の動画配信の進捗にも影響を与える大きな一歩になったのではないだろうか。