米Appleの2009年7-9月期決算発表の席で、CFOのPeter Oppenheimer氏が、iPhoneとApple TVの売上をサブスクリプションで計上している会計処理に言及した。米財務会計基準審議会(FASB)によるソフトウエアの売上処理に関する会計基準の見直しにより、近い将来にサブスクリプションによる売上処理の必要がなくなるという。

いきなり読み進める気分を削ぐような堅い書き出しで恐縮だが、よく調べてみると、このサブスクリプションをAppleが採用した背景と、今回の見直しに至るまでの経緯が実に面白い。決算発表の報道ではiPhoneの好調な出荷台数にスポットライトが当てられていたが、大げさに言えば、サブスクリプションの採用は今日のiPhoneプラットフォームの勢いにつながる「その時」だった。

802.11n対応に1.99ドルを徴収した理由

サブスクリプションは、雑誌の定期購読などに用いられる会計処理方法である。定期購読契約で120ドルを受け取ったとして、契約期間が12カ月ならば1四半期(3カ月)に組み込まれる売上は1/4の30ドルになる。Appleは、iPhone/ Apple TVの売上げを24カ月のサブスクリプションで計上している。そのためセールスを8四半期に分割した額が、1四半期ごとの売上高に反映される。

2年間という時間がかかるものの、サブスクリプションにしたからといってiPhone/ Apple TVの売上が変わるわけではない。ただしiPhoneが爆発的に売れても、すぐに四半期決算報告書に反映されないので、その時の伸びが見えにくくなる。そのため初代iPhoneがリリースされてからしばらく、サブスクリプション式の売上処理は投資家から大不評だった。

では、なぜAppleはこのような売上を評価しにくい処理方法を採用しているのだろうか?

理由は、1990年代末から2000年代前半の不正会計問題をきっかけに制定されたサーベインス・オクスレー(SOX)法である。Enron事件では時価会計を利用し、長期的な計画を見せかけて利益が水増しされた。こうした行為を抑制し投資家保護を実現するために、SOX法では完成に至らない製品を売上に計上するのが制限された。たとえば製品の機能を大きく変えるソフトウエア・アップグレードの場合、ベンダーはアップグレード提供時に料金を徴収しなければならない。完成品の無料提供はできないのだ。これを認めると、完成品への無料アップグレードを約束して開発中の製品を販売し売上に計上できる。もし完成が実現しなければ、Enron事件のような架空の利益につながる恐れがあるというわけだ。

2007年1月にAppleは一部Macの802.11n機能を有効にするソフト「AirMac Extreme 802.11n Enabler for Mac」を1.99ドルで発売した。対象機種は、802.11n機能を備えた状態で販売されていたが、802.11nドラフト仕様が固まっていなかったため無効化されていたのだ。この時、わずか1.99ドルを徴収したAppleに対して「がめつい!」という意見が見られた。だが上記の理由から、このアップグレードでAppleは相応の料金を請求せざるを得なかったのだ。

投資家からの評価より「無料アップグレード」

iPhoneでAppleは、OSの無料アップグレードを通じてiPhoneプラットフォームの拡大を促す戦略を採用した。ところが会計上、「無料アップグレード提供」はペナルティの対象になり得る。思わぬカベである。

有料よりも難しい無料アップグレード

そこでiPhoneの売上を24カ月のサービスが含まれるような形で処理することで、無料アップグレード提供を実現した。これは投資家の反発を買う諸刃の解決策だった。実際、一時はiPhoneの売れ行きに疑問符がつけられる原因の1つになった。だが、iPhone OS 2.0、同3.0のリリースを経てiPhoneが強化され、すべてのiPhoneユーザーがOSをアップグレードできる環境がApp StoreとiPhoneアプリの拡大を呼び込んだことから、少しずつサブスクリプション(=無料アップグレード提供)のメリットが理解されるようになった。

9月23日にFASBは、ソフトウエアと非ソフトウエア部分の組み合わせで基本機能が実現されるタンジブル製品を、ソフトウエア売上処理のガイダンスから除外するEITF 09-3を承認した。これによりAppleは、無料アップグレードを提供しながらも、アップグレード分の推定価値を除いて、iPhone/ Apple TVの販売を大部分をすぐに売上へ計上できるようになる。同社は、早ければ2010年度(09年10月-10年9月)中に、新しい売上処理に移行するという。

無料アップグレードが、そんなに重要なのかという意見もあるだろう。AdMobが今年6月に公開したレポートによると、iPhone OS 3.0公開から3日後の6月20日時点で、同社に広告リクエストを行ったiPhoneユーザーの44%がバージョン3.0にアップグレードしていた。一方、有料アップグレードのiPod touchユーザーはわずか1%にとどまった。無料だからこそ多くのユーザーが短期間でアップグレードする。数カ月中に、ほぼすべてのユーザーが移行するだろう。今のユーザーがそのまま次世代のOSにアップグレードするという確信が持てれば、デベロッパは安心してそのプラットフォーム向けのアプリを開発できる。その結果、豊富なアプリがユーザーにもたらされる。ユーザー基盤づくりという点で無料と有料の差は大きい。

iPhone OS 3.0リリースから3日後のiPhone(左)とiPod touchのOS比較。AdMob調査

AdMobのレポートにおけるiPod touchの立場は、そのままiPhoneプラットフォームのライバルの立場に置き換えられる。昨年10月にT-Mobileが米国で発売開始したAndroid携帯G1はハードウエアの制限から将来のアップグレードが危ぶまれ、既存のWindows Mobile端末のバージョン6.5へのアップグレードも限定的である。モバイルデバイスでは少し前まで、OSメジャーアップグレードにハードウエアの交換が伴うのが当たり前だった。こうしたプラットフォームに開発者が慎重になるのは言うまでもない。今日モバイルアプリストアが次々にオープンし、無料アップグレードで進化するスマートフォン/ 多機能携帯が増えている。iPhoneとライバルの差が一気に縮まった印象を受けるが、2年以上前から"無料アップグレード"に取り組んできたiPhoneプラットフォームとの差は一朝一夕で縮められるものではない。ちなみに決算発表の席でCOOのTim Cook氏は「彼らは、われわれが2年前にリリースした初代iPhoneに追いつこうとしている段階に思える」と述べていた。