失踪していたフリーランスライターEvan Ratliff氏が発見された。

と言っても、これは事件ではない。米WIRED誌の「VANISH: Finding Evan Ratliff)」というゲーム企画で姿を隠していたのだ。

今や直接会ったことがない人ともネット上でつながっていたり、つぶやきをフォローしていたりする。たまに会う友人よりも、ネット上だけの知り合いについての方が詳しく近況を知っているぐらいだ。では、すべてを投げ出して現状から逃げ出したくなったら、どうだろう。そんなことが、このネット時代に可能なのだろうか? いや、もしかすると情報が豊富すぎるからこそ、逆にそれらがノイズになって身を隠しやすいかもしれない。

そこで失踪事件に興味をもっていたRatliff氏が、自ら姿を隠してみた。ただし世俗とのつながりを完全に切るのではなく、過去の自分を隠しつつ、FacebookやTwitterなどはひっそりと利用しながらだ。そしてWIREDは、30日以内という期間を設けてRatliff氏の発見に5,000ドルの賞金をかけた。もし見つからなければ、Ratliff氏に3,000ドルが支払われる。

Ratliff氏は8月15日にサンフランシスコで姿を消した。写真、身長・体重、目の色、これまでに使用していたTwitterアカウント、電子メールアドレス、よく出没する場所 (WiFi対応コーヒーショップ、ビーチ、サッカーを観戦できるスポーツバー……)などの情報は公開された。またVANISHコンテスト・ページを通じて担当編集者のNicholas Thompson氏がクレジットカードの使用や小切手の預け入れの記録など、ヒントを少しずつ提供していた。ただし、公開されている情報は鵜呑みにはできない。Ratliff氏も公開情報を把握しているのだ。

ターゲットがいつの間にかスキンヘッドに……

Ratliff氏を見つけ出すには、まず同氏と思われる人物が足跡を残しているFacebookまたはTwitterを見つけ出すことである。そこからリアルなRatliff氏にたどり着くしかない。

さて、ここからは発見者のJeff Reifman氏の視点から書こう。

Reifman氏は、Vanish TeamというRatliff氏の足跡を探るコミュニティを組織した。9月1日にVANISHのページで、サンタモニカにおけるRatliff氏のインタビューが公開された。失踪前の同氏からは想像できないような特徴的な風貌に変わっていたが、そのおかげでピンときた。Vanish TeamのFacebookに登録しているgatzjdという人物に似ていると思った。

gatzjdはTwitterアカウントを持っている。だが保護されていて直接的にフォローできない。そこで数少ないgatzjdのフォロワーにコンタクトしまくり、交渉の末、ハワイ在住の不動産業者からgatzjdのつぶやきを転送してもらえることになった。そこからgatzjdの滞在場所、同一人物のTumblrサイト、使用していたプリペイドフォンの番号、ホテルの写真など様々な情報を得た。中でもReifman氏が注目したのが9月5日の「I'm not sure I've ever stayed up all night before in order to (partially) re-shave my head before a morning flight」というつぶやきだ。どうやらgatzjdはスキンヘッド、またはモヒカンであるようだ。これを知らなければ、本人に会っても気づかない可能性があるが、逆に知っていれば、本人を見分ける手がかりになる。

さらにVanish Teamのサイトを通じて、gatzjdが使用していたコンピュータのIPアドレスの特定に成功。アトランタからニューオーリンズへの移動を確認できた。その後も自分のマークを感づかれないように、gatzjdに罠を仕掛け続け、gatzjdがTwitterアカウントをオープンにしたタイミングでフォローに成功。gatzjdが3つの新しいTwitterアカウントをフォローし始めたのに気づいた。その中にニューオーリンズのNaked Pizzaというピザ屋のTwitter(@nakedpizza)が含まれていた。そのピザ屋に連絡したら、すぐに捕り物チームを結成してくれた。しかも自分の店だけではなく、Ratliff氏が読書に立ち寄りそうな他の場所まで見張ってくれる熱心さで、かくして9月8日にRatliff氏は発見されたのだ。

全米を移動し続けたRatliff氏の逃避行

Ratliff氏は、おそらく本気で30日間逃げ通そうとしていたと思う。Reifman氏側から見れば、gatzjdとしてプロフィール写真に写っている状態でサンタモニカでインタビューを受けたり、TORを使わずにVanish Teamのサイトを訪れるなど隙だらけだったように思えるが、gatzjdのフィードを入手していたのはVanish Teamのみ。またRatliff氏のニューオーリンズへの移動や髪を剃っていることを把握していたのもVanish Teamだけだったという。

失踪直前gatzjd、そして発見された時点の写真を見比べると、見た目だけならまったくの別人である。知識と行動力、そして運も兼ね備えていたからVanish Teamはgatzjdを追跡できたと言える。

読者に題材を体験させる試み

マイクロブログ・サービスの台頭によってネット上をリアルタイムの情報が飛び交い始めたように思っていたが、こうやってVanish Teamの追跡をフォローしてみるとネット上の情報の意外なズレを実感する。gatzjdのつぶやきを読み返すと、Ratliff氏はフットボール・スタジアムでビールを売り歩きながらTweetするなど、様々な足跡を残しているのだ。それでも本人を見つけ出す過程には至れなかった。8月後半のgatzjdのように動き続けていると、ネット上の情報から本人に追いつくのはほぼ不可能である。逆にニューオーリンズに入ってからのように一カ所に止まり続けていると、次第にネット情報が絡みつく。

もう一つ面白いと思ったのは、VANISHコンテスト自体は失踪や個人情報に関して何も語っていないのだが、このゲームをフォローすると、その過程でRatliff氏の過去の記事を読んだり、また個人情報やなりすましなど関連する様々な情報が自然と入ってくる。こういうのは、なんて言うんだろう。実験的ジャーナリズム、またはゲーム型ジャーナリズムとでも呼べばいいのだろうか……。

コメントの書き込みやブログサービスなど、Webにおいてユーザーの参加を促すニュース媒体は多い。読者をコミュニティと見なして活用するのは、今やめずらしくない手法である。だがVANISHの場合は、参加というよりも、読者に題材を体験させる感覚に近い。Ratliff氏探しに直接参加しなくても、ゲームの行方を興味を持って観察していただけで、人はなぜ姿を消し、新しい人生を望むのか……などと考えてしまう。ゲームを通じて、普段読まない重いテーマの記事を読んでいる自分に気づく。これがVANISHの狙いであるのかは分からないが、読者に興味を持ってもらうのが目的ならば、これは効果的な手段である。