前回は「デジタルであれば、遅かれ早かれ無料になる」という大胆な予測を示しているChris Anderson氏のフリーエコノミクス論から沸き起こったGoogle独占問題の議論を取り上げた。今回は、きっかけとなった同氏の新著「FREE: The Future of a Radical Price」(無料:ラジカルな価格の未来)を紹介する。

FREEが大きな話題になったのは、発売直前にThe New YorkerにMalcolm Gladwell氏がFREEの内容を批判するような辛辣な書評を書いたためだ。「New York Timesが食事の配給活動のようにボランティアで運営されるべきなのか?」「無料に向かって価格引き下げ圧力がかかるのがデジタル経済の鉄則と主張しているが、どうして法則と言えるのか? 無料も価格の1つであり、市場の力の流れの中で、関係する個々が様々な価格を設定するものだ」と手厳しい。これをきっかけにネットの様々な場所でフリーエコノミクスの支持者とアンチの議論が見られるようになった。

Gladwell氏は40代半ばである。Anderson氏いわく、30歳前後を境にフリー(無料)に対する反応が異なる。30代以上はフリーエコノミクスに懐疑的。これらの世代は無料と言われても、それはマーケティングの仕掛けか何かで、結局は時間または形を変えて代金を支払うことになると身構える。これが20代以下のGoogle世代になるとフリーなデジタルの世界で成長してきただけに、言葉通りにフリーを受け止め「Duh! (当たり前!)」という素直な反応が返ってくるそうだ。

FREEの中でAnderson氏は「(デジタルの世界で)フリーはオプションではなく必然であり、ビットはフリーになりたがっている」と説く。これを20世紀の"無料"を想像してしまう30代以上に実感してもらうのがFREEの狙いと言える。

オンラインサービスにコストは1年で半分に

FREEでは「ビット・エコノミー(bits economy)」と「フリーに対する消費者心理」の2つが大きなポイントとなっている。

通常のエコノミーでは時間と共に商品の価格が上昇するが、ビット・エコノミーでは逆に時間と共に下落へと向かう。

ネットサービスの費用は、ストレージ、プロセッサ、通信帯域の進歩の相乗効果で急速に下落している。オンラインサービスの年間デフレ率は50%近いそうだ。つまりYouTubeでビデオをストリーミング提供するためにかかる費用は、わずか1年で半分になってしまう。加えて、あるものやサービスを追加した時の費用の増加分、いわゆる限界費用(Marginal Cost)は規模が大きくなればなるほど小さくなる。今日のYouTubeほどの規模ならば、ビデオを1本アップロードしても限界費用はほぼゼロに等しい。限界費用がゼロだから"無料サービス"が可能になる。

これはコンテンツのエコノミーであり、サービス運営の全てのコストを賄えるわけではない。ゼロはリスクが高すぎると見る方が普通だろう。だがゼロにすることに意味があるという。

FREEの中でチョコレートを使った消費者心理の実験が紹介されている。まず最初に、Lindtのトリュフを15セント(卸値の半額)とHershey'sのKissチョコを1セントで販売してみた。品質と価格を計算した消費者は73%がLindtのトリュフを選んだ。次に両方ともに1セント値下げしてみた。つまりLindtが14セント、Kissチョコが無料である。すると69%がKissチョコを選んだ。Gladwell氏が指摘するように無料も価格の1つに過ぎない。だが消費者心理において無料は特別な価格なのだ。一気に市場を奪い取るような力がある。

YouTubeに話を戻すと、無料にすることでユーザーの利用が活発になり、社会的便益の最大限化を図れる。そこにビジネスチャンスが生まれる。

無料で使えるものは徹底的に活用する

「Googleはなぜサービスを基本的に無料でサービスやソフトウエアを提供するのか? それは考え得るかぎり最大の市場にリーチし、そして大規模な採用を実現する最善の方法だからだ」(Anderson氏)。

Googleは、これをMAX戦略と呼んでいるそうだ。限界費用がほぼゼロなのだから、もの(商品)をあらゆる場所にばらまいた方が得策。何をするにしても、配布・配信においては最大限(Max)を実践する。

一例としてTVドラマの制作会社のマーケティングが挙げられている。これまでの宣伝は広告代理店を通じた発表会や広告、あとはTV局の後押しぐらいだった。今はブログやSNS、テキストメッセージやTwitterなど、様々な手段で無料かつ効率的に世間の注目を集められる。メイキングシーンをYouTubeで公開するというのも手だ。

TVドラマ制作会社の場合はTV局からの収入があり、Googleにはオンライン広告がある。しかし多くのケースではコンテンツやサービスの無料提供をマネタイズ(現金に換える)する方法が課題と言われている。しかし「現金に換える方法を見いだせないままだとしても、それは最悪の問題ではない」とAnderson氏。「ほとんどの企業はマネタイズする方法ではなく、評判を得るのに苦労しているのだ」という。MAX戦略が奏功すれば、大きな注目と評判を集められる。そこに挑戦の価値がある。大海に飛び込んでみれば、フリーから開ける可能性がわかると言うのだ。

FREEのハードカバー版は27ドルだが、Anderson氏はKindle版とScribd版を無料提供している。この振り分けで同氏にとって十分な売上げに達するかは興味深いところだが、Kindle版やScribd版を通じてFREEの話題が高まっているのは事実だ

「デジタルであれば、無料になる」と言われると、ネット上であらゆるコンテンツやサービスが無料になるように思えるが、そうではない。時間と共に配信のコストがゼロに近づくために、デジタルにおいてはあらゆる分野でコンテンツやサービスの無料配信・配布が可能になるという意味だ。ただ無料配布が可能なのだから、遅かれ早かれ無料を武器にするプレイヤーが現れる。そして、あらゆる分野で既存のプレイヤーは無料との競争を強いられることになる。対抗するには、既存のプレイヤーもデジタル配信のメリットを活用して、自らのコンテンツの価値を消費者にアピールしていかないと無料の力に押し切られてしまう。ネット上では、すべてのプレイヤーが"無料の可能性"に直面し、自らの市場の再定義を強いられる。

ちなみに前回のGoogleの無料サービスは反トラスト法に抵触するかという議論だが、FREEの中でAnderson氏は「法律や制限はFreeを片隅に追いやれるだろうが、最終的には経済的な重力に支配される」「誰もFreeを止められない」としている。